10月31日、習近平ら新チャイナ・セブンは上海にある第一回党大会開催跡地を視察した。これに関して「権威高める狙い」「江沢民派閥排除を強調」などの報道があり、又しても中国の真相を観る視座を歪めている。

NHKも、産経新聞も

NHKは11月1日のニュースで「習主席の権威高める狙いか  中国共産党ゆかりの地を訪問」と題して、「中国の国営テレビは、習近平国家主席が新しく選ばれた最高指導部のメンバーとともに共産党への忠誠を誓う姿や、大勢の人に歓迎される姿を放送し、習主席の権威を一層高める狙いがあるものと見られます」と報道。

産経新聞は2017.10.31 17:28のネット・ニュースで「習近平氏ら中国共産党指導部7人が上海入り 第1回党大会記念館を訪問、江沢民派閥"排除"を強調か」というタイトルで、習近平が新チャイナ・セブンを従えて上海を視察し、第一回党大会の跡地を訪問したことを報道している。

両方とも「習近平が新チャイナ・セブンを従えて第一回党大会が開催された上海にある跡地を視察した事実」を報道していることに関しては全く間違いがない。しかしNHKは、それを「習近平の権威を高めることが狙いだ」と解釈し、産経新聞は「江沢民派閥"排除"を強調するため」と解釈している、その解釈が適切ではないのだ。

中国共産党は1921年7月23日から31日まで、上海のフランス租界の貝勒路樹(ベラルーシ)徳里3号(のちに望志路106号、現在の興業路76号)にある建物の中で、こっそりと第一回党大会を開催した。参加者はわずか12人(後に1人増加)。

こっそり開催したのは、国民党の政権下にあったので、共産党の活動は厳重に取り締まられていたため、隠れるようにして開催したわけだ。開催中、案の定、国民党軍に場所がばれた情報を事前にキャッチして、慌てて逃げ出し船の上で残りの議事を討議した。

産経新聞には、「毛沢東らが党設立を決めた」とあるが、「ら」という一文字がありはするものの、党設立は毛沢東が主導したものではない。中国共産党を主導したのは陳独秀で、このとき毛沢東はまだ下っ端で、長沙の代表に過ぎない。それも開催前に北京から離れていなければ代表の一人にさえなれなかった。毛沢東が共産党の権力を握り始めるのは延安に着いてからで、それから15年も以降のことである。この経緯は拙著『毛沢東日本軍と共謀した男』p.49前後で詳述した。

遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)