望月衣塑子『新聞記者』(KADOKAWA)

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「安倍晋三は歴史修正主義者」──先月20日にフランスのル・モンド紙が、"安倍首相の改憲の本質は大日本帝国の復活"と指摘する記事を掲載、本サイトでも取り上げたところ、大きな反響が寄せられた。

 こうした安倍首相の極右ぶりや政権運営を指摘しているのはル・モンドだけではなく、米紙のニューヨークタイムズや英紙・ガーディアン、仏高級週刊誌「ロブス」や英経済紙「エコノミスト」といった有名メディアもこれまで報じてきた。

 そして、このような海外の鋭い報道と比較すると、あらためて国内の異常ぶりが浮き彫りになる。とくに、安倍政権に対してメディアがいかに従順であるかは、菅義偉官房長官による定例記者会見を見れば一目瞭然だ。

 予定調和の質疑応答と、ただルーティンをこなす感情の見えない記者たち──そんな会見に単身で乗り込み、場の空気を見事にぶち壊し、菅官房長官を苛立たせているのが、ご存じ東京新聞の社会部記者・望月衣塑子氏だ。

 他の記者がけっして訊こうとしない話題を突きつけ、答えになっていない回答しか口にしない壊れたロボットのような菅官房長官に何度も何度も食い下がる望月記者の声には、つねに感情がこもっている。安倍政権下の官房長官会見において、はじめて国民の疑問を代弁し追及する、真っ当な記者が現れたのである。

 そんな望月記者が、先日、角川新書から著書を発表。タイトルはずばり『新聞記者』だ。

 そもそも、なぜ社会部所属の望月記者が官房長官会見に出席するようになったのか。そのきっかけは、5月17日に朝日新聞が加計学園問題の核心に迫る「総理のご意向」文書の存在をスクープしたこと。この日、菅官房長官は「怪文書みたいな文書」と切り捨て、内部調査も半日で終わらせた。この杜撰な対応に望月記者は驚きを隠せなかったが、さらに〈自分のなかの価値観がひっくり返るような〉出来事が起こる。同月22日に、前川喜平・前文部科学事務次官の「出会い系バー」通いを読売新聞が一面で報じた一件だ。

 官邸は前川氏が内部文書のネタ元であると睨み、前川氏を社会的に潰すと同時に内部文書の信頼性を貶めようとしているのでは......。〈あくまで私の憶測だが〉と望月記者は述べるが、これは憶測などではなく事実だ。それほど読売の記事は到底信じられないような事件だったわけだが、望月記者はさっそく、前川氏が「信頼に足る人なのか」を確かめるべく直接取材を試みる。

 国会での答弁やインタビューなどでの前川氏の受け答えを見たことがある人ならばわかるかと思うが、やはり望月記者の取材でも、前川氏は〈自分の見聞きした事実と憶測の域を出ない意見とをしっかりと分け隔てながら、理路整然と答えてくれた〉という。しかも、第一次安倍政権が改悪した教育基本法に話が及ぶと、前川氏は「旧法の前文は、21世紀のいまにも十分に通じるすばらしいものなんですよ」と言って、それをすべて諳んじたというのだ。

 前川氏が教育行政の場で違和感や疑問を感じてきた、安倍首相のよる愛国教育。教育勅語を暗唱する一方で「安倍首相ガンバレ!」と声援を送る幼稚園児たちの姿に多くの人がギョッとした森友問題。──望月記者のなかで、問題が繋がっていく。

〈私自身も経済部時代、第2次安倍政権のもとで解禁された武器輸出の取材を重ねていくたびに、戦後の日本が守り通してきた民主主義のかたちが変えられていくという危機感を募らせていた。今の平和を子どもたちに受け渡すためにも、日本という国が現状のまま進んでいってもいいのかと何度も疑問に思ってきた。
 それらが密接につながっていく。インタビュー取材の経過とともに、前川さんが抱く思いに対して感情を移入させていく自分がいた。なにかが自分の中で燃え盛ってくる〉

 そこで望月記者がまず注目したのは、じつは松野博一文科相(当時)だった。しかし、官邸の暗躍が明らかななかで、大臣に決定権があるとは思えない。誰を攻めればいいのか──。望月記者が狙いを定めたのは、官邸の要である菅官房長官だった。

 だが、菅官房長官の定例記者会見の映像をチェックして、望月記者は「えっ、これで終わりなんだ?」と拍子抜けしたという。事件取材では当然突っ込むような部分でも、記者たちは質問を重ねない。

〈「菅さんには、なぜかだれも突っ込まないんだよね」
 定例会見に何度か出席したことのある他紙の記者からは静かな質疑応答の末に、10分ほどで終わるのが常態化していると教えられた。
「これはもう、自分が出席したほうがいいんじゃないか」
 こんな思いがいつしか頭をもたげてきていた。こうなるともう止まらないし、止められない。自らの意志でその扉を開けた〉

 旧態依然とした縦割りの大手紙ならば、社会部記者が「官房長官の会見に行きたい」と手を挙げても相手にもされないだろう。しかし、東京新聞は違った。「あっさりOK」が出て、望月記者はついに、もはや伝説となった6月6日の会見に挑む。

 この日の模様については本サイトでも当時、取り上げているので、そちらをあらためて読んでほしいが、それはセンセーショナルな出来事だった。望月記者はただ記者として当然の質問をおこなっただけだ。だが、その「当たり前」が、ずっとあの会見場にはなかったからだ。

 しかし、そうやってできあがっていた空気をぶち壊した望月記者の足を引っ張ろうとしたのは、やはり記者たちだった。

 2回目に出席した6月8日の会見で、望月記者はじつに23回もの質問をおこなった。この日、菅官房長官は通例としておこなわれている番記者たちのオフレコの囲み取材に応じることなく、しかもいつもの官房長官室ではなく総理執務室に向かったという。そして、夕方に官邸キャップから、こう告げられた。

「一つひとつの質問の時間が長すぎたり、一人で何度も質問することで、定例会見での質問が一人一問に制限されたり、オフレコ取材がなくなる懸念があるって。記者クラブの総意として伝えられたよ」

 記者クラブの総意。それは、いつもと違う菅官房長官の対応に慌てふためき、"あの異端児をどうにかしよう"と記者たちが相談した、ということだ。結果としてこの「総意」は「なかったことになった」と先輩記者に言われたというが、その後も望月記者を"排除"するかのような行動が記者のあいだから起こる。

 日を追うにつれ、望月記者の質問はどんどん警戒され、広報官が「あと一人」「あと一問」と数を区切るようになった。そんななか、質問を重ねようとする望月記者を制止するように、「以上で終わります」と打ち切りの号令がかけられた。広報官ではない。記者クラブ幹事社の記者によって、だ。

 しかも、この会見打ち切りの号令には裏があった。望月記者の取材によって判明したのは、こんな事実だった。

〈8月下旬、菅長官側は幹事社を通じて菅番の担当記者に、会見時間を短縮したいとの趣旨を打診してきたという。番記者側は「時間制限はできない」と突っぱね、要求は呑んでいないというが、「あと○人」「あと○問」と官邸の広報官が質問を打ち切っているのを認めているのが現状だ〉

 何度も言うが、望月記者は暴走しているのではない。記者として当然の質問をしているだけだ。それを、当の記者が官邸と一体化して立ち塞ごうとする。望月記者の怒りと失望はいかばかりだったろうかと想像せずにはいられない。

〈これは、メディアの自殺行為ではないか。
 あまりの出来事に呆然とし、愕然とした気持ちで涙があふれそうになった。日本のメディアの限界なのかと足が震えるほどの衝撃を受けた〉
〈官房長官会見は、政府の公式見解を聞くことが大切である一方で、私たちが抱く疑念や疑問を率直にぶつけ、政権中枢部にその姿勢を問うことができる場でもあるはずだ。その場をメディア自らの判断で、政権の意に添ってしまっていいのか。
 ジャーナリズムの精神を引き継ぐ後世の記者たちにとっても、禍根を残すことにはならないだろうか〉

 安倍官邸の卑劣さは言うまでもない。質問には答えず、望月記者の質問を削るために会見の開始を遅らせ時間を短縮させてもきた。さらに官邸は、いいがかりでしかない注意喚起の文書を東京新聞に送りつけた。内閣情報調査室や公安を使い、望月記者の身辺調査をおこなっているという情報もある。

 しかし、本来ならこうした権力による報道の自由を押さえつけるやり方に異を唱え、その暴挙を伝えなければならない記者たちが、逆にその手先となっている現実はどうだ。望月記者が言うように、〈メディアの自殺行為〉そのものだろう。

 本書によると、6月6日にはじめて菅官房長官の記者会見に挑んだあと、望月記者は伊藤詩織さんの取材をおこなっていた。このとき、詩織さんの姿に前川氏が重なって見えた、という。

〈図らずも一介の個人がある種の使命感をもって巨大な国家権力を敵に回す図式も、それでも怯むことなく凜としている姿も変わらない。
 見えざる敵に怯え、目の前にある問題を見て見ぬふりをすれば、相手の思うつぼだ。
 前川さんや詩織さんがたった一人でも闘おうとし、社会的に抹殺されるかもしれないリスクと背中合わせで疑惑を告発している。2人の勇気をだまって見ているだけでいいのか。遠くで応援しているだけでいいのか。私にできることは何なのか──考え続けているなかで、目の前に浮かんできたのは安倍首相であり、菅官房長官だった〉

 そうして迎えたのが、前述したように23回も質問を繰り出した8日の会見だった。望月記者はこの日、前川氏に出会い系バー通いを注意したという杉田和博官房副長官についてや、詩織さんに対する準強姦罪で山口敬之氏に出ていた逮捕状を逮捕寸前に止めた、菅官房長官の子飼い警察官僚とも呼ばれる中村格刑事部長(当時)について質問を浴びせた。菅官房長官は質問をはぐらかし、ついには「同じ趣旨の質問を繰り返し行うことは、やめていただきたいとお願いします」と言った。それでも、望月記者は食い下がり、こう言葉を発した。

「きちんとした回答をいただけていると思わないので、繰り返し聞いています」

 国家権力に怯むことなく闘っている人がいる。その姿を見て、熱い想いを抱き、記者として何ができるかと考え、できることを実行する。出世したい、官邸に睨まれたくない、和を乱したくない......そんな私利私欲や自己保身で、望月記者は手を挙げつづけているわけではないのだ。

 第4次安倍内閣が発足したなかで、安倍首相は相変わらず森友・加計問題から逃げつづけている。野党の質問時間削減や今後の憲法改正など、安倍政権の暴走はさらに加速していくだろう。そして、メディアの圧力も増していくのは間違いない。そんな状況下で、望月記者の存在は大きい。彼女を排除しようと躍起になる者たちこそわたしたちの知る権利を脅かす者たちであるのだと、望月記者の奮闘が可視化してくれるのだから。

 最後に、望月記者のこんな言葉を引用したい。

〈社会派を気取っているわけでも、自分が置かれた状況に舞いあがっているわけでもない。おかしいと思えば、納得できるまで何があろうととことん食い下がる。新聞記者として、警察や権力者が隠したいと思うことを明るみに出すことをテーマとしてきた。そのためには情熱をもって何度も何度も質問をぶつける。そんな当たり前のことをしたいと思う〉

 彼女の「当たり前」は、メディアを覆う暗い闇のなかの、一筋の希望だ。
(編集部)