北朝鮮には「信訴(シンソ)」という仕組みがある。

中国の「信訪」と同様に、理不尽な目に遭った国民が、そのことを権力中央に直訴するシステムで、一種の「目安箱」のようなものだ。元々は法制度の外で運用されていたものが、1998年に制定された信訴請願法で、法的根拠が与えられた。

権力者のやりたい放題

民主主義や言論の自由のない北朝鮮で、庶民がお上に何かを申し立てることのできるほとんど唯一の仕組みだが、これさえもまともには機能していない。それどころか、訴え出た人が処罰されるという、とんでもないあべこべがまかり通っている。

両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋が語る。

「去年、慈江道(チャガンド)との道境に住む人の畑が盗みに遭い、地元の人民委員会に信訴を行った。すると、犯人である近隣住民ではなく、訴え出た被害者に強制労働1カ月の刑が下された」

どうしてこんなことになるのか。答えは単純だ。北朝鮮社会ではあらゆる場面でワイロが求められる。応じたくなくとも、強要されむしり取られる例が多い。

(参考記事:北朝鮮女性を苦しめる「マダラス」と呼ばれる性上納行為

かつて信訴が法制度の外で運用されていた時代には、ここまでの理不尽はなかったとの説もある。訴えがどのように処理されるかは、担当者する役人の人情と裁量の範囲に限られていたからだろう。

ところが法的根拠を与えられたことで、担当者は権力を握り、加害者側に「助かりたければ…」とワイロを要求できるようになった。加害者が金持ちであったり、強力なコネを持っていたりすれば、前述した例のように被害者に報復することも出来るのである。

法が犯罪者の武器になるとは、これほど恐ろしいことはない。

しかし最近、北朝鮮当局の動向に異変が見られる。前出の情報筋が説明する。

「最近、行政機関や人民班(町内会)などが、住民に対して刑法と民法の解説を行っている。公民には信訴を行う法的権利があり、その処理結果について当該機関に開示を求めることができると教えているのだ。また、家庭内の不和についても、どこにどのように申し立てれば良いかを解説している」

北朝鮮は9月20日、スイス・ジュネーブで開かれた国連子どもの権利委員会において、国民に対し法務解説集を配布し法的知識の活用を促している、と主張している。情報筋の説明は、これが少なくともウソではないことを裏付けている。

もっとも、子どもの権利委員会で北朝鮮は、学校における児童の処遇問題(体罰など)にとくに念入りに取り組んでいるとしていたが、情報筋はこの点については否定している。北朝鮮の一部の学校の荒廃ぶりを考えれば、本格的な取り組みが必要であるにも関わらずだ。

当局の法務解説に対する住民の反応だが、さすがにこれまでに経緯が経緯だけに「いきなり信じられない」「信訴などしない方が安全」といった声が多いという。しかし少数ながら、「庶民の不満に少しでも耳を傾けようとの努力が見られる」「人々の目もあるし、中にはちゃんと解決される例もある」との反応も見られるとのことだ。

北朝鮮当局のこのような取り組みは、金正恩党委員長の直接の裁可なしには、まず実行することは不可能だ。ではいったい、正恩氏は何を狙っているのか。

その答は、北朝鮮をいずれ「普通の国」にすることだと筆者は考えている。それも改革開放などにより外国の影響を受けることなく、あくまで自分の指導下で達成しようとしているのだろう。核兵器開発には、そのための「城壁作り」の側面があると見る。

出来るかどうかはさておき、正恩氏はたぶん本気だ。しかしそれならばなおさら、庶民の小さな問題を解決してやるだけでなく、自分を含む特権階級のやりたい放題にメスを入れのが先決であると知るべきだろう。