【六川亨の日本サッカー見聞録】日本代表ユニフォームのエンブレムと日の丸変遷史

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▽日本サッカー協会(JFA)は11月1日、JFブランドの再構築のため、ビジュアル・アイデンティティーを刷新した。具体的には、2016年3月にデザインを刷新したJFAのロゴとシンボルに続き、日本代表のエンブレムとロゴ、審判ワッペンなども刷新。そしてサッカー、フットサル、ビーチサッカー、アンダーカテゴリーの大会なども統一されたロゴと大会名を採用した。

▽さらに全国9地域と47都道府県の協会のマークとシンボルである八咫烏(やたがらす)も統一された。例外は天皇杯と皇后杯、高円宮杯の3大会で、こちらは「浸透度が高い」(岩上事務総長)ということで、従来のデザインを継続して使用する。

▽会見にはゲストとして、日本代表とフットサル、ビーチサッカーと3つの代表ユニフォームを着たラモス瑠偉さんや、アジア人初のFIFA最優秀選手賞に選ばれた澤穂希さんも登壇。ラモスさんは日本国籍を取得して日本代表になると、ユニフォームに日の丸を入れるよう都並敏史さんらと提案。その結果、胸にはエンブレム、左袖に日の丸が入るようになった。

▽ラモスさんは当時を振り返りつつ、日本代表のユニフォームについて「このユニフォームは誰でも着られるわけではない。日本代表をワールドカップに連れて行けなかったのは残念。ワールドカップでベスト4という岡田さんの約束を実現したい。私のできなかったことをやって欲しい。いつかワールドカップで優勝、少なくともベスト4を目指し、誇りと自覚を持って欲しい」と思いを熱く語った。

▽この日本代表のユニフォームだが、『日本サッカー75年史』で振り返ると、1953年の西ドイツ(当時は東西ドイツに分かれていた)遠征の写真でも左胸に日の丸が着いている。その後の1964年の東京五輪、1968年のメキシコ五輪でもサイズの変更はあっても左胸には日の丸が着いていた。

▽それがJFAのエンブレム(八咫烏)に変わったのが、1988年に監督に就任した横山謙三氏の時代だった。ユニフォームの色も、それまでは白か青が基調だったのを、横山監督は世界各国が国旗のカラーをユニフォームに採用していることから、日の丸の『赤』か『白』を採り入れ、ユニフォームだけでなくパンツやストッキングも赤か白で統一した。

▽これは余談だが、赤のユニフォームは長続きしなかった。というのも、アンダーカテゴリーの大会で、アウェーで韓国と対戦したとき、日本はオール赤、韓国は第2ユニフォームの青を着用した。そしてこの試合を視察したJFA幹部が、「日本も強くなったね。一方的に攻め立てている」と感想を漏らしたそうだ。

▽そこで代表スタッフが小声で、「攻めている青が韓国で、押されている赤が日本です」と訂正した。これ以来、日本は再び『青』を基調にしたユニフォームを着用するようになった。

▽話をエンブレムに戻すと、オフト・ジャパンで臨んだ1992年のアジアカップから、選手の意見を採り入れ、左胸にはエンブレム、左袖に日の丸を着け、見事初優勝を飾った。このスタイルは続くファルカン・ジャパン、加茂ジャパンでも踏襲されたが、1996年のアトランタ五輪では日の丸が右袖に移っている。

▽それは98年のフランスW杯や00年のアジアカップ、02年の日韓W杯でも変わらない。ところが06年のドイツW杯では再び左胸のエンブレムだけとなり、日の丸は消えてしまう。どのような事情があったのか、その経緯と推移は分からないが、10年の南アW杯では現行のような左胸にエンブレムで、その上に日の丸というスタイルに落ち着いた。

▽新ユニフォームのお披露目は11月6日に行われる予定で、10日のブラジル戦が新ユニフォームのデビュー戦となる。どんな『青色』を採用するのかも楽しみだが、個人的には同じ『青』を基調にするフランスのような、“お洒落な"ユニフォームにして欲しいと願わずにはいられない。※画像は旧エンブレムです

【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。