「抽象的になりますが、やりたいサッカーは、チームとして組織力を持って、日本人の良さである連携、連動して、攻守ともに全員で戦うことです」とは、五輪監督に就任した森保一氏が、その就任会見でスタイルは? と問われて述べた台詞だ。

 サンフレッチェ広島で実績を上げたスタイルを土台にしていくのか? との問いに対しては、「これから選手を見極めながら考えていきたい。広島でやってきたスタイルは、自分の中に持っていますが、型だけではなく、個人戦術、グループ戦術、サッカーの原理原則は同じだと思うので、ベースアップを図りながら最良のスタイルで戦っていきたい」と答えた。

 これを受けて「私の方から何をやれ、これをやれと押しつけることは一切ありません」と述べたのは、傍らに座る田嶋幸三会長。また、西野朗技術委員長の言葉はこうだった。「戦術、自分のスタイルをブレずにやって欲しい。要求をストレートに出してもらって、一緒にチームを高めていきたい」。

 この就任記者会見は、言ってみれば決起集会だ。東京五輪に向けてプロジェクトを立ち上げ、その概略をご披露する船出の舞台である。「目標はメダル」(森保新監督)と言うならば、ひな壇に座る3人の出席者は、ファンに高揚感を与えるような具体的な戦略の中身を示す必要がある。

 なぜ、東京五輪の監督が森保氏なのか。会長、技術委員長は、まずなにより、この点をハッキリと述べるべきなのだ。選手は日本国籍を持つものの中からしか選べない。選択肢に限りはあるが、監督候補に縛りはない。無限に存在する。自国開催は、一生に何度も体験できない超ビッグイベントだ。そこでメダルと言うのならなおさらだ。特別なプロジェクトを編成するぐらいでないと「これは、いつもとは違うぞ」と、気持ちは高揚しない。森保氏だと言うなら、彼の魅力を会長、副会長は雄弁に語らなければならない。

 イベントの重要性と、メダル獲得という高い目標値を考えれば、森保氏は抜擢されたわけだ。その重責にどのような方法で答えるのか。これまた雄弁に語らなければならない。

 だが、それについて発した言葉は、ほぼ上記のみ。どんなスタイルで望むのかと問われ、「抽象的になりますが……」と、切り出されると、期待感はいきなり萎む。それに続く言葉も凡庸そのもの。オリジナリティのない一般論である。やってやるぞという気概が伝わってこないのだ。

 先日まで欧州を視察で回っていたという森保新監督。会見ではそこで気付いたことは何かという質問も出た。

 ピッチとスタジアムの一体感。選手個々の自己主張。その野心と、成功をつかみ取るためにしのぎを削る姿。答えはその2点で、そうしたところを選手に伝えていきたいと述べた。

 これまた、期待感を抱かせない台詞だ。いずれも、それこそ何十年も前から言われてきたものだ。こちらが期待していた話は、森保新監督のオリジナルな発見だ。選手に伝えたい話ではなく、自分自身の肥やしになったカルチャーショックだ。森保新監督ってどうなの? と、懐疑的な目で見るこちらを、少しでも納得させるエピソードである必要がある。肥やしになったものは間違いなくあったはず。それをなぜ、話そうとしないのか。

 こちらが欧州サッカーと日本のサッカーとの差を一番感じるのは、他ならぬ就任記者会見だ。森保新監督のような抽象的な話では、記者が納得しない。その矛先は会長、技術委員長にも向けられる。

 まず、会長、技術委員長は監督選びのコンセプトを語り、森保監督に辿り着いた経緯を話す。こういうサッカーがしたいから、森保氏なのだと。それを受けて森保氏は、自分の目指すサッカー、つまり、哲学や理念を語る。セールスポイントを語る。これが欧州サッカーの常識だ。