大人になってもつらい過去の記憶がフラッシュバックする(写真:freeangle / PIXTA)

「児童虐待」「幼児虐待」という言葉で、親からの虐待を子どもだった頃の過去の話だと勘違いしている人は多い。
しかし、虐待されると、大人になっても自己評価が低いままだったり、判断や決定の主体性が損なわれるなど、生きづらさを抱え続ける。虐待の加害者の大半が実の親である以上、親との関係をふまえ、「子ども虐待」と呼ぶのが適切だ。
日本の子どもにとって親は、絶対的な権力者である。子どもは、親という主人の命令に従わなければ、生きていけない。戦前で終わったはずの家父長制の亡霊は、今もなお核家族の親たちに取り憑いているのだ。虐待する加害者の親と、虐待される被害者の子どもとの間には、対等な関係もなければ、交渉の余地もない。それは、学歴・所得・家柄・地域・性別・職種を問わない。
ひとりっ子が増えれば、子どもは2人の親の前で抗弁するのさえ難しい。ただでさえ親と子の間には知力・体力・精神力・経済力に圧倒的な差があるのだから、どんな親も「毒親」になる可能性はある。
日本社会において家父長制の文化が消えない間は、子どもが親に対して何を感じようと親は無関心を装えるし、無関心でも世間から叱られることもなく、親の絶対的な権力が揺らぐこともない。
親にとって都合の良い子を強いられた人は、いつまでも奴隷のように無力化を強いられる。だからこそ、大人になって親から離れてようやくつぼみのような自尊心が芽生え、主体性を持とうとすれば、自分を傷つけた親への殺意さえ持て余すこともある。その思いを、あなたは簡単に否定できるだろうか?
『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO刊)に収録された100の手紙から、3日連続で1つずつ紹介していく。2日目の今日は、関東に住んでいる30歳の女性の書いた「親への手紙」だ。

保護監督の責任を支配に利用する親権者

パパとママへ。私が3歳か4歳くらいの頃、おばあちゃんが入院し、ずっと離れていたあなたたちと一緒に住まなければいけなくなった。

「パパ、ママ、あのね」って声をかけた時、パパは「おまえにパパって言われる筋合いねぇ」と私の頬をビンタ。

ママも「ママって言われると虫唾が走る。あっち行けよ」と蹴り飛ばした。びっくりして痛くて泣いたら「うるせぇんだよ。静かにしろよ」とパパに蹴られた。

ママは私の髪を引っ張って「ギャーギャーうるせぇよ、汚い顔して泣きやがって黙れ」って床に顔を押しつぶした。

私がジュースをこぼしたり、きちんとフォークやスプーンが使えないとビンタ。パパが「なんで使えないの? 犬か? だったらこうやって喰え」。

髪の毛を引っ張ってお皿に顔を押しつけて食べさせられた。ママは「笑える。ワンって言ってみな」って髪の毛を引っ張って頬をつねる。痛くて怖くて早く辞めてほしくて「ワン」って言ったら、「コイツ、ワンって言ったよ」と笑う二人。

それから私の食事は床に置かれた。スプーンやフォークは渡されず、手づかみで食べようとするとパパが殴る。ママは「おまえは犬。口で喰え」。髪の毛を引っ張られて、お皿に顔を押し当てられた。顔のまわりや服も汚れてしまう。ママが「汚ねぇな、しかも臭せぇし」って私の髪を引っ張ってお風呂場に連れて行き、冷たい水のシャワーで私の髪を濡らした。

寒くて「やめて」って叫ぶと、ママは「うるせぇよ」ってお風呂に私の顔を沈めた。苦しくてもがいて顔を上げ、泣き声を出したらまた沈められ、「おまえは臭い。汚いんだよ。きれいにしてやってるんだ。ありがたいと思えよ、クソが」。

どれくらい経ったのかな。意識を失っていて、気がつくと親戚のおばさんの顔が目の前に。あまりにも悲痛な子どもの叫びが響き渡り、ご近所の人が警察を呼んでくれた。叔母(おばあちゃんの妹)が駆けつけてくれて、なかなか家に入れようとしない両親を振りきり、私を探し回り、見つけて愕然としたそうです。

泣き声を出さないようになった

こんなことがあってもパパとママは逮捕されず、一層私を殴るようになった。大きな声で泣けば、もっと強く殴る、蹴る。私に声を上げさせないために。

だから、殴られても蹴られても泣き声を出さないようになった。大人になった今も、悔しかったり、かなしかったりすると手を噛む。声を出して泣けない。鏡を見ると自分の顔が汚い。パパとママが「おまえの顔は汚い」って言う声が、今も聞こえる。

こんな日もあった。私を置いてどこかでお酒を飲んできたパパとママは上機嫌。いつもは「あっち行け。目障りだ。視界に入ってくるな」って言われるのに、2人に初めて「こっち来い」って言われてうれしかったから、そばに行ったの。

パパが「おまえも吸ってみろ」って私の口にタバコを押し当て、煙が嫌で気持ち悪くて咳き込んだら、二人は「はい残念。ダメでした〜」って笑った。

「怒られる。殴られる」って思ってたから、パパとママが笑ってくれたこと、うれしかったんだよ。でも、ママは突然、私の腕にタバコを押し当てた。「ギャー!」って悲鳴を上げたら、ケラケラ笑い転げたね。

この時の跡、残ってるの。20年以上も経ってるのに。見るたびに思い出す。苦しくて怖くて痛くて、発作が起きるの。発作の間、あのケラケラ笑った声が頭から離れない。

あなたたちは離婚し、私のことなんて考えずに暮らしてる。でも、私は今もお風呂に入るのが恐怖。何度も何度も吐く。あなたたちの顔なんて思い出せないのに、恐怖感だけよみがえってくる。

私を殴る時、ママは叫んでいたよね。

「おまえのせいだ。おまえが悪い。私の体に一生残る傷をつけた。おまえなんか死ねばよかった。なんでまだ生きてんだよ」

大人になってわかった。私、逆子だったんでしょう? 正常の位置に戻れば自然分娩だったのに、戻らなくて帝王切開した傷がママにとって一生の傷だったから、私を恨んで殴り続けたのでしょう。私、どうすればよかったの?

ねぇ、パパ。いつもイライラしてたよね。パチンコに負けたり、仕事で思い通りにならなかった時、階段を上る音ですぐわかった。殴られる。蹴られるって。パパは私を見つけると、「気持ち悪い」って蹴り飛ばした。痛くて、怖くて、私、いつも土下座してた。ごめんなさい、ごめんなさい。悪くないのにずっと謝ってた。でも、やめてくれず、ずっと私を蹴ってた。

無言で蹴り続けてスッキリすると、いつも笑った。あなたたちが私にしたことは、思い出すたびに吐き気がする。思い出したくもないのに勝手に私の気持ちに入り込んで痛めつけてくる。

虐待された子は、虐待した親を殺しても罪に問われない。そんな法律ができるなら、私は喜んで実行する。最後に笑うのは私……って、そんな間違った正義を振りかざさないよう、毎日毎日自分と戦っている。

息を引き取る直前まで、おばあちゃんはこう言ってたの。

「パパとママを怨んじゃだめ。怨むなら、おばあちゃんを怨みなさい」

大好きなおばあちゃんを怨みたくない。悲しませたくない。ただそれだけの気持ちで、あなたたちを殺さずにいるの。だから早く私を解放して。これ以上、私を苦しめないで。人を怨まず、人を愛せる私になりたい。

今日も日本のどこかで…


上記のような虐待は、決して珍しいものではない。昨年(2016年)春、日本小児科学会は、虐待死の可能性がある15歳未満の子どもが全国で1年間に約350人に上るとの推計値を発表した。今日も日本のどこかで子どもが親に殺されている。

『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』に執筆できた100人は、そうした虐待から必死の思いで生き延びてきたサバイバーたちだ。

彼らがつらい過去を思い出しながらフラッシュバックに苦しんでも「親への手紙」を書き上げた勇気を思う時、あなたは「子育ての苦労もわかって」と言えるだろうか?