父が死に、蔵が焼けた絶望の12年。創業300年の酒蔵が「100年後に完成する日本酒」に託した想い

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こんにちは、熱燗DJつけたろうこと日本酒ライターのKENZOです。

最近は自宅にある日本酒のストックが50本を超えてしまい、現在広い家へのプチ移住を計画しております。(※本業はIT企業のサラリーマンです)

さて、以前に熱燗の特集記事で紹介させていただいた「燗酒Bar Gats」の店主・マサさんを覚えていらっしゃるでしょうか?

▼熱燗の特集記事
「日本酒は絶対熱くしろ!」酒蔵公認の“熱燗マスター“が熱燗にこだわり続けるワケ

この記事の中で、

「熱燗で飲むとそのお酒の特徴、特に米のうまみが引き出される。全量純米蔵っていう蔵になってくると、『お酒の良し悪し』だけではなく『お米の良し悪し』を気にし始める。だから蔵によっては地元の農家さんと契約して、有機栽培や無農薬栽培したお米を使った純米酒をつくってる。さっき飲んだ仁井田本家の『自然酒』なんかはまさにそう」

とのお話しにもあったように、良い日本酒について考えていくと、良いお米の探求に行き着くようです。そこで今回、福島県でお米づくりを大切にした「自然酒」を造り続ける、創業300年の酒蔵・仁井田本家さんを取材させていただきました。

そもそも、「自然酒」とは一体どんなお酒なのでしょうか。300年の歴史をもつ酒蔵の自然酒への想いをぜひご覧ください!

そもそも「自然酒」って何?

福島県郡山市にある酒蔵「仁井田本家」さんへやってきました。

▲「仁井田本家」と書かれた表札

入って早々「自・然・酒!!!」と書かれた木桶がお出迎え。

か、かっこいい…!

酒蔵におじゃまする時は、いつもワクワクします。それぞれの蔵に何十年、何百年と歴史があるので、蔵ごとに個性が全く違います。今回の仁井田本家さんは、一体どんな蔵なのでしょうか?

仁井田本家さんの関係者らしき方に「本日、取材にきたライターです。代表の仁井田穏彦(やすひこ)さんは、いらっしゃいますか?」そう伝えると、「代表を呼んでくるので、ちょっとこれ食べて待っててください」との返事が。

そう言って渡されたのが、

「え?おにぎり・・・」

唐突すぎて、おにぎりをもったままボケっとしていると、「豚汁もどうぞ!」。

「豚汁・・・!?!?!?」(おにぎりも増えてるし…!!!)

酒蔵に来たはずだよな…?そう思っていると、なにやら人が集まっているスペースがあるぞ。

なるほど、どうやらこの日は酒米を近所の方々と一緒に収穫する日だったようです。

▲酒米の収獲の様子

午前中に収穫が終わり、ちょうどお昼休憩のタイミングに僕がたまたまおじゃまして、たまたまご飯をご馳走になったわけです。

このおにぎりが、めちゃめちゃおいしい。具が入っていない塩おにぎりなのに、なんでこんなにおいしいんだ。

お待たせしました。仁井田本家の18代目当主・仁井田穏彦(やすひこ)です。

はじめまして、ライターのKENZOです。本日はどうぞよろしくお願いします。早速、おにぎりと豚汁をいただいてしまって。本当においしくて、遠慮する間もなく食べちゃいました。

美味しいですよね。おにぎりは自社田で作られた無農薬で自然栽培のお米のおにぎりで、豚汁は無農薬で育てられた野菜がたっぷり入っているんですよ。

おお、蔵の周りはお米も野菜も含めて全てオーガニックなんですね!

ええ、自然酒の蔵なので、お米や野菜はすべて無農薬で栽培したものばかりです。

徹底されているんですね。そもそも「自然酒」というのは、どのようなお酒を指すのでしょうか?

自然酒は、無農薬・無化学肥料で、さらに無肥料栽培されたお米を使用して造られた純米酒をそう呼んでいます。

なるほど、つまり自然の力だけで造られた日本酒なんですね。

そうです。せっかくなので、私たちの田んぼを見てみますか?

ぜひ!!!

自然酒を造る理由は、後世に元気な田んぼを残すため

▲蔵から徒歩5分程度の場所に酒米を栽培している田んぼがあります

お米も蔵で栽培をされているんですね。

はい、仁井田本家で造る酒は、最終的にすべて自然栽培米で、この村の天然水で、微生物(酵母菌や麹菌)もすべて蔵付きという、自給自足の日本酒造りを目指しています。

おお、すごい…!目指している、ということは今はまだそうではないんですか?

今のところ酒米の一部だけは、無農薬ですが有機肥料を与えて栽培しているお米を使用しています。

*注・・・自然栽培米(無農薬・無肥料栽培のお米。銘柄「しぜんしゅ」と「田村」に使用)、有機栽培米(無農薬・無化学肥料で有機肥料栽培のお米。銘柄「穏(おだやか)」に使用)、それらで造るお酒を総称して仁井田本家では「自然酒」と呼んでいます。

酒米から自分たちで作り、しかも無農薬でとなると、そんなことをしている酒蔵を僕は知りません。他の蔵はなぜやらないんですか?

儲からないからです(笑)。

シンプルだった。

自然栽培米の場合、農薬や化学肥料などを上手に使った農法の半分くらいしか収獲できないんです。半分獲れないっていうよりも、そういうものを使うと本来の2倍獲れると言ったほうが正しいかもしれません。

なるほど。あえて大変な農法を選ばれたのはなぜですか?

次の世代の子供たちに、元気な田んぼを残したいからですね。そのために、僕の代のうちからこの村で循環型の日本酒造りをやっているんです。

▲景色一面に広がる自然栽培米の田んぼ

自然酒を造る理由は、おいしい日本酒を造るためを超えて、後世に良い田んぼを残すためだったんですね。

農薬や肥料を何も使わなくてもおいしい米がとれる。それが仁井田本家の自慢ですね。

「あんたらに自然酒の何がわかる!?」日本酒不況で突如渡された社長のバトン

仁井田さんは、今までずっとそうした想いで自然酒を造ってきたんですか?

いえ、全然。昔は尖ってましたよ(笑)。先代の親父を越えようと必死でした。

えええっ!?かなり意外です!(笑)

僕が修行から蔵に戻ってきた頃も、自然酒が一番の主力商品だったんですね。それ以外にもいろんなお酒があって、その中で僕が「穏(おだやか)」という新ブランドで、「親父の自然酒の販売量を超えてやろう」と息巻く時代がありましてですね。

▲穏(おだやか)

おお、穏(*)はそうした経緯で生まれたんですね。

*注・・・「穏」は仁井田本家の自然酒とは別のラインの日本酒。わかりやすくいうと、ユニクロとGUのようなもの。

当時の「穏」は、慣行栽培米(農薬などを使用して栽培されたお米)で、それこそ山田錦や雄町(*)を他から買ってきたりして、いわゆる吟醸酒を造っていたんですね。それ以外にも醸造アルコールを添加した普通酒もあったし、本醸造酒もありました。

*注・・・山田錦・雄町は、それぞれ酒米の品種名。

今では、アルコールを添加した本醸造酒を一切造らず、すべて純米酒の仁井田本家さんからは想像がつかないですね。自然酒はお父様が始められたんですか?

はい、自然酒は親父の代で初めて造られたお酒なんです。

はじめはお父様をすごくライバル視されていたんですね。

親父の頃(昭和50年代)は、日本酒全体がすごく売れてたピークの時代なんですよ。日本酒を造れば売れていた。その日本酒のピークから落ち始めたときに、僕が社長になるんですよ。

出典:「酒のしおり(平成17年2月)」(国税庁)を加工して作成

画像引用元:https://www.nta.go.jp/shiraberu/senmonjoho/sake/kasseika/hokoku/pdf/02.pdf

だから経営的な危機を感じながら、日々潰れるんじゃないかと思っていましたね。このままじゃいかん、「穏」でなんとしてもヒットを打つんだ…!という一心でした。その頃はすごくトゲトゲしかったですね。

今はそのトゲトゲしさは全く感じないです…!(本当に、「穏彦」という名前の通り「穏やか」な方だったんです)

ほんとに毎晩喧嘩してました(笑)。

何が「穏やか」だと(笑)。

親父を超えなきゃいけない、仁井田本家を守らなきゃと常に思っていて。そんな中で社員からは「親父の頃はすごく儲かっていて、ボーナスもいっぱい貰っていたのに」と言われ、俺はなんてダメな経営者なんだろうと落ち込みましたね。そして、飲み屋へ行っては「お前らに何がわかるんだ!」みたいなこと言ってたらしい…っていうか言ってた。

うわぁ……辛い時期ですね。業界の波と蔵の波がすごくきついタイミングの当主(社長)をされてますよね。

親父は日本酒業界ではすごい業績を残した人だったんですよ。うちの蔵を、売り上げで言うと10倍くらいにした人。その親父が偉大だっていうのもあって、そこに男としてすごいコンプレックスを感じていたんですね。実は親父から引き継いだ当時、親父は脳腫瘍を患っていて生きてはいるけど息をしてるだけの状態で、一番大変な時期に親父に相談できないというのはやっぱりきつかったですよね。

偉大で、受け継ぎたいけれども、それについての話は聞けないと。仁井田さんは、何歳で当主になられたんですか?

僕は28歳で当主になりました。

若い。

若いんですよ。親父の命が危ないということで、急遽当主が僕に代わって。当主になったはいいものの、売上の下げ止まりにブレーキは効かない。それも業績はゆっくり下がるんじゃなく、ぎゅーんって急降下。その頃の社員は何もしなくも酒が売れる時代を知ってるから、全く手を打たないで「あれ?最近何か酒が売れないな?」くらいの危機感だった。のほほんとした雰囲気の中で、僕1人だけがピリピリしていました。

誰もわかってくれなかったんですね。

しかも、僕からしたら親代わりだったような社員から、ある日突然「お父さんやお母さんには良くしてもらったけど、あなたにはついて行けません」みたいな手紙をもらって。あの時は、さすがにかなりへこみましたよね。その件があってからは、さらに荒れました。

触れるものすべて傷つけて、みたいな。

良かれと思って「自然酒、今の時代に合わないんじゃない?」と助言してくれる人にも、「あんたらに自然酒の何がわかるんだ!?」とつかみかかる勢いで怒っていたらしい。今では笑い話ですが、すごく仲のいい酒屋さんにも「あの頃のあんた、最低最悪だったな」と言われます(笑)。当時の僕は訳も分からず社長になって、何とかしなきゃという意地だけだったんです。

ああ……。

ほろ苦い思い出がよみがえってきましたね(笑)。

3年ごとに厄災が降りかかる絶望の12年

▲仁井田本家の酒蔵に戻って、さらに話は続きます

僕、平成6年に当主になったんですね。そこから3年後の平成9年に親父が亡くなった。その3年後の平成12年に、18年間蔵を支えてきた番頭さん(今でいう専務)が心臓発作で急死した。さらにその3年後の平成15年に、今度は蔵の頭(酒造り社員責任者)が事故で死んだんです。僕にとって大事な人が3年ごとに亡くなっていく、それも僕が社長になってから3年置きにずっと続くと。

ただでさえ蔵の経営危機に、大事な人が亡くなっていく…。まさか、その3年後の平成18年にも何か…?

平成18年は、蔵が火事になったんです。

火事…!!!

いま振り返るととんでもないですよね。でも、当時は平成18年にも絶対に何かあると予想していて、火事になって、あぁこれかと。

予感が的中してほしくなかった。

でも、過去の3回は大事な人が死んでいるから、今回こそは人を死なせたくないと「火事だ!みんな逃げろ!蔵は燃えていいからっ!」とみんなに言った記憶があります。そこが室(むろ)という場所で、断熱がすごかったので1棟が燃えただけで燃え広がることはなく済んだんですが。

立て続けにそんなことが起きたら、僕なら精神がまいりますね。

おかしなことを言うかもしれませんが、そのときの僕は不思議なことに、「ようやく人が死ななくなったぞ!」と受け止めたんです。

いや、でも火事ですよ?

そうなんですが、人が亡くなることに比べたら、火事なんて小さなことじゃないですか。僕が当主になった平成6年から数えて負の12年、12年ってちょうど干支じゃないですか。なんかこう、負のサイクルが一回りして終わった感じがしたんですよ。でね、次の3年後に……。

え、次の3年後に?(ゴクリ……)

……子供が産まれるんです。

おおおーーーっ!(良かった!!!良かった!!!聞いているだけで嬉しい!!!)

ずっと人が亡くなるサイクルから、第一子が誕生したのはさすがに嬉しかった。子供が産まれることで、この子の世代のためにできることをしたいと、当主としての覚悟が決まりました。そこで、新たな一歩を踏み出す決意をして、農薬や化学肥料を一切使わない自然米100%、天然水100%、純米酒100%にこだわり抜いた自然酒造りをするという「自然派宣言」を仁井田本家の創業300年(平成23年)のタイミングで大々的に発表しました。

創業300年の節目で「自然派宣言」。

そうです。創業300年の節目に「自然派宣言」をして、やっと蔵の業績も良くなってきた。

はぁぁ、よかったーーー!やっぱり、悪いことがあれば、良いこともありますよね!

ですよね。よし、これからだ!やってやるぞ!と。その自然派宣言をした創業300年、まさにその年に「東日本大震災」が起きたんです。神様は意地悪だと思いましたね。

・・・・・・。

創業300年の危機を乗り越える、それが僕の使命

原発事故の当時は「自然派?ありえないでしょ?」みたいな風潮でした。福島のお酒で「自然派」と謳っているだけで、みんな敬遠しますよね。

事情がわからない人たちからすると、福島県っていうだけで、福島も広いのにすべて一緒くたにされてしまうんですね。

しかも、無農薬とか、自然栽培っていう点で仁井田本家のファンになってくれた人たちまで、福島の震災の後はちょっとムリですね、となるわけです。そこでまた、「俺が何をしたんだ!?」という時期を迎えるわけですよ。

くぅ……。

たまたまその時期に女房が2人目の子供を身ごもっていて、当時は郡山市の状況もわからなかったので、すぐに女房たちは東京に逃げさせました。それから3ケ月くらいは、家にずっと1人でいたんです。ずっとテレビやラジオを聞きながら原発の様子をチェックして、酒の仕込みをして、誰もいない家に1人で帰る。

(泣きそうだ・・・)

こんなに一生懸命やって来たのに、なんでこんな仕打ちをするんだと震災から一週間くらいはずっと思っていた。でもね、ある時ふいに「今までの17人の当主も、きっと大なり小なりこういう思いをして、次の世代にバトンを繋いできたんだろうな」と考え方が変わったんです。「この300年の一大事は俺じゃなきゃ越えられない。だから、俺が選ばれてここにいるんだ」と1人で思うわけです。

うんうん。(感情移入しすぎて少し泣いてる)

「俺は次の世代に繋ぐことが使命だ。何十年と繋いできた自然栽培の田んぼが村中に広がっている……それがいつか子供たちにとっての武器になるんじゃないか」そういうことを誰もいない自宅でずっと考えてるわけですよ、カップラーメンとか食べながら。

自然栽培米を作っている人がカップラーメン…。

そうです。もう震災の時は、何もなくなっちゃったじゃないですか。ガソリンもないから移動もできないし。

家で1人でカップラーメンを食べながら、酒蔵の再起や子供たちの未来をずっと考えていた。

そう。たしかに、あの日から何かが変わったんですよね。それで、村中の田んぼを無農薬にしようじゃないかと。そこが僕の最終目標だとストンと腑に落ちました。

なるほど。

幸か不幸か、震災をきっかけに、県内の有機栽培の仲間もすごく増えました。そのつながりは今でもありがたい僕の財産です。有機栽培をしてる人に酒米を作ってもらって、それをうちが買う。そういう関係を続けるうちにつながりは深くなって、県内の有機栽培の農家さんと連携ができるようになっていきました。

100年先の未来を描き、いま米をつくる

先ほど、お話にあった「自然派宣言」というのはどのような宣言だったんですか?

2011年の仁井田本家300年を期に、蔵で造っているお酒は全部、全量純米・全量無農薬ですと宣言したんです。

様々な出来事が重なって、今の全量自然酒蔵(生産するすべてが自然酒の酒蔵)になったんですね。

今は、とにかく元気でいされてくれと毎日神棚に拝むんです(笑)。80歳まで元気でいたい。親父が早く病気で倒れたので、そういう思いを子供にさせたくない、元気でいさせてくださいと。

▲仁井田さんのご家族

おそらく穏彦さんの中で「元気でいさせてください」と拝む心中には、色んな叶えたい未来が集約されてるんでしょうね。

そうですね。80歳まで生きていれば、村の田んぼを無農薬にしていくのを進められるし、子供たちのお手伝いも出来るかもしれないし、進むべき道に少しでもガイド役が務められるかもしれない。あとは、きちんと収入がないと繋いでいけませんので、ある程度田んぼでも収入を上げていかないと。

なるほど。

いつか村の田んぼを譲ってもらって、どんどん自然栽培を広げていって地力を上げる。それを次の世代に手渡してあげたい。

だから、受け継いでどんどん良くしていくと。

そう、うちの蔵もどんどん酒造りの技術を次の世代に引き継いでいって、田んぼも引き継いでいって、最終的にはフランスの特級畑みたいにしたい。ここの米で作った酒はグランクリュ(ワインの特級畑)だ!というような。

日本酒界のグランクリュ!!

そういうのってやっぱり、1人の一生の時間軸を超えて繋いでいかなきゃできない。自分の一生を超えて繋いでいく仕事ってかっこいいし、すごくやりがいがある仕事ですよね。

はい、すごくかっこいいです。

僕が死んだ後にきっと僕の子孫たちは相当すごい米を作ってるだろうなと、妄想するわけです(笑)。

すごい米でうまい酒を!想像するとよりやる気になりますね。

そうですねぇ。しかも、孫の代が自然酒を飲みながら「あの震災を乗り越えた18代目は、歴史上の人物だ」と語るわけです(笑)。

ワクワクしますね!! 今は世の中のサイクルがすごく早くなってるじゃないですか。やっぱり自然と関わるならば、長い目で見ていかないといけないんですかね。

そうですね。今の世の中は、自分の生きている間にどれだけ功を成すかが中心になっているけれど、100年の単位で考える生き方もあってもいいんじゃないのかなぁ。

そうですね。(す、すごい境地だなぁ…)

もしかしたら、この村中の田んぼを自然栽培にするのは、僕の代では成し得ないかもしれないけど。言い続けていればいつかは叶うだろうって思うし、子供たちが同じ想いでそれを受け継いでくれたら嬉しいかな。そういう夢を自分たちの次の代に託せる仕事ってすごく魅力があるなと、最近思うようになりましたね。

素敵すぎる!過去の辛かった経験があるからこそ、より強く次の世代に残そうと思ったんですかね?

そうですね。僕も大人になってから、決して親父と競うのではなくて、親父の残したもの、そして僕の残したものをどんどん厚みを持たせていって蔵の財産にする。で、僕が残すべき財産は、村中に無農薬の田んぼを増やすことなんです。それが仁井田本家のスローガン、「日本の田んぼを守る酒蔵」につながるわけです。

新たなる門出、100年後に完成するお酒。その未来に夢を馳せる

そして、創業300年の年から新しく始めた「100年貴醸酒」というお酒があります。「貴醸酒」というのは、仕込み水の代わりにお酒を入れて仕込むんです。つまり、お酒でお酒を仕込むのを貴醸酒というんですけど、その中でも貴醸酒で貴醸酒を仕込むのを「再仕込み貴醸酒」と言います。うちの貴醸酒は創業300年の年にできた貴醸酒を原料にして、次の年にまた貴醸酒を仕込むと。翌年はその貴醸酒で次の貴醸酒を仕込む。

おお、老舗のうなぎ屋のタレみたいに!

そうそう。で、それが100年継ぎ継がれると、ちょうど仁井田本家の創業400年。その時にはじめて完成する「100年貴醸酒」を造りたいなと。

100年後に完成する日本酒!スケールが壮大すぎる!

100年後、自分の子供はどうなってるかなとか、日本はどうなってるんだとか。そういうのを話題にしながら飲んでほしいですね。

ロマンがありますね!

あとは、2017年に子供が生まれたとする。その子供は2037年にハタチになるから、2017年にできた「100年貴醸酒」を買って押し入れにいれておいて、20年経ったらそれで子供と乾杯しよう、みたいな時を刻む酒になってほしい。

時を刻む酒か〜!

100年貴醸酒を造りはじめたのが震災と重なっちゃったから、100年貴醸酒が完成する年は震災からもちょうど100年。さすがに原発の風評被害も収まってるだろうなと。100年貴醸酒が完成する時は、もう福島もカタカナの"フクシマ"で世界的にどうのこうの言われなくなってんじゃないの?と。

うんうん。

逆に100年後には、「福島といえば、自然栽培の田んぼしかない場所だよね」と世界的になったらすごいことだし、その「100年貴醸酒」が完成した時には福島はもっと良くなっている、そういう夢を馳せて飲もうじゃないかと。

▲百年貴醸酒

そして、今度の2017年11月1日に自然酒50年も記念してリニューアルをするんです。

おおおおおお!

ラベルを極力シンプルにして「自然な姿」にしました。

▲リニューアル後の「しぜんしゅ」

かなり思い切ったデザインの変更ですね!

そうですね。仁井田本家は、この自然酒のおかげで自然米100%・天然水100%・純米酒100%の酒蔵となり、我々が目指している「日本の田んぼを守る酒蔵」にまた一歩近づきました。そういった意味では、まさに仁井田本家の原点ともいえるお酒です。この自然酒が今年で発売50周年を迎えるので、自然酒の味わいはそのままに外装の箱や包装をなくすことで環境に配慮し、ラベルをひらがなにすることで、装いを伝統的かつシンプルで自然な印象にリニューアルしました。

そういった想いでのリニューアルなんですね。

自然米の旨み・甘みを最大限に引き出した、濃醇甘口の味わいを楽しんでいただけるはずです!

おお〜!しぜんしゅ、楽しみにしています!

***

いかがでしたでしょうか?

若くして蔵元になり、偉大なる父親の死を経験し、度重なる困難を乗り越えた末にたどり着いた原点回帰の「自然酒」。その自然酒をより良いお酒にするために自然栽培米を作るという選択。

そして、自然酒を造り続けることで「後世の日本に良い田んぼを残す」という道を選び、17代・17人が受け継いできたバトンを18代目の自分が19代目、20代目により良いかたちで渡していく。

日進月歩、たえずテクノロジーが進化していく現代において、100年先を見て今を生きる。今の自分は100年後に向けて何を成すべきなのか? そんな視点でお酒を造る。

仁井田さんは「まずはお米で儲かるようにならないといけないんですよ」と謙遜しながらお話をされていましたが、その目には自社の蔵だけではなく子の代、孫の代まで続く日本の田んぼを後世に残すという確固たる信念を感じました。

その昔、亀の尾という日本古来の酒米が一人の蔵人の強い想いから、約100年の時を経て新潟の地で復活しました。そしてその想いは時と場所を超えて、福島の地にも根付いて「自然酒」となっています。

▲仁井田さんからいただいた自然栽培された仁井田本家の酒米「亀の尾」

想いを抱き、ものづくりを続けることで未来をつむぐ。福島の地で丹精込めて作られている酒米の稲穂は、蔵元が想い描く未来への実りでした。

この記事を最後まで読んでいただいた皆様、ありがとうございました!仁井田本家さんが造る自然酒に興味を持たれた方は、下記のサイトから購入をよろしくお願いします!

・リニューアルされた「しぜんしゅ」の購入はこちらから

※どんなに購入いただいてもRettyにもライターKENZOにも1円も入りませんのでご安心ください(笑)。 全ては日本の田んぼの未来にお金がまわります!

(編集者・山田和正/ライター・KENZO【熱燗DJつけたろう】)