春香が、24歳のとき。

心から愛していた男が、ある日忽然と姿を消した。

その日から、春香の時計の針は止まったまま。食事会に行っても新しい恋人が出来ても、まとわりつくのはかつて愛した男の記憶。

過去の記憶という呪縛から逃れることのない女は、最後に幸せを掴み取る事ができるのか?

最愛の恋人・祐也が姿を消してから、祐也への未練を吹っ切れずにいた春香。

ある日、街中で祐也に似た後ろ姿の男を見かけるが、全くの別人だった。ところが、たまたま顔を出した飲み会で、その男・慶一郎と再会してしまう。




春香は、東銀座のビストロ『ヌガ』で、恵子や他の大学時代の友達と集まっていた。シャンパンで乾杯をし、女たちはお決まりの近況報告に夢中になる。

早速、先日知り合った慶一郎のことが話題に上り、春香は尋ねた。

「ねえ…恵子って慶一郎くんと同じサークルだったんでしょ?彼ってどんな人?」

春香たちの出身校は女子大だが、恵子はインカレサークルに所属していたため男友達が多い。そういえば祐也と知り合った飲み会に春香を連れて行ったのも、恵子だった。

「もしかして春香ったら、慶一郎のこと気に入った?早くも新たな恋の予感かな!?」

興奮して騒ぎ始める恵子を、春香は慌てて制した。

「いや、むしろちょっと困ってるの!ものすごくグイグイくるのよ」

「グイグイって、例えば?LINEが毎日来るとか?」

春香が頷くと、恵子は呆れて呟く。

「この間までLINEがマメじゃない男はいやだって言って別れたばっかりなのに、ワガママな子ねえ…」

先週の飲み会で知り合った翌日から、慶一郎は毎日欠かさず連絡をしてくるのだ。

やはり人は、追いかけられると逃げたくなるものなのだろうか。朝も夜も必ずやってくる、慶一郎からのLINEの嵐に、春香は戸惑っていた。

「でも春香、気乗りしないのにいちいち返信するの?私だったら既読スルーしちゃうかも」

口を挟んだ女友達を、春香は恨めしい顔で見返した。

「私もそう思って一度スルーしてみたんだけど…そしたらなんと電話がかかってきたのよ。元気?って」

すると恵子がぷっと吹き出した。

「いいじゃない、今時そんな肉食男子、稀に見る存在だよ。彼はメガバンク勤務で優秀だし、いい話だと思うな」

恵子はにやにや笑いながら春香を見つめている。


春香は、祐也の目撃情報を耳にしてしまう


「とにかく私は、現代に於ける希少な存在・肉食の慶一郎推しだわ。慶一郎に一票」

恵子を筆頭に、他の女友達たちも続けて、私も一票、と口々に言いながらまっすぐ手を挙げている。

-ありがたいお話かもしれないけど、私は慶一郎くんには興味ないや…。

春香は苦笑いしながら、化粧室へと席を外した。


変わっていなかった、あの人


春香が化粧室から出ると、彼女たちがこそこそと話をしているのが見える。気になって、そっと耳を澄ませながらテーブルに近づいた。

「いい?その話は絶対に秘密よ。春香が聞いたら動揺しちゃうから。まさか祐也くんを見かけただなんて…」

-えっ…どういうこと?

春香は恵子の言葉に驚いて、思わず手に持っていたポーチを床に落とした。

その音に一同が振り返り、春香に気がついて慌てている。

「春香…今の、聞いちゃった?」

おどおどしながら尋ねる恵子に向かって、春香はこくんと頷いた。

「うん、聞いちゃった…。どういうことか聞かせてくれる…?」

祐也を見かけたという女友達は、話せと言って一歩も譲らぬ春香に根負けし、しぶしぶ話し始めた。




彼女が祐也を目撃したのは、先週のこと。営業先で訪れていた大手町の会社の近くでの出来事だ。

春香の知る限り、祐也は大手町に本社のある大手石油会社で働いている。友人が祐也を見た場所から考えると、どうやら今も仕事は変わっていないようだ。

あまりに驚いて、祐也に声をかけそびれてしまったが、彼の外見は当時と何ら変わっておらず、さらにすこぶる元気そうだったと言う。

「春香、大丈夫…?」

一通りの話を聞き終えたところで、恵子が心配そうに尋ねた。しかし春香はきっぱり言い返した。

「うん、大丈夫だよ」

今まで春香は、もしかしたら祐也は、病気や事故に遭って連絡が取れなくなった可能性もゼロではないと考えていた。長い間彼を待ち続けてしまったのも、そのせいだ。

「でも、そんなに元気そうだって聞いて、やっとわかった。きっと私は、ただ無言でふられただけ。逆にふっきれたよ」

にっこり笑って皆を見渡すと、恵子がしみじみと言った。

「春香…いつのまにか成長したね…」

全く動揺していないと言ったら当然嘘になる。

だけどこれ以上、友人たちに心配も迷惑もかけたくない。だから、まるで何事もなかったかのように平気なふりをするしかないのだ。


突然途絶えた、肉食男からの連絡


恵子たちと別れた帰り道に、春香は気を取り直してポケットから携帯電話を取り出した。

-慶一郎くんからのLINEが溜まってるんだろな…。

少しうんざりした気持ちでLINEを開いたが、なぜか今日に限って、彼からのメッセージは一通も届いていないようだ。連日のぐいぐいアプローチに疲弊していた春香はホッとした。

-へえ…珍しい。こんな事もあるのね!

ところが、翌朝ハッと気がついた。毎朝7時ちょうどに必ず来ていたおはようLINEも、今日は来ていないのだ。

夜になってもやっぱり、慶一郎からLINEはおろか電話もなく、なんだか妙な気持ちになった春香は、次第にスマホをひたすら気にするようになっていた。


慶一郎は、どうして突然連絡をしてこなくなったのか?




そして丸二日が経過した日の夜。突然、電話の着信があった。

相手は、慶一郎だ。

「もしもし。春香ちゃん、全然連絡できなくてごめんね。スマホが水没して電源入らなくなっちゃって、修理したりしてバタバタしてた!」

-ごめんねって、彼氏でもないんだから謝らなくてもいいのに…。

心のうちではそんなことを思いながら、いつのまにかヘラヘラ笑っている自分に気がついて、すぐ我に返る。

-あんなに嫌がってたのに、私ってばなんで喜んでるの!?まさか押して引くという昭和な作戦に引っかかってしまったわけ!?これじゃ向こうの思う壺じゃない!

春香の葛藤に気づく素振りもなく、慶一郎は嬉しそうに尋ねた。

「久しぶりだね。元気にしてた?」

「うん、別に普通だけど…」

春香は、動揺を隠すように、できるだけ素っ気ない調子で受け答えを続けていた。

「明日は何してるの?」

突然尋ねられ、一瞬返事に詰まる。明日は土曜日だ。おそらく慶一郎はデートに誘おうとしているのだろう。

「明日はまあ、空いてるといえば空いてるけど」

少し突っ張った態度で答えると、一瞬ふたりのあいだに沈黙が流れた。

「…あ、ごめん。そういう意味じゃなくて。ただ何して過ごすのかを聞いただけなんだ。逆に俺、明日は予定があって空いてなくて…まぎらわしくてホントごめん…」

慶一郎が申し訳なさそうに答える。

-えっ!?まぎらわしいにも程があるでしょーーー!!!

そう叫びたいのをなんとか堪えたが、恥ずかしさで今すぐ電話を切りたいくらいだ。するとそんな春香を気遣ってか、慶一郎は明るい声で言った。

「そうだ!明日、春香ちゃんも一緒に来る?引っ越したばかりの男友達からホームパーティーに誘われてるんだけど、友達連れてきてもOKらしいから!一緒に行こう」

少し戸惑ったものの、今更あとに引くことも出来ず、承諾して電話を切った。

-ホームパーティーかあ…。せっかくだし、なんか手料理持って行っちゃう?!

気がつくとルンルン気分で、スマホで「レシピ ホームパーティー」と検索している。こうして春香は翌日に備えるのだった。


突然の再会


翌日の正午、麻布十番駅で慶一郎と待ち合わせをした。向かった先は、駅から少し歩いたところにあるデザイナーズマンションだ。

-家主ってどんな人かしら。こんなおしゃれなところに住んでるなんて、いいなあ。

エレベーターの中で、春香はなんだかドキドキしていた。

「慶一郎、いらっしゃい。みんなもう来てるよ」

到着した2人を出迎えた人物を見て、春香は言葉を失った。

その家主は、あの祐也だったのだ-。

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ついに祐也と再会したホームパーティー。動揺する春香にさらなる災難が降りかかる