■一世を風靡した名車「シルビア」の復活

かつて、「時代の空気」というようなものがあった。場の空気なんか読む必要もなかった頃、私がそれを感じた1970年代には、既に当たり前のようにあったから、多分、もう随分昔からあったのだろう。今から考えると不思議なのだけど、特に意識しなくても、音楽が、映画が、テレビ番組が、ファッションが、家具が、文房具が、車のデザインが、時代に合っていてカッコいいか、時代遅れでカッコ悪いかがハッキリしていた。それが分からない人がいるのが不思議で、カッコ悪い製品を出すメーカーが何を考えているのか分からなかった。

正解は目の前に自明のようにぶら下がっていて、その正解にどのように自分の個性を載せるかだけが問題だった。まるで、「オズの魔法使い」のオズの国のように、「これからは赤だな」とか、「もうそろそろ青の時代だね」とか、ファッション雑誌が敢えて仕掛けるまでもなく、流行に敏感とかそういうこともなく、普通に分かるものだった。むしろ、流行に敏感だと思っている人の方が出遅れるような、そんな時代だった。

だから、記憶は時代の空気と密接に結びついている。「何故、それが復活するのが、そんなに喜ばしい?」というようなものに、おじさん、おばさんが狂喜するのは、その「何か」が、自分が遊んでいた時代そのものだったりするからなのだ。それが、日産「シルビア」の復活のニュースであり、吉田秋生「バナナフィッシュ」のアニメ化であり、「ブレードランナー 2049」の公開なのだ。

■おじさんが「ホイホイ」するモノも色々

「おじさんホイホイ」という言葉があるけど、別に懐かしモノなら何でも良いと云う訳では無い。そして、「ホイホイ」引っ掛かるおじさんたちも色々だ。「シルビア」が復活するのに何の感興も覚えないおじさんが、「ブレードランナー」には狂喜するし、村上春樹の新刊は読まないおじさんが、雑誌「奇想天外」の復活に泣いたりする。

面白いのは、例えば「スター・ウォーズ」のように、時代の空気の中で生まれたのではなく、時代の空気を作った作品に対しては、「おじさんホイホイ」とは呼ばない。また、「ドラえもん」や「仮面ライダー」のような、もはや普遍的に存在するような偉大なモノに対しては、時代を超えてしまっているので、別格として扱われる。また、極端にマイナーというか、当時でさえカルトな人気だったものは、復活して喜ぶおじさんの数も少な過ぎて、現象そのものが誰にも気付かれないが、それはそれで一部で凄まじく熱い事になっていたりする。例えば、未だオリジナルアルバムがCD化されていない「ダディ竹千代と東京おとぼけCats」のような、本当に時代の空気の中で静かに熱く存在していたバンドの音源がボックスセットで出る、なんてことになったら、誰も知られないところで凄まじい争奪戦が繰り広げられることだろう。

■東京モーターショーで発表されなかったワケ

ただ、日産「シルビア」の場合、確かに、時代の空気と共にあった車には違いないけれど、いくつかの時代に、それぞれに合わせてモデルチェンジしているため、同じように「シルビア」で盛り上がっていても、そこにはいくつかのレイヤーがあり、その盛り上がりの内実もそれぞれだ。今年のモーターショーで発表という噂が、結局噂で終わったのは、案外、そのあたりに原因があったのかも知れない。それぞれの時代の中で「シルビア」が担っていたポジションである、「行き過ぎないスタイリッシュさ」、「女性がスポーティーに乗れる運転性能」、「手頃な高級車」といったポジション自体が、既に、今の自動車市場では魅力的ではないという判断がもしかしたらあったのかもしれない(知らないけど)。

映画や音楽、マンガなら、それに触れれば、いつでも、その時代の空気を感じる事ができる。エンターテインメントというのは、そのためにある装置のようなものだから。しかし、自動車は違う。その時代の空気の中で走ってこそ、その価値を感じられるものなのだ。「デートカー」と呼ばれた車で、今走る事が、当時の再現になるかというと、それは難しい。しかも、思い描く時代が世代によって違うのだから、おじさんホイホイとひと括りに出来るものでもない。青春時代の数年違いは大きいのだ。80年代なんて、1年未満で時代の空気が変わっていたのだから。ほんと、忙しない時代だった。