母親の足音や気配にいつもびくびくしながらすごしていた(写真:asu0307 / PIXTA)

1997年、僕はメディアワークス(現アスキー・メディアワークス)から「Create Media」名義で『日本一醜い親への手紙』という本を編集した。子どもの頃に親から虐待された人から「親への手紙」を公募し、100人分を収めたほかに例のない本だ。
今年20年ぶりに新たに公募を実施し、10月上旬に『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO刊)というタイトルで売り出した。選者・解説は、臨床心理士の信田さよ子さん、LGBTアクティビストで性虐待の被害経験のある東小雪さんが担当した。
10〜50代の男女100人が書いたこの本は、20年経っても変わらない「子ども虐待」の現実と、被害者の痛みを浮き彫りにしている。
タイトルから「親への恨み言ばかり書かれているはずだ」と勘ぐる人もいるが、読めば真っ先に伝わってくるのは「痛み」だ。
そこで、本書に収録された手紙100通のうち3通を3日連続で紹介したい。初回に紹介するのは、関西に住んでいる46歳の女性の手紙だ。

子どもの自尊心を壊し、カネを無心する母親

母へ。あなたの足音や気配にいつもびくびくしながらすごしていました。

初潮が来た時は「他の子より早い。ませてる」と言い、ナプキンの使い方がわからず困ってる私を無視。私は下着を汚し、自分が汚い存在に思えてトイレで泣きました。翌日、あなたはめんどうくさそうにご近所に「早々に生理が来て恥ずかしい」と言いながら赤飯を配り、私は「私は恥ずかしい人間。人に迷惑をかけぬよう、母の言う通り生きなければ」と思うようになっていました。

私は勉強が苦手で、学校も嫌いでした。毎夜のように両親が大声で殴り合い、家の中はぐちゃぐちゃ。それが近所では有名で、バカにされていたのです。

私は絵を描くのが好きで、描いている間はすべてを忘れられました。私が描いた傘の絵が先生にほめられ、廊下に長い期間、貼り出されました。授業参観であなたが来た時、ほめてくれると期待しましたが、あなたは無表情。校長先生が私の絵がどれだけ素晴らしいかを語ってくれても、あなたは言いました。

「こんなものが上手くても、将来何の役にも立たない。他の勉強でいい成績を取らなければ意味がない」

後日、校長先生は「なくなったらおいで」とわらばん紙をたくさんくれました。貧乏だったので、すごくうれしかった。数年後、私の絵は校長先生が転任するまで校長室に飾られていたとあなたは自慢げに話しましたが、腑に落ちませんでした。山下清のドラマを見せ、「頭の足りんのは絵が得意」と笑っていたから。

私は家であまり絵を描かなくなりました。私が楽しそうにしたり、集中していると、あなたの機嫌が悪くなる。父が転職をくりかえし、お酒もたくさん飲んでいたので、お金のことでもめていたのです。

あなたは父を「稼ぎが悪い」とののしり、酔った父が暴れ、殴り合い。食事は飛び散り、毎夜のように怖い思いをしました。後片付けはいつも私の役目。食べ物を粗末にし、うらみごとを言いながらも働こうとせず、離婚もしないあなた。

「子どもに手がかかるから仕事に出れない。子どもがいるから離婚できない」が口癖で、父には「女は家を守るのが、男は稼ぐのが役目。嫌なら出てけ。子どものために金だけ送れ」と無茶苦茶。父が出て行った時、あなたは探し回り、居場所がわかると私に説得に行かせ、父が帰ってきた後もケンカ。

父に勝ちたいがために娘を道具に

中学生になった時、いつにもましてひどいケンカがあり、あなたが泥酔した父のとなりで寝たくないからと、私を父の横にしました。夜中に起きた父は、まだ酩酊状態。私を母と思い、体をまさぐりだしました。私は気持ち悪くて泣きながら父の手を払いのけ、あなたに助けてほしくてすり寄りましたが、無駄でした。何度か手を払い、抵抗していると、父はあきらめて眠りました。私は明け方まで安心して眠れませんでした。思い出すと今でも吐き気がします。

数日後、あなたは父とののしり合い、勝ち誇った顔で叫びました。

「親子で乳くり合ってるくせに偉そうにするな!」

あなたは、父に勝ちたいがために私を道具にしたのです。自分が主導権を取れるなら、娘の気持ちなど問題ではなかった。私はあなたを軽蔑するようになり、必要なこと以外は話さず、夫婦ゲンカも止めなくなりました。

高三の夏、帰宅すると自衛隊のスカウトがいました。体力が無かった私はお断りし、帰っていただいたら、あなたはねちねちと責めましたね。

「寮に入れば生活費がタダ。いろいろな免許もタダ。近所に自慢できる。お前に何かあれば、残された家族は国のお金で一生楽ができる」

お金、お金、お金! 戦死者の年金をもらっている身内を「うらやましい」と言ってたあなた。実の娘の死を想定してまで自分が楽することしか考えていない金の亡者。

就職し、給料をもらうようになってから、私は家にお金を入れていました。男友達もでき、外の世界が楽しくなった頃、あなたは「親として娘の相手がどんな人間か見てやる」。私はうれしかった。男友達を家に呼んで食事し、一緒に楽しく会話してるのを見て、浮かれていたのです。そのうち、男友達は私を避けるようになりました。その後の男友達も同じ。

数年後、偶然会った男友達に教えてもらったのです。私が料理を運んだり、トイレに立つたびに、あなたが男友達を押し倒してキスをし、性的な関係を持とうとしていたことを。恥ずかしくて情けなくて、涙が出ました。

私はあなたから逃げるように結婚。家を出ました。でも、あなたからのお金の無心は続き、産後うつになり、旦那さんの実家とも上手くつきあえず、離婚を考えてる時も、お金の無心は止まらず、居場所がありませんでした。

「孫を連れて帰ってくればよい。跡取りができる。生活費はおまえが働いて私に入れれば、孫の面倒は見る。離婚するなら慰謝料と養育費をもらってから来い」

私はあなたの言葉で疲れてしまい、遺書を書きました。山で首を吊ろうか、ガソリンをかぶろうか。でも、怖くて死ねません。息子のことも気がかりでした。

私は病院へ行き、薬をもらいました。でも、薬は体に合わず、一晩中、吐きました。吐くものがなくなっても、体は薬を出そうともがくのです。驚きました。頭では死にたいと思っているのに、体は生きようとしている。

あなたを親と思わない

その時、私は初めて「自分がかわいそうだ」と気づきました。金を生まないなら何の価値もない役立たずだと、あなたが私に思いこませていたことにも。

お金の道具でもご機嫌とりでもなく、そのままの私を愛してほしかった。それをずっと言えなかったことに気づいた時、涙が止まりませんでした。私はただ息子のために生きると決め、あなたを親と思わないようにしました。

私の子育てについて意見された時、腹が立って今までの出来事、想いをすべてぶちまけました。ずっと言ってはいけないと思ってたことを。


あなたが泣いて謝り、悔やむことを期待しました。そうすれば、私はもう一度、ちゃんと生き直すことができるかもしれない。でも、すべては幻想でした。私の数十年の苦しみを「おまえは頭がおかしい」の一言で流されてしまいました。

本を読みあさり、セラピーを受け、自力で自分をいやす方法を探しました。息子の存在もあり、私は徐々に自分が生きている意味を見いだしました。年老いたあなたは相変わらず、ガンの手術から退院した父を足蹴にし、「死ねばよかったのに」と毎日ののしっているとか。

あなたが今後変わることはないでしょう。さようなら。