東京五輪の男子サッカー日本代表チームを率いる森保一監督【写真:Getty Images】

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自国開催、予選免除となることのメリット

 2020年の東京五輪に臨むサッカーの男子代表監督に就任した、サンフレッチェ広島の森保一前監督(49)が10月30日、東京・文京区のJFAハウスで就任会見に臨んだ。目標として掲げる52年ぶりとなるメダル獲りへ、アジア予選を含めた真剣勝負のないスケジュールを逆にメリットとしてとらえ、出場資格をもつ1997年1月1日以降に生まれたすべての選手たちを対象に、日本サッカー界を挙げて情報を収集しながらベストかつ最強の五輪代表を作り上げていくと宣言した。(取材・文:藤江直人)

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 人柄のよさがにじみ出た所信表明だった。真面目で、気配りができて、人の苦労を知ることもできる男。56年ぶりとなる自国開催の五輪で、注目度が高いサッカーの男子代表チームを率いることを決断した森保一監督の注目の第一声は、意外なところへ向けられていた。

「これから私とともに戦ってくれる選手たちは、グラスルーツの頃から多くの指導者の方々、関係者の方々に育てられてきています。これまでの努力が花咲くように、経験を積んでもらうことでさらに選手たちが伸びて皆さんに喜んでいただけるように、結果を求めながら成長の助けになれるような仕事をしたいと思っております」

 東京五輪の出場資格は1997年1月1日以降に生まれた、現時点で20歳以下の選手たちとなる。ホープたちがサッカーを始めたころから携わってきた、すべての人間の夢や情熱を引き継ぐ。やりがいと同時にプレッシャーを背中に感じていかのか、表情を引き締めながら決意を発信した。

 日本サッカー協会(JFA)の技術委員会から東京五輪男子代表監督として推挙された森保氏が、JFAの月例理事会で承認されたのが10月12日。知識や見聞を広めるために、先月下旬から欧州を視察行脚していた関係で、決定から18日目にして就任会見に臨んだ森保監督がいよいよ始動する。

 まずは12月上旬にタイで開催される、23歳以下の代表チームによる国際親善大会が初陣となる。そして、来年1月に中国で開催されるAFC・U-23アジア選手権で初めてとなる公式戦を戦うが、その先で照準を据えるのは、実質的には2020年7月開幕の東京五輪本番となる。

 大会に臨むのは16ヶ国で、現時点で決まっているのは開催国の日本だけだ。ワールドカップとは対照的に予選の開催方法も大陸ごとで異なり、すべてが出そろうのはおそらく五輪イヤーの春になる。

 厳しい戦いとなるのは必至のアジア予選を経て、選手たちが身心ともに成長する。リオデジャネイロ五輪代表チームをはじめとして、これまでと同じ青写真を描けないことはハンデになるのではないか。自国で開催されるがゆえに背負う宿命を、森保監督は逆に生かしたいと力を込めた。

「真剣勝負のなかで勝つことでチームが結束する、あるいは自信をもって選手やチームがステップアップしていくこともあると思いますが、予選がないということは全体的な底上げをしながら、じっくりとチーム作りができるメリットがあると思っています」

トルシエジャパンの実績。日本サッカーにとっての成功体験

 腰をすえながら、時間をかけてチームを熟成させていく。予選を経ずに臨んだ大舞台で結果を出したという点で、日本サッカー界はひとつの成功体験をもっている。2度目の出場にして初めて決勝トーナメント進出を決めた、2002年のワールドカップ日韓共催大会だ。

 指揮を託されたフランス人のフィリップ・トルシエ監督は、初陣となった1998年10月のエジプト代表との国際親善試合こそFW中山雅史が決めたPKを守り抜いて1‐0で勝利したが、続く1999年からは低空飛行を強いられた。

 3月のブラジル代表との国際親善試合に敗れると、ベルギー、ペルー両代表を招いた6月はともにスコアレスドロー。招待参加した南米選手権ではボリビア代表と引き分けるのが精いっぱいで、ペルー、パラグアイ両代表には惨敗。9月のイラン代表との国際親善試合も引き分けた。

 A代表が年間を通じて未勝利に終わったのは、前代未聞の事態だったと言っていい。当然ながら時間の経過とともにファンやサポーターの批判の声が大きくなり、トルシエ監督のエキセントリックな性格も手伝って、JFA内でも逆風が吹くようになった。

 もっとも、当事者であるトルシエ監督本人はまったく意に介していなかった。下の世代までを見渡したときに、大きな希望を見出していたのだろう。五輪代表監督を兼任し、当初は契約に含まれていなかった1999年3月のワールドユース選手権(現FIFA・U-20ワールドカップ)の指揮も執った。

 ナイジェリアを舞台にした戦いで、すべての年代通じて男子の最高位となる準優勝を達成すると、主軸を担った小野伸二や稲本潤一、高原直泰、中田浩二らを五輪代表へ“飛び級”の形で招集。中村俊輔や柳沢敦らの世代と融合させ、アジア予選を無双の状態で勝ち抜いた。

 そして、シドニー五輪の出場権を勝ち取った後の2000年から、A代表と五輪代表を融合させることで2002年へ向けた本格的なチーム作りに着手した。もっとも、その後もJFA内の逆風は収まらず、2000年5月には強化推進本部内で多数決が採られ、4対3で解任派が上回った。

 しかし、最終的な決定を委ねられた当時のJFA会長、岡野俊一郎氏(故人)がトルシエ監督の続投を支持したことで、日韓共催大会までの契約延長が決まった。ユースから五輪、五輪からA代表へと育成のルートがしっかりと敷かれていたことを、岡野会長は高く評価していた。

予選がないことは「チャンス」。ベストかつ最強の五輪代表づくり

 アンダー世代の才能を確信したトルシエ監督は、ワールドユース選手権やシドニー五輪のアジア予選が立て続けに行われた1999年のA代表を、いい意味で捨てていたと言っていい。予選が免除される開催国だからこそ、大胆に映るようで、その実はプランに沿った緻密なチーム作りが可能だった。

 その意味ではトルシエ監督と同じようなコンセプトを描くことが、森保監督にも可能になる。東京五輪代表チームの中核を形成するのは、今年5月に韓国で開催されたFIFA・U-20ワールドカップを戦ったU-20日本代表となる。

 もっとも、本大会開催時で23歳以下という年齢制限が物語るように、インドで開催されたFIFA・U-17ワールドカップを戦い終えたばかりの、16歳のFW久保建英(FC東京U-18)を含めたU-17日本代表ももちろん3年後の候補に入ってくる。

「選手選考については、五輪に出場できる世代の選手であれば、年齢や実績に関係なく五輪に出場する扉は開かれている。その世代の選手、五輪に出たいと思っている選手には、夢を目指してひたむきに頑張ってほしいと思っています」

 1997年1月1日以降に生まれたすべての選手たちへ、森保監督は就任会見を通じて熱いエールを送った。体の成長とともにこれから台頭してくる選手もいれば、発掘の網から漏れている選手もいる。

だからこそ、予選のないことを逆転の発想でチャンスととらえ、日本サッカー界を挙げる形でベストかつ最強の五輪代表を作っていきたいと力を込めた。

「これまでの世代別代表の監督の方々や協会内部、Jリーグ、大学、高校といろいろなところから情報をいただきながら、選手が埋もれて終わることのないような、少しでも多くの選手に成長してもらえるような選考をしていきたいと思っています。

 選手を固定するよりも、東京五輪までの2年半ぐらいの期間の中で、いまの年代でトップの選手の間で力関係が変わってきたりする年代だと思いますので、より多くの選手を見ながら、選手個人の力、チーム全体の力を引き上げていきたいと思います」

無名の存在からA代表入りを果たした選手としてのキャリア

 トルシエ監督を除いて、年齢制限が設けられて以降の五輪代表監督は日本人が務めてきた。そのなかでも森保監督は現役時代の実績で、たとえば国際Aマッチにおける出場試合数などで群を抜く数字を残している。

 もっとも、ハンス・オフト監督のもとでA代表デビューを果たした、1992年5月のアルゼンチン代表との国際親善試合のときはまったくの無名で、旧国立競技場の電光掲示板に記された「森保一」を知るファンやサポーター、そしてメディアは実は少なかった。

 勘違いから「もり・やすいち」とされ、「保一」がその後のニックネームである「ポイチ」になった。アトランタ五輪の指揮を執り、ブラジル代表を破る「マイアミの軌跡」を起こしたJFAの西野朗技術委員長はいまでも「思わず『ポイチ』と呼んでしまう」と苦笑いする。

 それでも日本サッカー界に「ボランチ」という単語を浸透させた献身的なプレースタイルと、サッカーに対する実直で真摯な姿勢で誰からも厚い信頼を受けた。

 指導者になってからもスタンスは変わらず、ちょうど24年前の「ドーハの悲劇」を戦った代表選手22人のなかでは、サンフレッチェ広島監督として誰よりも早くJ1を制し、そして誰よりも早く日の丸を背負って大舞台に挑む大役を担った。

「私は無名な選手でしたが、マツダや広島では選手としても、指導者としても、そして人としても育ててもらった。偉そうに教えるつもりはないですけれども、その意味ではサッカー選手としても、人としてもプラスになったと思ってもらえるように、自分がしてきてもらったことを私が預かる選手たちにもしていきたいと思っています」

 どこまでも謙虚だからこそ、トルシエ監督のように軋轢を生じさせる心配もない。会見に同席したJFAの田嶋幸三会長、西野技術委員長も全面支援を約束したなかで、J1を3度も制した勝負師の一面ももつ49歳の指揮官がいよいよ注目の第一歩を踏み出す。

(取材・文:藤江直人)

text by 藤江直人