ロシア・サンクトペテルブルクのアパートでAFPの取材に応じるマリア・リャブツェバさん(2017年10月9日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News

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【AFP=時事】1917年にロシア十月革命(October Revolution)が起きたとき、現在100歳のマリア・リャブツェバ(Maria Ryabtseva)さんは生まれたばかりだった。ソビエト連邦の誕生から崩壊、そして権勢を振るうウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領政権時代まで、リャブツェバさんは、目まぐるしく変動する1世紀を生きてきた。

 1917年7月14日、モスクワ北部に生まれたリャブツェバさんは、ウラジーミル・レーニン(Vladimir Lenin)が率いた一派ボルシェビキ(Bolsheviks)と革命に反対する「白軍(Whites)」の間で生じたロシア内戦を目にし、第2次世界大戦(World War II)では4人の子どものうち2人を失った。

 1920年代にはソ連の集団農場政策で地方に強制移住させられ、1930年代には独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)による粛清を生き延び、ソ連の終焉(しゅうえん)をもたらした「ペレストロイカ(改革)」も体験した。人生を振り返り、「幼い頃からずっと必死に働いてきた」と言うリャブツェバさん。実家は農家で、その後、看護師、工場労働者になった。

「うちは5人の子どもがいる、ごく普通の農家でした」。ボルシェビキによる政策の一環で、農民は集団農場への合流を強制され、家畜は没収された。「牛と2頭の馬も、コルホーズ(集団農場)のために持って行かれた。私たちに何ができたでしょう? 私たちはコルホーズに加わりました」

 第2次世界大戦中のソ連の犠牲者は2000万人以上。リャブツェバさんはモスクワ北方約200キロに位置するロストフの病院で看護師として働いた。

「大変だった。食べる物があまりなく…とにかく必死に働かなくてはならなかった。負傷兵が大勢いて、ベッドはいっぱいだった」。リャブツェバさんは記憶をたどる。「だけど戦争に勝った日は幸せでしたよ。皆が踊って、歌って!」。そう声を上げたリャブツェバさんの目は突然、喜びで輝いた。

■「人生はあっという間に過ぎてしまう」

 だが、1953年3月のスターリンの死については記憶があまりない。「不幸な大事件が起きたわけでもないのに」と、言いながらリャブツェバさんは肩をすくめた。「皆、彼のために悲しんでいた」

 抑制されたユーモアセンスが今も衰えていないこの高齢女性の記憶に鮮明なのは、1961年に夫婦で初めてのアパートに移ったときのことだ。帝政ロシア時代の首都、サンクトペテルブルク西方にある寝室が1つ付いたアパートだった。「本当に素晴らしかった。水道からお湯が出て、セントラルヒーティングがあって、これ以上のものは望めないと思いました」

 苦しい戦後復興期に地方にある集団農場の共同住宅で一家で凍えながら約10年間を過ごしたリャブツェバさんにとって、このアパートは「天国」だった。

 ペレストロイカが始まった1980年代になると、人々は旧態依然としたソ連の体制に対し、あからさまに不満をぶつけるようになったが、「私の人生は大して変わらなかった。前より大変になったこと以外」とリャブツェバさんは語る。だが、1999年にプーチン氏が首相に就任すると、日々の暮らしは目に見えて良くなったと言う。

 40年以上前に夫を亡くしたリャブツェバさんは現在、自分のアパートで孫娘の家族と一緒に暮らしている。政治には興味がなく、11月7日に迎えるロシア革命100周年も祝うつもりはないと言う。「革命があってもなくても、私の人生は同じだったと思う。自分で何かを変えられることなんてできないものですよ」

「幸せだったかって? 分からない。私はただ生きてきただけ。人はこの世に生まれたら、あとは生きるしかないでしょう? 大事なことは、人生は本当にあっという間に過ぎてしまうということです」
【翻訳編集】AFPBB News