J2優勝を決めた湘南ベルマーレを率いる曹貴裁監督【写真:Getty Images】

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昨オフは湘南から離れる選択が脳裏をよぎった

 1年でのJ1昇格を28日に決めていた湘南ベルマーレが、3年ぶり2度目のJ2優勝で喜びに花を添えた。ホームにファジアーノ岡山を迎えた29日の明治安田生命J2リーグ第39節で、後半終了間際に追いつかれながらも、今シーズンを象徴する粘り強さを発揮して1‐1のドローで逃げ切った。1年前はドイツでの充電も視野に入れていた曹貴裁(チョウ・キジェ)監督が一転して6年目の指揮を執り、これまでとは異なる「湘南スタイル」を発動させるまでの試行錯誤を追った。(取材・文:藤江直人)

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 1年前のいまごろは、最も深い闇のなかにいた。湘南ベルマーレの曹貴裁監督と親交があり、戦うカテゴリーが異なった昨年はよく連絡を取り合っていたファジアーノ岡山の長澤徹監督は、同じ1968年度に生まれた盟友が胸中に抱いていた思いを「闇」という言葉で表現した。

 大宮アルディージャに2‐3で屈し、2試合を残して通算4度目のJ2降格が決まったのが昨年10月22日。その後は契約延長のオファーをもらっていたベルマーレを含めたすべてに断りを入れて、毎年オフに訪れては新たな刺激をもらっていたドイツに渡ろう、という考えが脳裏をよぎってもいた。

「自分の将来を考えたときに、たとえば半年くらいドイツへ行って、あるチームをずっと追いかけながら練習を見ては監督のミーティングを聞いて、試合を観戦していたら間違いなく何らかの引き出しが増えるという思いが自分のなかにはあった」

 しかし、最終的には思い留まり、ベルマーレとの契約を延長。6年目となる今シーズンの指揮を執ることを決めた。気持ちを揺さぶったのは、降格が決まった直後に初めて行われた練習だった。

 残された2つのリーグ戦、そしてベスト8に勝ち残っている天皇杯全日本サッカー選手権大会へ。降格は決まっても「湘南スタイル」を極める戦いは続く、とばかりに情熱をほとばしらせる選手たちの姿を見ているうちに、気がついたときには曹監督の涙腺は決壊していた。

「湘南というチームが自分を求めていて、選手たちの目も死んでないと感じたときに、僕が携帯電話の充電をしていていいのかと。まだ電池が切れてもいないとも思えた状況で、新しいものを得ようと考えていた自分に違和感があったというか」

 もっとも、新たなチーム作りは困難を極めた。キャプテンのMF永木亮太(鹿島アントラーズ)、ハリルジャパンにも選出されたDF遠藤航(浦和レッズ)らの主力が新天地へ旅立った2015シーズンのオフに続いて、5年間にわたって「10番」を背負ってきたMF菊池大介(レッズ)らが移籍。J2を独走で制した2014シーズンを知るメンバーは、わずか5人に激減していた。

「正直、どのようにチームを作っていこうかな、という思いはありました」

苦しんでいる過程でたどり着いた逆転の発想

 1月中旬の新チーム始動からスペインでのキャンプ、そして帰国してから2月下旬のシーズン開幕へ向けて日々の練習に臨む過程で、何度も試行錯誤を繰り返しては思い悩んだという。

「皆さんが期待する、あるいは求めるものをゼロから、戦術的にもメンタル的にもいままでと同じようにアプローチしてもおそらく上手くいかない。だかといって『今年はポゼッションをやろう』と、ちょっと聞こえのいい言葉で彼らを促しても動かないだろうな、とも思っていたので」

 その一方で、コーチから監督に就任した2012シーズンから貫いてきた信念はぶれなかった。世界のなかで誰よりもベルマーレというクラブの未来を考えている、という思いのもとで、そのシーズンに所属したすべての選手が成長したという実感をもって、1年間を終えてほしいという指導方針だ。

「このクラブを何とかしたいという気持ちは、おそらく人より強いと思う。何とかするというのは目の前の結果だけでなく、成長できそうな選手をどんどん世の中に送り込むようなサイクルを続けないと、ウチのようなチームが文化や色を出して、Jリーグの中で異彩を放てないとずっと思ってきたので」

 開幕から5試合を4勝1分けと好スタートを切っても、心のなかに巣食った不安や迷いの類は消え去らなかった。チームを船にたとえながら、曹監督は当時の心境をこう表現してもいる。

「海を漕いでいても『どっちに行くのか』とか『このまま沈んでしまうのでは』という感じで。浮きあがったとしても顔を海面から出せないというか、それでも何となく『あのへんに光がある』と思いながら半歩ずつ進んで来られたような、本当にそういう1年間だったのかなと」

 もがき、苦しんでいる過程で逆転の発想にたどり着いた。目の前に待つ一戦の結果を追い求めると同時に、長期的な視野に立ってチームを作っていく作業が指揮官には求められる。それでもいま現在の自分には、後者の仕事はできないと言い聞かせたと曹監督は言う。

「このチームの5年後、10年後を考えて選手を起用するとか、獲得するとか、やり方を決める力は僕にはないと。それこそ目の前の1日や今年1年で、いまいる選手たちに充実感を与えなきゃいけないと。ある意味で開き直ることは非常に力がいることだと自分でも気がつきましたし、そうしないと人間が発する言葉というものが本物にはなっていかない」

「選手たちは大人になった、すごく成長したと思っています」

 不思議なもので、自分自身に正直になってみると、バラバラになりかけていた思考回路が再びひとつになってきたという。今シーズンの陣容でやるべきことが、時間の経過とともにピッチで具現化されていく。それは「勝負は細部に宿る」。1年間で闇を突き抜け、J1昇格とJ2優勝を手にした曹監督を、長澤監督が称賛する。

「最後の際のところで、普通のチームでは破れたところを破らせてくれない。そこの1センチ、10センチといったところに本当の強さが隠されている。システムや戦術、戦略はあるが、最後に帰結するのはそこ。細部のところで、湘南さんはこのリーグを乗り切ったと認識している」

 台風22号の影響で間断なく大雨が降り、水たまりができた影響でボールが止まる場面が何度もあった29日の明治安田生命J2リーグ第39節。前半終了間際に先制したベルマーレを、後半になってファジアーノが球際の攻防で制し、41分には昨シーズンまで在籍したMF大竹洋平が同点弾を見舞う。

 しかし、その前後を含めて幾度かあった失点のピンチは、体を張ったベルマーレの選手たちによって防がれた。アビスパ福岡が引き分けた前夜の段階でJ1昇格が決まっていたベルマーレは、引き分け以上で優勝を手にすることができた。

 3年前は昇格も優勝もともに敵地で、それも引き分けの末に決めていた。ファジアーノ戦は結局、1‐1で引き分けた。それでも、ある意味で試行錯誤した末にたどり着いた、今シーズンの戦い方が凝縮された90分に、曹監督も及第点を与えている。

「今日に関しては勝ち点1を取ることが非常に大事だったと考えれば、選手たちは大人になった、すごく成長したと思っています」

セルビア人FWムルジャを驚かせたチームの雰囲気

 表彰式に続いて、ゴール裏のスタンド前で行われた異例のビールかけを終えて戻ったロッカールーム。ベンチに入れなかった選手たちも含めて、全員でベルマーレのチャントを歌い終えた直後に、夏の移籍市場で加入したFWドラガン・ムルジャ(アルディージャ)がこんな声をかけてきた。

「長いプロ生活のなかで、試合に出ている選手と出ていない選手が、同じ空気で練習しているチームは初めてです」

 33歳の元セルビア代表を驚かせた雰囲気こそが、ベルマーレの力の源泉であり、状況によっては心を鬼にしながら選手たちを厳しく叱責してきた曹監督が目指してきた理想の環境でもある。6年間を数える監督生活で最も腐心し、頭をフル回転させ、力を使い果たしてきた。

「来年のことは全然考えていないというか、フルパワーを使ってきたので、いつ始動して、キャンプはどこに行って、どこと開幕戦を戦って、というのを考えることは正直、できないですね」

 来年へ向けたエネルギーが空っぽになっていると苦笑いしたが、それでも信念は変わらない。

「僕は僕でしかないから、どんな状況であっても前向きに生きていこうと思っているし、前向きに生きたいと思っているし、今年所属した選手が次のステージで活躍してほしいと強く思っている。それだけは変わらないということが僕のなかでは真実であり、すべてだと思います」

 成長の証を見せる場となるリーグ戦はまだ終わらない。「残りは3試合しかない」を合言葉としながら、J1へ定着するための来シーズンをにらんだベルマーレは、厳しくも熱く、そして優しさにあふれる曹監督の大きな背中を羅針盤として前進を続けていく。

(取材・文:藤江直人)

text by 藤江直人