『ザ・ノンフィクション』で告白する”息子”

写真拡大

 フジテレビのドキュメンタリー『ザ・ノンフィクション』(10日15日、22日前後編として2週連続放送)である事件関係者の告白インタビューが大きな反響を呼んでいる。

 その告白をしたのは、2002年に発覚した北九州一家監禁殺害事件で逮捕された松永太(2011年に死刑が確定)と、その内縁の妻である緒方純子(無期懲役)の間に生まれた"息子"だ。

 この事件は、日本犯罪史上でも類を見ない凄惨なものだった。主犯である松永は内縁の妻である緒方の親族らを相手の弱みにつけ込むなどして監禁、凄まじい暴力や相互の不信を巧みに操るなどしてマインドコントロール、支配下におき、自ら手を下すことなく、6年の間に子供を含む7人を家族間などで殺害させるという戦慄すべきものだった。

 そして"息子"の告白もまた壮絶なものだった。事件当時、9歳だった"息子"だが、しかし学校にも通うことなく、被害者同様に監禁された状態だったという。そして両親から日常的に育児放棄され虐待も受けていた。父親が被害者を支配する際に使った"電気通電"をされ、その際母親は息子を抑えつける。また母親からは倒されて背中に包丁を突き立てられ「殺されかけた」こともあったという。

 驚くのは、苛烈な虐待だけではない。"息子"は、自分にとっての祖父母であり、叔母、いとこなど被害者の殺害や遺体遺棄をも目撃していたのだ。

「風呂場のなかだったと思います。それが誰だったかわかりませんが」
「人をばらして、煮込んで、ミキサーにかけて、トイレに捨てたり、海に捨てたり。全部つながりました。みんなでやってましたもん。わかっていたのは母親は絶対(そこに)いました」
「鍋とかおたまですくったり。ものすごく臭いんです」

 幼くして異様な環境、体験を強いられた "息子"による衝撃的な数々の告白。だが、その告白から浮かび上がってきたのは、事件の異様さだけではない。それが両親の逮捕で"息子"が置かれた環境、そして日本社会の絶望的なまでの社会保障やセーフティネットのなさだ。番組では、両親の逮捕で、監禁や虐待から解放されたが、しかしそれは"地獄の始まりだった"と説明されている。

●両親が逮捕されてからが"地獄の始まり"だった!

"息子"は両親の逮捕後、児童養護施設に送られる。はじめて通った小学校では事件のことを口にした同級生に暴力を振るうなど荒れる一面もあったというが、そこには"焦り"があったという。いずれは児童養護施設を出て自立しなくてはならない。実際、里親が見つかり、定時制高校に通いながらも、"息子"はアルバイトに精を出した。学費や携帯代を自分で捻出できると思ったからだ。

「自分で稼いだお金でするんやったら何も文句ないやろうと思って」

 ガソリンスタンドで週6回働いた。月に10 万円少しの収入になったが、しかし"息子"はこう吐露している。

「こんなに働いてもらえるお金がこれなんやんと思った」

 しかもバイト生活で学業もおろそかになり、里親の家も飛び出し、高校も中退に追い込まれた。そこから息子は、住み込みでパチンコや飲食店、農家の手伝いなどの仕事を転々とする。住み込みで飲食店、パチンコ屋、農家の手伝いと、転々する生活。しかも当てがわれた住まいも悲惨なものだった。ゴミ屋敷のようなアパート。電気も水もガスも通っていない。そのため食事もできない。息子は当時の心境をこう語っている。

「こんなしんどい思いをせないけんのかな、と。ホームレスと変わらんな。そうしたら涙が出てきて。こんな苦しい思いをして、なんで他のやつは当たり前に家があって、ご飯食って、あまり前に遊んで。なんで俺だけこんな思いして生きて行かないけんのかなって」
「結局そうやねって、親がおらんけよねってなるんですよ。僕の中で」

"親がいない""保護者がいない""住み家もない"学歴もない"。そんな未成年の子どもが、どう生きたらいいのか。例えば家を借りるのも、携帯を買うにも、仕事を得るにも「親や身内」の、またはなんらかの「保証人」が必要だ。

 児童福祉法では、親の育児放棄、虐待、経済的理由などさまざまな事情で家庭で暮らせない子どもたちに対して、国や地方公共団体が児童養護施設などで社会的に保護する義務を負っている。しかし児童養護施設は高校卒業時の18歳で退所しなければならない。高校を出たばかりの子どもが、なんの後ろ盾もなく、頼る大人も存在せず、また貧困の中、どう"まとも"に生活しろというのか。社会から漏れ落ちてしまうのは必然でもある。しかも児童養護施設そのものも、さまざまな問題も指摘される。少ない予算、人材不足、擁護職員の低い待遇----。

 そもそも、現在の日本は子どもの貧困が6人に1人という"貧困大国"でもある。しかし子どもの貧困、そして"息子"のように児童養護施設、そして乳児院や母子家庭などへの予算はたったの41億円。これは国際的に見ても非常に低い。実際2010年には「国連子どもの権利委員会」から日本政府に「養護のない児童を対象とする家族基盤型の代替的児童養護についての政策の不足」などの勧告を公式に受けたほどだ。にもかかわらず、現政権である安倍政権は、子どもの貧困を直視せず「家族の責任」や「自己責任」などという言葉すら持ち出している。また片山さつきのように貧困や生活保護をバッシングすることで、弱者をさらに貶め追い込もうとする動きすらある。

●息子が告白した「俺がどうこうって、問題じゃない」現実

 さらに息子は特殊な事情を抱えている。両親が殺人犯として逮捕されただけでなく、自身も壮絶な虐待を受け、また殺人遺棄現場を目撃しているのだ。実際"息子"は今でも"逃げ場のない明るい部屋"が苦手だと、心的外傷とも思える苦悩を告白している。つまり"息子"もまた被害者でもあり、肉体的、精神的にも公的なケアこそが必要だが、番組を見る限りそうしたケアが施された様子さえない。

 唯一、安定した仕事と人間関係を得られた場所、そこは"ヤクザの事務所"だった。社会からはじき出された者同士という安心感があったという。しかし、刑事が訪れ、未成年保護法により保護された結果、"息子"の居場所は奪われた。

 両親が殺人犯だからといって、当時9歳だった息子になんの罪があるというのか。しかし世間は"両親が殺人犯"という色眼鏡で見続けてきた。これは現在の日本の過剰な加害者バッシング、加害者家族バッシングの影響も大きいだろう。先日も、東名高速死亡事故をめぐって、容疑者の親であると勘違いされデマが広がった男性が、嫌がらせ電話が殺到するなどの被害を受けたことが大きな話題になった。仮にデマでなく本当に容疑者の親だったとして、そのような嫌がらせを受けるいわれはまったくない。このデマ被害を報じたニュースでは、デマであることばかりが批判されるばかりで、過剰な加害者バッシング、加害者家族バッシングについて指摘するものはほとんどなかった。

 今回"息子"がインタビューに応じることになったきっかけも、この加害者家族バッシングだ。今年6月、フジテレビが放送した『追跡!平成オンナの大事件』で北九州連続監禁殺人事件が取り上げられ、そのためネットでは"息子"を非難する声であふれた。そのため"息子"はフジテレビに抗議、その過程で担当者が謝罪したことから今回のインタビューが実現している。

"息子"の告白によって、浮き彫りにされた日本の絶望的セーフティネットの欠如と、加害者家族への偏見。実際"息子"は、番組の中で自分の置かれてきた環境をこう語ってもいた。

「これって俺がどうこうって、問題じゃないよね」

 セーフティネットの外側にいるということが、どういうことか。"息子"は24歳でそれをすでに認識し、言葉にしている。こうした状況に置かれた当事者が、それを証言できることは非常に少ない。しかも、その告白は"息子"自身のことだけではなかった。仕事を転々とし、その日暮らしをしてきた"息子"だが、幸いなことに5年前に正社員としての職を得て、24歳となった現在、"自分と似たような境遇"の女性と結婚した。その理由は結婚することで、"彼女の居場所を作る"こと、そして保険や年金などに入っていないという女性を自分の籍に入れることで "社会的保証が用意できる"というものだった。

「結局生活できないじゃないですか、そいつ(彼女)1人で」
「結婚しようと思ってはなかったんですが、嫁の社会保険やったり、年金とかもそうですけど、社会保障っていうですかね、まったく何もない状態だったので。親が何もしていなかったんで、病院にも行けないし。結婚したいからするっていう感覚じゃなくて、とりあえず結婚して自分の扶養に入れようって。嫁に対して社会的な保障がつくよね、っていうので籍を入れたんです」

 本サイトでも以前紹介したが、貧困層のなかには、学校にも通えなかったり、知的障害などのため、十分な知識がなく、そもそも社会保障の存在すら知らなかったり、自分がセーフティネットの外側にいるなど自覚できないケースが少なくない。なかには行政に対して恐怖感や忌避感をもっている人もいる。ましてや、そうした人たちが自分の置かれた状況、セーフティネットの外側にいるということがどういうことかがその実態が語られることはほとんどない。そういう意味で、"息子"という当事者が、ここまで明晰に自分の置かれた状況を語ることは、非常に貴重な証言だ。しかも "息子"は、自身の境遇を単に個人の苦しみとして個人的な体験とだけ捉えているのでなく、社会の問題としてとらえる視点もある。"似た境遇の女性"という他者に対しても踏み込んだ視点、社会的な問題意識を持ったうえで、社会保障やセーフティネットがないことが、どんな事態を招くのかを身を持って語っているのだ。

 今回の勇気ある告白に込められた日本社会への数多くの問題に、私たちは応えてゆく必要がある。
(伊勢崎馨)