菅田将暉演じる万千代(虎松、後の直政)の一挙一動に笑ってばかりの『おんな城主直虎』である。脇目もふらず、猪突猛進といった感じで、「潰れた家の子」という謗りや不遇に悩みながらもバネにして、いかなる問題も歯軋りしながら「これも出世のため」と受け入れ、「日ノ本一」になるため本気で取り組む。その究極である「万福、新しい褌を持て!」で、大河ドラマにおいて、早とちりの笑い話としてではあるが、まさかの大名たちの衆道事情(今で言うBL要素)が組み込まれる斬新さは、37話の家康の「ヤケクソ」事件と同じく、笑いを越えて衝撃的でさえある。

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 時代が今川から信長と家康の時代へ、そして主軸が徳川の下で働く万千代の物語へと移行する中、実力が物を言う時代へと変わり、その状況は以前に増して、現代に置き換えても頷ける事柄が増えてきた。

 元々、直虎(柴咲コウ)が従える井伊という小さなコミュニティは、上にも下にも気を使わないといけない弱小企業に置き換えてしまうことが多かった。金銭的な問題で家が取り潰されたことはもちろん、直虎が井伊谷の人々を集め、井伊の再興をしないことを告げる場面は、企業の倒産と社員の再就職先の斡旋といった構図そのままであった。

 41話で扱われた奥山六左衛門(田中美央)の再雇用話、近藤康用(橋本じゅん)の過度な叱責も、長所は「人柄のよさ」では通用しない現代の就職面接や中年の再就職問題、パワハラ問題と重なり、癒し系・六左の優しさは1年近くドラマを見守っているファンにとっては身に沁みるほどわかっていることなので、切なく胸に迫るものがある。だが、その悲哀をそのままにしておかず、どんな片隅にも必ず光は射すとでも言うように、戦さに使う丸太の調達の司令塔を担うことで彼の武功を立てるという夢が叶い、中野直之(矢本悠馬)と共に信長から褒美の茶碗を授かるという奇跡まで起こすことが、このドラマの妙と言えるだろう。

 一方、阿部サダヲ演じる徳川家康は、現代で言うところの「理想の上司ナンバー1」だと言えるのではないだろうか。細かいところまで目を配り、部下の嘘を見抜き、草履棚が増設されたことや弓の手入れが以前より行き届いていることをすぐに把握し、家柄は関係なく、優れた人材はきちんとそれに見合った出世をさせる。

 「どこにおっても才覚というものは人が見ているもの」と本多忠勝(高嶋政宏)が言うように、このドラマにおいて、織田信長(市川海老蔵)も家康も、家柄重視の戦国時代において、家柄より実力や才能で人を取り立て、褒美を与える人物として描かれている。40話で直虎に「今後の徳川の生き残りのためにも、実力次第で出世が見込める家風にしなければ」と家康は語る。それは徳川の先進的な考え方を示すものであり、これからの時代を示すものでもある。思えば直虎も、これまでずっと実力次第で出世が見込める家風を築いてきた。周囲の反対をおしきり、成り上がり商人・方久(ムロツヨシ)や元は盗賊だった龍雲丸(柳楽優弥)を家中に引き入れ、それぞれ土地や城を任せたり、仕事を与えたりしたことで、井伊の産業や特産を作り、土地を繁栄させ、住みやすい土地にした。つまり直虎にようやく時代がついてきたとも言えるのである。

 阿部サダヲ演じる家康の笑う場面は、本当に人が良さそうで嬉しそうで、こちらまで嬉しくなる。いつも意表をつく方法を繰り出してくる直虎や万千代に、面白いものを見つけたといわんばかりにその笑顔は向けられていた。「潰れた家の子」という謗りにもめげず、手柄を得るという野心ゆえに人の倍頑張ろうと、健気にもほどがある行動を取り、家康に認められて思わず涙する万千代に対し、「いっそまこと色小姓としてしまう手もあるかの」とどこまで本気なのかわからないことを口にする家康。思わず後ずさりする万千代と、これからどんな関係性を築いていくのだろうか。

 政次(高橋一生)の死後、しばらく見る回数が減っていた、このドラマにおいて重要な意味を持つ「囲碁」がまた多く登場し始めた。直虎と家康は人を大事にする政や、無駄な戦さをできるだけ避けようとするところなど重なることが多いが、大事な局面で常に囲碁を打っているということも重要な共通点である。ただ、直虎は常に政次とのみ囲碁をし、1人で囲碁を打つ時も政次を想定して行っていたため、政次の死後は混乱していた時期を除いて、囲碁を打つ場面はない。それに対し、家康は時折瀬名(菜々緒)に妨害されながらも、これまで常に1人で囲碁を打っていた。寝所に招かれ、目の前に敷かれた布団にドキマギしている万千代の目にはその布団と大福を頬張る家康の表情しか目に入っていないだろうが、その奥には囲碁盤がある。この先、万千代と家康が囲碁を興じ、共に戦略を練る時がくるのだろうか。楽しみである。(藤原奈緒)