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もくじ

ー E-タイプ発表 ジュネーブの舞台裏
ー なぜE-タイプのデビュー 特別だった?
ー いざ「885005のE-タイプに」に試乗
ー 885005のE-タイプ、危うい時代
ー 音、香り、感覚、味わい

E-タイプ発表 ジュネーブの舞台裏

1961年のジュネーブ・モーターショーにジャガーE-タイプが到着したときの様子は、まるで何もない大草原に巨大な嵐が突然吹き出したかのような出来事だった。

E-タイプは、D-タイプの時代から密かに開発が進められてきた。テストのためにMIRAに向かう途中でその姿を見かけた連中や、工場にいる知り合いからこっそり情報を仕入れた連中の噂話が、嵐の勢いをさらに強めた。

1960年のル・マンでは、ブリッグス・カニンガムがクロスオーバーのプロトタイプ-E2Aで出場し、そのスタイルはより明確になった。そして、遂にニューモデルとして公式発表されたときには、嵐があまりに激しくなり、E-タイプのライバル車をすべて吹き飛ばした。

以来、E-タイプの発表時の顛末は伝説となった。

ウィリアム・ライオンズ卿は、ニューモデルの発表を巧みにやり遂げた。彼は、英自動車工業会(SMMT)を説得して得た資金を利用して、ジュネーブ・モーターショーの開催前にジュネーブ湖畔のレストラン、ガストロノミイー・ドゥ・パルク・デ・オー・ヴィヴでプライベート発表会を開催した。

このイベントは、ニューモデルの発表と、その後行われるジャーナリスト達によるE-タイプ試乗というふたつの部分から構成されていた。そのため、このイベントには2台のE-タイプが使用された。

わたしたちがよく目にする、E-タイプの隣にライオンズが誇らしげに立った屋外の写真は、このレストランの外で撮影したものだ。

屋外に展示されたこの9600HP、シャシー番号885002のE-タイプは、ジャガーの権威であるフィリップ・ポーターが所有している。ジャーナリストの試乗に用いられたのは、このクルマだった。

もう1台のシャシー番号885005のE-タイプは、当初ロードスターとして製造され、後にクーペ開発のためのテストベッドとして利用された。

ライオンズは、デザインプロセスが後期にさしかかり、クーペのフルサイズモックアップを目にするまで、タイプ-Eをクーペとして考えていなかった。

885005は3月にジャガーのブラウンズレーン工場から大型トラックでジュネーブに輸送され、翌日、最終調整のためにガレージ・クラパレドに到着した。

ここからさらにオー・ヴィヴ公園に輸送され、慎重にレストランの中に運び込まれた。発表の際、ウェイターがシルバーのカバーを取りのけて披露できるよう、クルマ全体を覆う合板のボックスが特別に組み立てられた。

なぜE-タイプのデビュー 特別だった?

水曜日の3月15日午後4時30分にメディアや招待客が集まり始めた。レーシングドライバーのウォルフガング・フォン・トリップスとジョー・ボナーのふたりは肩を並べてボックスを見つめた。

ライオンズが登場し、カバーが取り払われると、ボックスの合板がドラマチックに倒れ、中からE-タイプが姿を現した。

最初の数秒間、不思議な沈黙が続いた。多分、集まったひとびとは、頭を左右に動かして現れたクルマの斬新なスタイルを理解し、認識しようとしていたのだろう。

集まった全員を外に案内して9600HPを披露する前に、ライオンズが簡単なスピーチをした。皆の注意が外のクルマに集まると、すぐさま885005はレストランの内部からジュネーブ・モーターショーの会場に輸送された。

当時、モーターショーでクルマを展示する際にはペルシャ絨毯を使うのがジャガーの習わしだった。ジュネーブ・モーターショーの写真を見ると、本当に美しい885005がなんとも見栄えのしない絨毯の上に載せられているのがわかる。

伝統に則って、スイス連邦大統領がショーの開会宣言をし、その後、ジャガーのブースに立ち寄り、ふたりいたスイスのジャガー輸入販売業者のうちのひとり、エミル・ルレイとこのクルマの詳細について談笑している。

ショーの開会と同時に、「スポーツカーの進化の新時代を開くクルマだという」THE MOTOR誌と、150mph(240km/h)の最高速で読者を驚嘆させたAUTOCAR誌の最初のレビュー記事が公表された。

ジュネーブ・モーターショーの方が話題になることが多いが、自分がいつも思うのは、レストランで行われたプライベートな発表会のことだ。

それはまるでキャバーンクラブでビートルズのライブを見たり、テレビでモンティパイソンの第1回放送を見るようなもの。これを目撃したひとたちは、歴史に残る特別な体験を共有したことになった。だからわたしもこれからジュネーブに赴き、オー・ヴィヴ公園を訪れる。もちろんシャシー885005のE-タイプに乗って、だ。

いざ「885005のE-タイプに」に試乗

われわれは、このクルマが保管されているチューリッヒ近郊のタールヴィルを出発した。クルマは、SS90、SS100を始め、すべてのXKを含むジャガーの歴代名車とともに地下のガレージに保管されている。

他のモデルと比べるとE-タイプはほかの姉妹とはまったく違って見える。当時XKがスポーツカーの基準となっているひとびとにとっては、E-タイプの登場は畏怖の念をもって迎えられたはずだ。

われわれは早朝に出発した。チューリッヒからジュネーブまで普通ならわずか3時間のドライブだが、山道を選んだためそれよりずっと時間がかかりそうだったからだ。

今回の同乗者は、このクルマのオーナーであるクリスチャン・ジェニーと、このクルマをレストアしたGBデニ・クラシックスカーのゲオルグ・デニだ。

わたしは最初、ジェニーの隣のパッセンジャーシートに座って、ダッシュボードのレイアウトや、ドライバーの前の美しいスミスの大型メーター、アルミニウムパネルに取り付けられた補助メーターを感動しながら眺めていた。

室内は「フラットフロア」カーで、ややタイトだ。チューリッヒで高速を降り、アルパインロードに向かう際、ダッシュボードにグラブハンドルがあるのに気づいた。

ジュネーブ・モーターショーの開催中、ジャガーのブースで問合せをし、購入の意思があると認められたひとにはチケットが配布された。

このチケットをもって外のデモンストレーションベースにいくと、ノーマン・デュイスの77 RWかボブ・ベリーの9600HPに同乗できた。

デュイスは当時を振り返って、試乗の途中で「道が平らになると時速120から130マイルで走った」と語っている。ならば、グラブハンドルに手を伸ばしたパッセンジャーもかなりいただろう。

しばらくして、後部座席に座っているデニから885005のヒストリーを説明してもらった。ジュネーブ・モーターショーが終わった後、スイスの公道ライセンスを取得するため、ガラージ・クラパレドに戻され、5月16日にCAPアシュランセズ社に販売された。

1970年代になると、ほかの多くのジャガーの中古スポーツカーと同様に扱われ、ある日リアを破損する事故を起こした後、スイスのジュラ州にあるディーラーに持ち込まれた。更にオーナーが数回入れ替わった後、ふたりの兄弟が購入し、20年近く所有し続けた。その頃には、誕生時の栄光の日々のことは完全に忘れ去られていた。

885005のE-タイプ、危うい時代

1990年末に、地方の自動車専門誌の巻末にレストアしたE-タイプクーペの広告が掲載された。E-タイプを探し求めていた、ピエール・ピテットというあるジャガーのエンスージァストがこの広告を見かけ、エキスパートにチェックを依頼した。

当時、ジャガードライバーズクラブ・スイスの会長であったウルス・ヘンルがチェックし、このクルマが最初期のE-タイプであるばかりではなく、ジュネーブ・モーターショーで発表されたクルマそのものだと報告した。

ピテットはすぐに購入したが、この発見の歴史的重要性を完全に理解していなかったせいか、エンジンを後期の4.2ℓユニットに交換しようとした。

しかし、一時はジャガーダイムラークラブ・スイスの会長を務めたこともあるピテットの息子が、885005の重要性を正しく理解していた。

息子はこのクルマを売却するよう父を説得し、更にはクリスチャン・ジェニーに電話をして、このE-タイプの買い取りを勧めた。ジェニーはこの話に合意し、レストアをゲオルグ・デニに依頼した。

このレストアがスタートしたのは2002年のことだった。デニは、手を振り、声を高めながら、興奮した様子でこのクルマのヒストリーを語ってくれた。

彼はただこのクルマのメカをレストアするだけでなく、その歴史にも夢中になった。彼の家族には研究者が多く、本人も子供の頃は考古学者を目指していた。レストアをしている最中に、この子供時代の情熱が蘇ったわけだ。

デニはこのE-タイプのレストアの作業内容について話し始めた。

「クルマを分解した際に、そのすべての歴史が明らかになった。初期E-タイプのヒストリーを書籍で学んでいたため、そこで語られていた開発プロセスを目の当たりにすることができたんです」

「例えば、最初はロードスターであったため、エンジニアがルーフをどこでAポストに溶接したのか、実際に見て確認できました。溶接作業後、885005は他のクーペを製造するための雛形としても利用されたんですね。これは、基本的に手作りのクルマです。ですからフロントガラスを特別にあつらえなければならなかったのもポイントです」

GBデニ・クラシックカーは、コンクリート製のジグの上で手たたきされた数少ないオリジナル・ボンネットの保存を含め、緻密にレストアした。実際、標準の量産モデルを885005と並べると、数百もの小さな違いに気づく。

最初に気づくのは、ジュネーブに展示されたこのクルマのルーフが量産車ほど平らではないことだ。こうした相違点が慎重に保存され、レストレーションで姿を消すことはなかった。

ジュネーブに近づく頃になって、ステアリングを握ることになった。

音、香り、感覚、味わい

アルプスのワインディングはこのE-タイプを試乗する完璧なテストコースであった。

E-タイプの試乗レポートは山ほどあり、長いボンネットの横たわる前方視界や並外れたスピードについて多く語られているが、実際に乗ってみるとまた新たな体験がある。

モスのギアボックスは難物だというひともいるが、このクルマのように状態の良いものでは何の不都合もない。1速に入れるときの前方のストロークが長く、またリバースと近接しているが、馴れればワインディングでの頻繁なタッチもどうにかなった。

さて、クラシックカーを評価する際、「相対的」という言葉が重要だと自分は考えている。例えば、E-タイプ発売当時のほかのクルマのレベルを考えてみよう。MG-Aから初めてE-タイプの乗り替えたときにどれだけ洗練されていると思うだろうか。

走り出せばステアリングはすぐに軽くなる。路面からのインフォメーションは豊富で、けっして過剰ではない。初期モデルの3.8ℓの「パンプキンヘッド」エンジンは、エグゾーストノートがかなり大きい。アクセルを踏み込むと、さらにノイズが荒々しくなる。

ブレーキは通常のドライブには良好だが、ハイスピードでは利きが充分ではないと感じるだろう。しかし、素早く、しなやかで、トルクもあり、ワインディングも難なくこなしてくれる、とても優れたドライバーズカーであることは確かだ。

ジュネーブに到着すると、オー・ヴィヴ公園に向かった。天気の良い日で、地元の学生達がのんびりと昼休みを楽しんでいた。E-タイプをレストランの入口付近に止め、当時の写真を手にもって店内に入り、ローンチのために885005が置かれていた部屋を見つけた。室内のレイアウトはそのままで、漆喰もまだかなり残っている。だが、どうやってこの部屋にクルマを入れたのか、どうしてもわからなかった。

店の外に出て、今度はライオンズがドアを開けた9600HPの傍らに立ち、粋な姿でルーフにもたれたあの有名な写真の撮影場所を探した。

それから再びE-タイプに乗り、公園の端に向かって進んだ。ここからレストランまで緩やかな上りのスロープになっている。そこでじっとシートに座って、静かに54年前のことを考えた。

9600HPと885005の両方を目にし、今わたしが駐車している場所に向かってスロープを下ってくる各国の記者連中のざわめきを思い浮かべる。

自動車の歴史の特別な瞬間の一部になれたことを、きっと彼らは嬉しく思っただろう。石碑に銘を刻むかのように、その時のことは自動車の歴史にはっきりと記されている。