台湾ミンチと呼ばれる辛いミンチ、卵黄、ニラ、魚粉などを混ぜて食べる台湾まぜそば。名古屋メシとしても有名

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 もはやその名前と人気は全国区となった、名古屋生まれのB級グルメ・台湾まぜそば。

 台湾まぜそばとは、茹で上がった極太麺に台湾ミンチと呼ばれる、鷹の爪とニンニクを効かせた醤油味のピリ辛ミンチにニラ・ネギ、魚粉、卵黄、おろしニンニクを入れ、よくかき混ぜて食べるジャンクな一杯だ。

 その人気は今や地元名古屋に留まらず、大阪や東京にも進出したばかりか、韓国やマレーシアにも進出し、人気を博している。そんな麺屋はなびの店内はサザングッズだらけで、営業中もサザンの音楽が鳴りまくっている。

「僕はサザンも大ファンですが、CHAGE&ASKAも大ファンなんですよ。特に会いたいのはASKAです。でも、ラーメンを食べてCHAGE&ASKAっていうよりも、国民的ロックバンドのほうがピンとくるでしょう。サザンを聴いたら、はなびのラーメンを思い出してもらうというような。これは戦略ですよ」

 と語るのは麺屋はなびの創業者、新山直人さん(38歳)だ。台湾まぜそば誕生秘話とその波瀾万丈な人生を聞いた。

 麺屋はなび、最初の一号店(高畑本店)は900万円もの借金をしての出発だった。高校を中退して12年、複数の中華料理店などで修行を経ての船出であった。

「その間に21歳で結婚して、24歳の時には長男、27歳の時には次男が生まれたんですが、当時の月給は妻子を養うために全部飛びました。おかげで貯金は全くできない状態でした。そんな状態で独立して、周りは『失敗したらどうするんや?』って言いましたけど、根拠がない自信があったって言うか、嫁は何も言いませんでしたしね。感謝しています。ノート一冊分の事業計画書を書いたのに、最後は保証人の能力が一番モノを言うんですね(笑)」

 新山さんは旧国民政策金融公庫から900万円を10年間で返すというローンを組んだ。保証人には妻の父親になってもらった。

 新山さんが独立する直前の2007年9月、改正道交法施行によって飲酒運転の取り締まりが強化された。運転者のみならず酒類を提供した飲食店も処罰されることになったのだ。

「これでお酒を飲むお客さんというのが2〜3割は減ったと思います。自分の修行先なんかを見ていて、自分はこういう酒を出す店をやるのはやめようと思いました。それでグーグルで調べたところ、世界で一番麺類を愛しているのは日本人だと分かりまして。その中で一番好きなのがラーメンだと。自分は70種類ぐらいの料理を作るノウハウがありましたから、それを一杯の丼にぶち込んだら、食いっぱぐれることはないだろうと思っていましたから」

 それがはなび誕生につながっていく“動機”だ。新山さんは休日を利用し、一杯のラーメンを作るのに寝食を忘れた。動物系スープ、魚介系スープなどを何種類も作ってその配合を組み合わせ、まるで“化学実験”のような生活が約半年続いた。

「僕は子供の頃、お風呂もないような家に住んでいたんですね。こんなところからは何とかして抜け出したいって思っていましたし、やりたくないことはやりたくない。その代わり、やりたいことはどれだけやっても苦しくない。楽しいですから」

 このストイックさが、台湾まぜそば誕生にもつながっていく。

◆台湾まぜそば誕生は台湾ラーメンの失敗から

「最初にオープンしたとき、塩(700円)と醤油(700円)しかなかったんですよ。どっちも自信作だったんですが、宣伝広告費がないから当然客は来ない。ところが世の中には“ラーオタ”なる人たちがいて、新しい店が出来た情報が入ると、こっそり食べに来るんですね。そういう人たちが『オタクの店はおいしいのにヒマなんだな』なんて言って帰っていくんです。そして、自分のブログにアップする。そうすると、また新しい“ラーオタ”の人たちが来る。だから最初の頃、うちは“ラーオタの巣”だったんですよ。それがメディアの目に留まって、ラーメン専門誌の人が取材に来てくれた。テレビが来るようになったのはそれからですね」