5歳児の脳を損傷させた「DV夫婦」の末路

写真拡大

虐待は子どもの脳を萎縮させ、学習意欲の低下やうつ病などの原因になる。だが、夫婦喧嘩など、子ども自身に向けられた暴言や暴力ではなくても、ストレスホルモンによって脳神経の発達が阻害されることがわかってきた。小児精神科医の友田明美氏が、ある夫婦の実例を通じて警鐘を鳴らす――。

※以下は友田明美『子どもの脳を傷つける親たち』(NHK出版新書)を再編集したものです。

■「不適切な養育」で損傷する子どもの脳

厚生労働省によると昨年度、児童相談所に寄せられた「児童虐待に関する相談件数」は、過去最多の12万件(速報値)を超えた。「虐待なんて、自分にも家族にも関係ない」と思っているかもしれない。しかし、児童虐待防止法の第二条「児童虐待の定義」には「児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力」と書かれている。つまり子どもの前で繰り広げられる激しい夫婦喧嘩は「児童虐待」とみなされるのだ。

この30年、わたしは小児精神科医として、脳科学の側面から子どもの脳の発達に関する臨床研究を続けてきた。その結果、「チャイルド・マルトリートメント(不適切な養育)」によって、子どもの脳機能に悪影響がおよんだとき、生来的な要因で起こると考えられてきた学習意欲の低下や非行、うつ病や摂食障害、統合失調症などの病を引き起こす、または悪化させる可能性があることが明らかになったのだ。

■「チャイルド・マルトリートメント(不適切な養育)」

maltreatment(マルトリートメント)とは、mal(悪い)とtreatment(扱い)が組み合わさった単語で、前述のとおり、「不適切な養育」と訳される。「虐待」とほぼ同義だが、子どもの健全な成長・発達を阻む行為をすべて含んだ呼称で、大人の側に加害の意図があるか否かにかかわらず、また子どもに目立った傷や性疾患が見られなくても、行為そのものが不適切であれば、すべて「マルトリートメント」とみなす。

わたしが研究や臨床の現場で、マルトリートメントという言葉を使っているのは、虐待という言葉では日常にひそむ子どもを傷つける広範な事例をカバーしきれないと考えるからだ。また、懸命に子育てをしている親に対して「虐待をしている」とレッテルをはることにより、親の人格を否定してしまったら、彼らの育て直しのチャンスを奪うことにつながってしまうからだ。

子どもと接するなかで、マルトリートメントがない家庭など存在しない。ふたりの娘をもつわたし自身も、数々の失敗を経験してきた。親になった瞬間から完璧な親子関係を築ける人などいるはずがなく、トライ&エラーを繰り返しながら、徐々に子どもの信頼を得ることができるようになるものだ。

しかし、子育てに懸命になるがあまり、知らず知らずのうちに子どものこころを傷つける行為をしている場合がある。マルトリートメントは強度と頻度を増したとき、子どもの脳は確実に損傷していく。この事実をわれわれ大人は見逃してはいけない。

■子どもの前で繰り返される母親へのDV

サヤカさん(仮名・35歳)は結婚後、エスカレートしていった夫による暴言・暴力に悩んでいた。機嫌を損ねると「なんでお前は何もできないんだ」「もっとまともなものを食わせろ」と彼女をなじり、頬をなぐり、物を壁に投げつけては破壊した。妊娠後もその行為は止むことなく、マミちゃん(仮名)が生まれてからも、夫は幼子の前で容赦なくサヤカさんを罵倒し、手をあげた。

こんな屈辱的な日々を送っていたサヤカさんにとって唯一の救いであったマミちゃんは、成長するにつれ夫の口調や表情を真似するようになった。「このままでは娘まで憎くなって、何かしてしまうのでは」という危機感に襲われ、わたしが勤務する福井大学医学部附属病院の「子どものこころ診療部」を母娘で訪れた。当時、サヤカさんは睡眠障害や食欲不振に悩まされていたが、同時にマミちゃんにも異変が表れ始めた。オムツがとれて久しかったが、日中遺尿(おもらし)をすることが増え、夜中に突然何かに怯えて泣き出し、寝付けないことが多くなった。

■DV目撃でなぜ視覚野は萎縮するのか

わたしがハーバード大学との共同で行った研究によると、子ども時代にDVを目撃して育った人は、脳の「視覚野」の一部で、夢や単語の認知などに関係した「舌状回(ぜつじょうかい)」と呼ばれる部分の容積が、正常な脳と比べ、平均しておよそ6%萎縮していた。これは無意識下の適応とも考えられる。つまり、生き延びるために、脳はその形を自ら変えるのだ。視覚野が萎縮すると会話をする相手の表情が読み取れなくなり、コミュニケーションをとるさいに支障が出てしまう。子どもにとって大問題だ。

このように子ども自身に向けられた暴言や暴力でなくても、激しいいさかいを目撃することにより、体内にはストレスホルモンが分泌され、脳神経の発達が阻害されるのだ。

想像してみてほしい。子どもにとって大事な存在である両親が目の前で言い争っている。例えば、父親が母親を頻繁に怒鳴りつけ、母親が父親の悪口を常に言い続けているような環境で、子どもが健やかに育つはずがない。

夫婦喧嘩と侮るなかれ。このような状況が継続される場合、子どもを一刻も早くマルトリートメントがある状況から救い出し、安心して暮らせる環境を整える必要がある。

 

■トラウマを抱えた子どもをどう守るか

わたしが医師として勤める「子どものこころ診療部」は18歳までの子どものこころと身体の発達に関する診断と治療を行っている。このような診療所が国内には少ないため、全国から人が訪れ、いつも予約でいっぱいだ。海外からの受診者もいる。

夫のDVで悩んでいたサヤカさんもマミちゃん(現在5歳)といっしょに通院している。マミちゃんにはおもちゃを使った心理治療を継続的に続け、母親にもEMDRと呼ぶ眼球運動によるトラウマ治療をほどこしていった。その結果、マミちゃんの症状は少しずつ改善し、現在では夜中に怖がって泣き出したりすることはなくなり、感情の起伏も落ち着きを見せている。サヤカさんもマミちゃんに穏やかに接することができるようになったという。

現在、サヤカさんは夫と別居し、離婚調停中だ。夫婦が別れて暮らせば結果としてDV問題は解消するが、それでマミちゃんの発達を阻害する不安要素がすべて取り除かれるわけではない。

仮にDVを行っていた父親と離れて暮らしていても、目撃の記憶が原因となってフラッシュバックが起きるため、マミちゃんにはいまは安全だということを根気よく理解させ、安心して生活できるように手厚くケアをしていくことが必要になる。

■加害親との同居や面会は避けたほうがいい

このような夫婦間のDVの問題では、親が単身になればDVもなくなるのだから、加害側の親と子どもを同居させたり、面会させたりしてもよいのでは? と考える人もいるが、それは早計だ。配偶者に対してDVを行う人は、子どもへのマルトリートメントを行う傾向も強いため、暴力の対象が、配偶者から子どもへと移る可能性が高いからだ。

たとえ子どもへのマルトリートメントがなくとも、加害親との生活や面会自体、子どもにとっては新たなストレスとなる可能性がある。先に述べたようなフラッシュバックも起こりやすくなり、その結果、子どもに再び身体的・心理的な不安が生じ、脳の発達をも阻害することにつながる点を見逃してはいけない。

また、加害側の親と対面することで、被害を受けていた親のほうが精神的に不安定になり、それが子どもに影響を与えてしまうというリスクも考えられる。

■必要とされる親へのサポート

幼いころに受け続けたマルトリートメントは、脳の成長が著しい時期であるがゆえ、ことさら深刻なダメージを脳に与え、その後、長期にわたって被害者の生活を脅かしていく。幸いにして現在のところ重篤な症状には陥っているようには見えないサヤカちゃんの場合も、時間をかけた長期的な治療と支援が必要なケースだといえる。

また、親に対するケアという観点では、現在、こうしたマルトリートメント家庭の情報を、社会福祉関連の機関や市区町村の相談センターなどとも広く共有し、養育者支援へとつなげていくことが非常に重要になってきている。

必ずそうだというわけではないが、親もまた幼少時代、不適切な養育環境を必死に生きぬいてきた被害者である可能性もあるからだ。マルトリートメントの連鎖をなんとかして断ち切る必要がある。

周囲の支援者は、こうした親たちに対して、「子どもだった過去」から「親になった現在」に至るまでの経緯――つまり、被害者から加害者へと変わらざるを得なかった道筋――や、現在のこころのありようについて、深く理解していく必要がある。

親の状況も改善し、必要であれば治療を行うといった養育者支援が、結果として、子どもの健やかな成長・発達につながっていくはずだ。

■子どもを守るのは、大人の仕事である

わたしは著書『子どもの脳を傷つける親たち』(NHK出版新書)のなかで、これまで長年行ってきた脳科学から子どもの発達を見つめるという研究内容を、医学書としてではなく、一般の人たちに知ってもらうために上梓した。

子どもの脳が損傷すると聞いて驚かない人はいないと思うが、そう慌てることはない。成長過程にある子どもの脳はレジリエンス(回復力)をもっているからだ。本書のなかでは、脳科学から明らかになった最新の知見に加え、その傷つきから子どもを守る方途と、健全なこころの発達に不可欠な愛着形成の重要性について著した。

マルトリートメントは、決して「特殊な人たちが」「特殊な環境で」行っている「非日常的な出来事」ではない。日常のなかにも存在し、習慣化されていることも多い。このことを子どもに接するすべての人に知ってほしい。

子どもが不必要な傷つきで、その人生を台無しにすることがないように、彼らを守るのはわたしたち大人の仕事である。

 

----------

友田 明美(ともだ・あけみ)
小児精神科医
1987年、熊本大学医学部医学研究科修了。医学博士。同大学大学院小児発達学分野准教授を経て、 2011年6月より福井大学子どものこころの発達研究センター教授。同大学医学部附属病院子どものこころ診療部部長兼任。2009〜2011年、および2017年4月より日米科学技術協力事業「脳研究」分野グループ共同研究 日本側代表者を務める。著書に『新版 いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳』(診断と治療社)などがある。

----------

(小児精神科医 友田 明美)