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「ほとんどの人が知らない事実」

奇妙で不可思議、そして驚くべきクルマ業界の事実。
さすがのAUTOCAR読者もこれはご存じないであろう……。

全ての業界において、「ほとんどの人が知らない事実」というものがあり、自動車業界も決して例外ではない。AUTOCAR英国編集部で聞き取り調査を行った結果、明らかになった事実とは。

サムスン、クルマを作っていた時期がある

スマートフォンやTVのメーカーだと思われているこの韓国企業は、僅かな期間ではあるがクルマも製造していた。

1994年に自動車産業に参入したものの、1998年のアジア通貨危機によって大打撃を受けた結果、2000年にはルノーに自動車部門を売却する事となった。

メルセデス開発の「ピンク・ノイズ」というものがある

現行メルセデス・ベンツのEクラスは乗員の体だけでなく、騒音を伴う事故の際には聴覚まで保護する技術が特徴である。事故が避けらないと判断された場合、約80dB程の「ピンク・ノイズ」が発生する。

ピンク・ノイズが耳に届くと、耳の中の筋肉が反射により収縮し、ほんの一瞬、鼓膜と内耳が繋がる状態を変える事で、事故に伴う高い音圧から内耳を保護するのだ。

ヒトラーの遺体は、みずからのクルマのガソリンで焼却された

1945年4月にアドルフ・ヒトラーが自ら命を絶った後、今や主を失い不要となった駐車場の燃料タンクから抜き出された燃料によってナチス総統の遺体は焼却された。

最初の電気自動車 じつは……

最初の電気自動車はテスラでもなければ、ミルク配達車でも遊園地のバンパー・カーでもない。

1884年に登場した最初の電気自動車は、内燃機関を持つクルマが誕生する1年前に、英国人のトマス・パーカーによって発明されたものだ。

自動車の黎明期には動力源としての電気は非常に一般的であったが、内燃機関の性能が向上しより実用性を増すにつれ次第にその役割を終えた。

ランボルギーニ製トラクター 上位機の名は「R8」

現在、ランボルギーニは世界で最も早く魅力的なスーパーカーを作り出すメーカーとして知られている。しかしその出発点はトラクターであり、現在もその製造を行っている一方、スポーツカー部門はアウディ傘下となっている。

ランボルギーニ社製トラクターのトップに君臨するのは写真のR8であるが、奇しくもアウディのトップモデルと同じ名前である。

因みに、ポルシェも1950年代から1960年代初頭にかけてトラクター製造を行っていた。

オペルの内装 「隠されたサメ」が存在

オペル・コルサ、インシグニア、ザフィーラ・ツアラー、アダム、及びアストラのインテリア表面、たいていはグローブボックス周辺か、カップホルダーの下あたりにサメのマークを発見する事ができる。

なぜサメがいるのかを完全に説明できるものはいないが、一説によれば、真夜中にデザイナーたちがサメを隠したままで生産させることができるかどうかを賭けた事が発端だと言う。

そして伝説は生まれ、今ではヴォグゾールとオペルの個性とも言える存在だが、残念ながら米国ビュイック製の姉妹車種ではサメを発見する事はできない。

フォード 「厳しすぎる町」を作ったことがある

1928年、ヘンリー・フォードは米国で生産するクルマに必要なゴムの供給を確保するため、ブラジルのある川沿いに町を作った。

フォードの信条に基づく厳格なルールが町の人々に課され、その中にはアルコール、たばこ、更には女性の禁止まで含まれていた上に、アメリカ流の食事まで我慢しなければならなかった。

あつれきが高まった後、1934年に町は移転し、1945年には町はふたつともブラジル政府によって買い戻された。この計画では2013年の価値に換算して$2,080億が無駄にされ、ヘンリー・フォードはどちらの町も2度と訪問しなかった。

ジャガー 改名の理由は「ナチスのせい」

第二次世界大戦までジャガーはSSカーズとして知られていた。SSとはスワロー・サイドカーの頭文字である。大戦中のナチSSのイメージを嫌った彼らは、1945年3月に自社のモデル名にちなんでジャガーへと社名を変更した。

社名のもととなったのは1930年代後半に生み出されたSSジャガーである。現在でもSSのイニシャルはシボレーのハイ・パフォーマンスカーに使用されているが、この場合はスーパー・スポーツの略称である。

メルセデス・ベンツの「メルセデス」は、あるひとの名前

なぜ最もドイツらしい会社にヒスパニック系の女性の名前が付けられているのかお考えになったことはあるだろうか?

19世紀後半、エミール・イエリネックがダイムラーのクルマを購入してレース用に改造したが、彼はそのクルマに、フランス領アルジェリア出身の妻、レイチェル・ゴフマン・センロベールとの間に生まれた自身の美しい娘(写真)の名前であるメルセデスのニックネームを与えた。

この名前をたいそう気に入ったダイムラーは、1990年に最初のメルセデス・ブランドのクルマを発売した。

ダイムラーとベンツは1926年に合併、ダイムラー・ベンツとなったが、その車両はメルセデス・ベンツを名乗った。1998年、ダイムラー・ベンツは米国メーカーを買収し、一時期その社名はダイムラー・クライスラーとなったが、2007年のクライスラー売却後、社名はシンプルなダイムラーAGへと変更された。

エミールの娘メルセデスは残念ながら1929年に39歳の若さでガンによりこの世を去った。

ルノーは屋根を切断しただけのクルマを売ったことがある

ルノーは、コンバーチブル好きなアメリカ人に気に入られようと、ルノー9の屋根を切断したクルマを米国ではアライアンスと名を変えて売り出した。

計画は素晴らしかったが、すぐに米国のドライバーたちは、道路上で日焼けするためだけにルノーがウィスコンシンの工場で作るお粗末な品質のクルマにお金を払う価値はないと判断した。

1987年に追加されたGTAのバッジを付けたハイ・パフォーマンス仕様も売り上げを伸ばす事はできず、1988年のルノーの米国市場撤退に伴い生産は終了し、残った資産はクライスラーに売却された。

単位がバラバラなクルマの世界 しかしひとつだけ不変の単位がある

自動車業界は同じ測定にも異なった測定単位を用いる事で悩まされて来た。例えば、エンジン出力には馬力、ブレーキ馬力、そしてPS(プフェアデシュテルケ)が用いられるが、これらは非常に似通ってはいるものの完全に同じではない。

1992年、EUは新たな基準としてキロワットを採用する事にしたが、液体の体積について言えば、ガロンも統一された単位ではない。実は米国ガロンは英国ガロンよりも17%少ない。そしてこの両国を除いた世界中ではほとんどの国でリッターが使用されている。

では、自動車業界における唯一の世界統一単位とはなんだろうか? それはホイール・サイズである。メートル法以外を禁止して既に数十年、もしかしたら1世紀にも及ぶ欧州のような市場でさえ、いまだにインチが使われているのである。

タイヤの正しいサイズ選択は自動車の安全にとても重要であり、一度全員が決めた事にこだわるのは非常に喜ばしいことである。

ル・マンには、勝率100%のレーサーがひとりだけいる

トム・クリステンセンは単独最多となるル・マン9勝を挙げたかも知れないが、たったひとりだけ勝率100%のレーサーがいる。

写真右のウルフ・バーナートはル・マンに参戦することわずか3回だったが、1928年から1930年にかけて参加したレースの全てで優勝を飾っている。

また、3回の優勝を誇るふたりのレーサーは、それぞれの最初と最後の優勝の間に17年の歳月を挟んでいる。ルイジ・キネッティ(1932年と1949年)、ハーレイ・ヘイウッド(1977年と1994年)の記録がそれだ。