7人の新指導部が発足した、中国の第19期中央委員会第1回全体会議(1中全会)。習総書記の「一強」は加速したかに見えるが…(写真:AP/アフロ)

世界中が注目した、中国共産党の第19回党大会が10月24日、閉幕した。同月18日から開催されたこのビッグイベントは、5年に1度開かれる党の最重要会議だ。


本連載の一覧はこちら

今大会では、習近平総書記(国家主席)による、過去5年間の指導が改めて承認されている。習氏の政治理念が「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」と命名され、党の最高規範である規約の行動指針に記入された。中国の街中では、習氏が政治体制改革、軍事体制改革、通信・インターネット改革などに関する、重要会議で行った講話や指示をまとめた発言集が手際よく販売されているという。

「思想」としては、中国革命の基礎文献となっている「毛沢東思想」が最も有名だが、これに倣い、習氏の講話も今後の中国政治の指針としていこうという考えだ。中国の社会主義建設における基本文献である、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想と並ぶ位置づけを、「習近平思想」に与えたのである。

命令だけでは国家は動かせない

一見、習体制は、盤石のごとく固められたかに見える。しかし、一歩踏み込んで見てみると、そうでもなさそうだ。

習氏による統治システムは、国政の全般にわたって非官僚機構的方法で改革を進めることと、腐敗の取り締まりや言論統制の強化を進めることである。いわば2本のムチを用いて、その実効性を高めることであった。

かつて習氏は国務院で要人の秘書を務めたほか、地方(河北、福建、浙江、上海)における、行政・党務の経験が豊富である。2007年の党大会で2階級特進して政治局常務委員となって以降、トントン拍子に胡錦濤前総書記の後継者となったのだが、この間、習氏は中国政治の官僚化、マンネリ化を嫌というほど体験していた。

仕事師である習氏は総書記に就任後、現状を改革することが必要と考え、そのため「小組」を多数設置、自らその組長に就任した。小組は名前は小さいものの、大きな力を発揮する。1960年代半ばから約10年間、中国を大混乱に陥れた文化大革命の司令塔的役割を果たしたのも、「文化革命小組」だった。小組は党規約には明記されていないもので、その権限は制限がなく何でも指示できる。

だが、命令だけで、中国を動かすことはできない。そこで習氏は、小組による改革を貫徹するため、「腐敗の取り締まり」と「言論規制の強化」という、2本のムチを使った。前者は小組の方針に従わない者を罰するため、また後者は問題の発生を事前にコントロールするため、活用された。いずれも有効であり、膨大な数の党政の幹部が訴追され、民主化要求は徹底的に抑え込まれたのである。

同時に習氏は「中国の夢」を語る。国際社会における中国の声望を押し上げることにも腐心した。日本との戦争の開始時期を早め、共産党が早くから日中戦争を戦ってきた形にするなど、大国・中国にふさわしい歴史に書き換えた。また第二次世界大戦中、中国は欧州戦線でも一定の役割を果たしたことを強調し始めたのである。これらはすべて「中国は元から大国であった」と印象づけるためだ。

毛沢東に次ぐ偉大な指導者であり、改革開放を始めた功労者である臂平は、かつて、「才能を隠して、内に力を蓄える」ことを強調した、それから約30年後の今日、習氏はそのような深慮遠謀は捨て去り、大国化路線に転じたのである。それには中華思想的体質を帯びている国民の心をくすぐる狙いもあったのだろう。

中国における政府や官僚機構がすべてダメなわけではない。また小組からの指示がつねに正しい保証もない。党の権威を背景に、2本のムチが振るわれれば従うほかないが、官僚機構にとって習氏の非官僚的方法による改革は、しょせん人為的に作り上げられたものにすぎないのだ。改革は今後も積極的に進められるだろうが、行き過ぎると反発を惹起(じゃっき)する危険がある。

今大会で実現した新しい人事についても問題は山積みだ。中国共産党の中核的機関である中央委員会に204人が選ばれたが、国務院各部のトップクラスが相次いで中央委員の資格を失った。一部は定年退職の結果だが、大臣クラスの高官が中央委員でないのは、これまでめったになかったこと。国務院の新人事は、2018年の全国人民代表大会(日本の国会に相当)まで待たなければならないが、新大臣が中央委員から選ばれるか、不明の状態になっているという。中国人民銀行(中国の中央銀行)の周小川総裁も中央委員でなくなった。既存の官僚機構である国務院の各部は、党の序列では格下げとなり、党の指導力がそれだけ強くなってきたわけだ。

反面、公安系統は別扱いで、部長(大臣)、および3人の副部長は全員、中央委員になった。常万全国防部長も中央委員でなくなったが、後任は中央委員から選ばれるといわれている。公安や軍を格下げできないのは、国内の安定のため、強権的手段を維持せざるをえないからである。

若手ホープ2人はなぜ選ばれなかったか?

大会直後に決定されたトップ指導層の人事も特徴的だ。

今回の党大会で習氏と李克強首相以外の政治局常務委員は全員定年退職した。その後任に選ばれたのは、栗戦書氏(党中央弁公庁主任。日本の官房長官のような地位)、汪洋氏(経済担当の副首相)、王滬寧氏(党中央のシンクタンク)、趙楽際氏(党中央組織部長。王岐山の後継として反腐敗運動を担当)、および韓正氏(上海市書記)である。

しかし、習氏の後継者となる可能性があると見られていた、陳敏爾重慶市書記と胡春華広東省書記は、いずれも政治局常務委員に選ばれなかった。

陳氏は習氏の部下だったことがあり、信任が厚い人物である。習氏は後継者にしたかったといわれていたが、結局、それは実現しなかった。一方、胡氏はかねて次世代のホープとされてきたが、出身母体である共産主義青年団(共青団)に対し、習氏は最近批判的な姿勢を強めていた。そのことが原因となってか、後継者とならなかった。

このような結果になったのは、陳氏を推す習氏と、胡氏を推す李氏など共青団派の間で、激しい確執があったからだともささやかれている。

後継者問題と関連があると思われるが、今回、政治局常務委員となった5人は、かつての部下など、習氏と特に近い関係にあった者ばかりだ。韓氏は上海市での勤務が長く、江沢民派だといわれるが、かつて習氏が上海市書記に就任するに際して積極的に協力した経緯があり、縁は浅くない。

習氏がこのような人物たちを政治局常務委員としたのは、中国広しといえども、本当に信頼できる人物はあまりいないからだろう。ここにも習体制の足元が見掛けほど強くないことが表れている。

低成長と人口減でひずみは顕在化

今後、中国の経済はなお成長を続けるだろうが、かつてのような急成長は望めなくなっているのも問題だ。

特に労働条件の優位性が失われつつあり、人口の減少傾向は深刻化していく。労働力人口の減少ペースは2020年以降一段と加速し、2050年までには現在から2億5000万人も減少すると試算されている。そのような状況下、社会のひずみと格差は、従来以上に顕在化してくるおそれがあろう。

共産党の一党独裁については、本来的に不安定な面がある。臂平が1989年の天安門事件後、西側諸国は「和平演変(平和的な方法で転覆させる)」を狙っている、と言ったのは有名な逸話だ。が、それ以来、歴代の指導者は誰もこの危機意識を払拭できていない。習氏も例外でない。

中国共産党の独裁体制は、今後5年間、習氏の下で最も安定し、「中国の夢」実現に近づくかもしれないが、その後は指導者、諸改革、経済成長のいずれをとっても、問題が増大する危険があるのではないか。