1989年11月17日にある悲しい事故が起きました。ユーゴスラビアの鉱山内での火事で、一酸化炭素中毒をおこし、90名の鉱山労働者が命を落としました。

その後、現場はすぐに閉鎖され、約28年経った今でも鉱員たちの“生きていた証”がそのままに残されているのです。Aleksandra Kosticは、彼らに畏敬の念を抱きながら鉱山跡を撮影しました。

ただ、静かに眠っていた遺品

鉱山には、ヘルメット、作業着、メガネなど鉱員たちが当時使用していたと思われるモノが多く残されていたそうです。それに、時代を感じさせる家具やチトー大統領の写真までも。

手付かずの状態で長い年月そのままにされていた事故現場を目の当たりにしたAleksandraは、1986年にウクライナ(旧ソビエト連邦)で起きたチェルノブイリ原子力発電所事故を思い出しました。まるで事故後に、「ゴーストタウン」と呼ばれるようになったプリピャチの街のようだったと彼は言います。

「閉ざされた場所で、何が起こったのか忘れないで欲しい」

Aleksandraは人々を当時のユーゴスラビアへ誘いたいという思いを込めて、一つひとつの場所をカメラに写しています。

ゴーストタウンと化した場所。この場所を美しいと感じる人もいれば、不気味と思う人もいるはず。心に抱くものは人それぞれだと思うのですが、一言で終わらせてはいけないような気が私はしています。Aleksandraの写真を見て感じたことを、決して忘れないように。

Licensed material used with permission by Aleksandra Kostic