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担当が18人ぐらいいる。つまり、担当で野球の試合ができるのだが、せっかく戦うなら球技とかしないで、ランダムに配られた重火器などで最後のひとりになるまで戦ってほしいし、最後のひとりは私がやる。

その舞台にふさわしい無人島は今探しているところだが、その担当から毎日何かしらメールがくるし、何かしらメールを返さなければいけない。それだけで労力がかかるため、正直言って飛ばし読みになってしまっている。よって、世間話はもちろん、業務上の質問ですら、完無視していることもしばしばだ。

だが、これは意図的にシカトしているわけではない。いくら担当が憎くてもそんな姑息なことをしない。故意にやるなら、「担当の頭をゴルフボールと間違えたし、ドライバーと思ったら釘バットだった」ぐらい盛大にわざとやる。つまり、ただ、最初から読んでいないだけなのだ。

何が言いたいかと言うと、先日担当から「十五夜」というお題を出されていたことに気付いた。もちろん、十五夜は終わっているし、十五夜について書いた記憶もない。つまり、お題無視である。

しかし、幸いこれは大した問題にはならなかった。なぜなら、十五夜について書くことがひとつもないからだ。仮に「十五夜」というお題で書き始めたとしても、二行目からソシャゲの話が始まったのに違いないので、結果的に無視したのと変わりない状態になったと思う。

なぜ書くことがないかというと、十五夜の日、月を見ていないからだ。月が出ていたのかどうかすら知らぬ。だが、その日が十五夜だと知らなかったわけではない。おそらくその日、インスタにはインスタ映えしているムーンや団子の写真があふれ返っていただろうし、facebookもそうだろう。ツイッターにだって、十五夜の話が流れてくる。

確かに、私のTLは私がフォローしているだけあって、テレ東のごとく、世の中の流れを無視したつぶやきばかりが流れてくるが、それでも100人中1人ぐらい、奇跡的に今日が十五夜と気づいた人間が十五夜だとつぶやいたおかげで、私はその日が十五夜だと気づいた。ちなみに時刻は夜である。外には十五夜の月が出ている。もしくは出ていないはずだ。

だが、私はその日、月が出ていたかどうかいまだに分からない。なぜなら、その日が十五夜だとは分かったが、特に月が出ているかどうか確かめたりしなかったからだ。自然を鑑賞するということに、死ぬほど興味がないのだ。月とかキレイな景色とか、そんなしゃらくさいもの興味はないわと、お低くとまっているわけではない。どちらかというと、そういう自分が嫌である。

前にも言ったが、月とかタダで出ててくれるんだから、そういうものの良さが分かった方がいいに決まっている。だが、そのために部屋から出るのが面倒くさいのだ。しかし、部屋で何をしているかと言うとインターネットである。そして、意図せず炎上記事とか見て嫌な気分になっているのだ。それよりは、月を見てキレイと思えた方がいい。

ところで、気付いたのだが、私が景色などに興味がないのは、大体それが上の方にあるからではないだろうか。何を言っているか分からないかもしれないが、つまり、空とか月とか、木々の色とか顔を上げないと視界に入らないものばかりだ。よって、興味がない以前に、下ばかり見ているので「気付いていない」のだ。

ひどい時には桜が咲いていることにすら気付かなかった。おそらく咲いている桜より、散ってアスファルトにこびりついてる桜の方が視界に入る率が高い。そのぐらい、私は下ばかり向いている。顔を上げると人と目が合う可能性があるからだ。

よって、四季ももっと足元で展開してくれないだろうか。そうすればおのずと目に入り、その美しさを理解できるような気がする。しかし、大体足元というのは、アスファルトやコンクリである。季節が入り込む余地がなく、たまに入り込んだ大根とかが「ど根性」とか言われてもてはやされるだけだ。

アスファルトから生えるだけでほめられるなら、私も1日そこに突き刺さっていたい。上を見るのはいい。しかし、頭上にかかる虹に気をとられて、足元の石やウンコに気付かないこともある。そもそも地に足がついていてこその空ではないか。

よって、次のテーマは地面にあるものにしてほしい。ウンコ以外で。

○筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。