プリンストン高等研究所

本記事は『アイコン的組織論』(フィルムアート社)からの抜粋。同書に掲載された「アイコン化した強い組織」の知られざる秘密について説明されている箇所を5日連続で紹介する。第5回はプリンストン高等研究所を取り上げる。

「科学者にとっての地上の楽園」

エイブラハム・フレクスナーは、1930年にプリンストン高等研究所を立ち上げた。「小さくて柔軟性がある」べきだと、フレクスナーは研究所について言っている。

「学者や科学者が、時間に追われて混乱に陥ることなく、この世のあらゆる現象を、自分の実験室だと見なせるような聖域であるべきだ。シンプルで心地よく静かで、かといって人里晴れた修道院のようになってもいけない。問題を避けて通るべきではない。研究対象の結果が有利、あるいは不利に働き得る、あらゆる組織からの圧力を受けてはならない。未知なるものの基礎研究に、必要な設備があること。教授陣には、完全な知的自由が与えられなければならない。責務や管理とは無縁であること」

研究所では、いまでもこのビジョンに従っている。常任教授は50名(名誉教授を含む)、招聘される研究者が毎年約200名で、いまだ「小さくて柔軟性がある」。その場にいる人たちは、いつでもいっしょにランチを食べている。いまだ、完全に独立した組織のままだ。この規模の科学学術団体にしては珍しく、条件付きの寄付は受けとらない――これには、特定の調査のための、政府補助金も含まれる。

ダイクラーフとのインタビューは自然と、すぐに能力循環の話題になった。「教授は50人だけですので、選任は毎回とても大切です」。適切な人材を確保することについて、彼は言った。

「最高の科学者たちを、保持したいのです。かといって、キャリアの終盤を迎えた一流研究者たちを集めた、いわゆる『トロフィーの飾り棚』には興味ありません。むしろ、将来有望な研究者を求めています。最高の人材を求めて努力しますが、大きなリスクをとるということでもあります。私たちは科学者のネットワークを駆使し、あらゆる情報を集め、リスクと見返りを見極めようとします―株の投資に少し似ているかもしれませんね。つまり、ときには選任の結果が思いどおりにいかず、大打撃を受けることもあります。とはいえ、そういうことはまれで、研究所の科学者の大半は成功し、非常に革新的な研究に取り組みます」

最高の人材を「魅惑」する方法も、同研究所は独特だ。ダイクラーフ自身も、それを体験したという。それまでは、高等研究所のディレクターになりたいと自分が思うようになるとは、考えたこともなかったそうだ。だがある日、ニューヨークで、研究所に資金を提供している理事数名から夕食の招待を受けた。そしてディナーのあと、ひとりに誘われる。プライベート・ジェットに乗って、プリンストンを見に行かないかというのだ。

「滅多に体験できないフライトですから、断れませんでした」。そのときの会話で、ダイクラーフは、ポストのことを考え始めたという。結果は、知ってのとおりだ。

厳密な人選を通過した人たちは、革新的な研究を行うため、いかなる制約もない完全な自由を手にする。指導の義務も、業績で評価されることもなく、給与は全員一律だ。それでも自身や同僚たち、そして科学全般に対して非常に強い使命感をもって、革新的なアイデアを生み出そうとする。「このカルチャーはアカデミック・スタッフだけではなく、理事たち、サポート・スタッフにも浸透しています」と、ダイクラーフは言う。

「理事たちは、研究教育に生涯にわたってかかわることが多いです。資金提供はもちろんですが、研究所がずっとこのまま続いていくという感覚を強化する意味でも、役立っています。サポート・スタッフも、非常に献身的です。何代にもわたってここで働いている人たちもいますし、仲がいいです。先日、吹雪があったのですが、そのときに管理人たちは早朝3時に起きて倒れた木を片づけたり、雪かきをしたり、24時間休まずに働きつづけました。すべて、研究所の科学者たちに少しでも不便をかけまいという想いからです」

さまざまな分野や年代の偉人たちとの偶然の出会い

科学者たちは自由のほかに、さまざまな分野や年代の偉人たちとの偶然の出会いも手にする。

これは研究所の決定的な価値でもある。たとえば1972年に、ヒュー・モンゴメリーはプリンストンのフルド・ホールで、たまたまフリーマン・ダイソン(いまでもよく同ホールに現れる生きた伝説)といっしょにお茶を飲んでいた。モンゴメリーはダイソンに、リーマン予想――最も偉大な、かつ未解決の数学問題のひとつ――に取り組んでいる話をした。

そしてリーマン関数のゼロ点の配分についての自身の見解を黒板に書いてみせた。ダイソンは驚いて目を見張った。黒板の式は、彼が発見した原子核のエネルギー間隔を表す数式とまったく同じだったのだ! こうして20世紀で最も重要なもののひとつとされる、数学と物理学の接点が見つかった。


プリンストン大学の庭園を散策するアインシュタインと同僚の湯川、ホイーラー、バーバー

平和、自由、一堂に会する偉大な学者たち――すべてが「魔法の雰囲気」をつくりだしているとダイクラーフは言う。

「たとえば、いまでもオッペンハイマーの秘書が研究所で働いているという事実が、一層魔力を高めています。建物もそうです。アルベルト・アインシュタインの家にその後住んだ科学者は、全員ノーベル賞を受賞しています。一杯の紅茶に対し、必ず3種類のクッキーがついてくるという伝統もです。それに、ゲーデルやオッペンハイマーなど偉人たちの魅力が、いまだに共鳴しているのを感じます」。ここにもまたひとつ、テセウスの船があった。

伝統と革新の逆説的な組み合わせ


そしてプリンストンにも、アイコンの特徴である伝統と革新の逆説的な組み合わせがある。

「研究所はいつでもリスクを恐れず、物事のやり方を根本的に変えることも辞さずにやってきました」。ダイクラーフは言う。「例えば1940年に、研究所では膨大な費用をかけて世界で初めて、プログラム可能なコンピュータをつくることにしました。そしてオッペンハイマーは、ジョージ・ケナンを教授に指名したのです。彼は科学者でもなかったわけですが、結局はアイコンになりました。こうした歴史と、官僚主義で束縛されない自由から、私たちは科学の世界において最も進歩的な研究所になり、最新のITも取り入れてきました。これは重要なテーマで――プリンストンでは重要な決定はすべてそうですが――ボトムアップで成されています。たとえばここにゲストとして来る6000人の科学者たちを、もっと巻き込む方法を検討しているところです。最新の技術のおかげで可能になったことです。でも世の中が変化しても、私たちの基本理念は変わりません。世の中の動きがどんどん速くなっていっても、完全な学問の自由と、平和と静けさを守ります。私たちのゴールは、究極的には広い科学の領域で、最初の1歩を踏み出していくことです。これまでもそうでしたし、これからもずっとそれを目指していくつもりです」。

いま現在、研究所の様子はどうだろうか。「私がアイコンの度合いを測る重要な尺度は、オファーを出すごく少人数のポスト・ドクターの研究者のうち、どのくらいの人が「イエス」と言ってくれるかです」。ダイクラーフは言った。「去年オファーを受けてくれたのは、95パーセントだったんです。それが今年は、100パーセント受けてもらえました」。