靴に人生を懸けた男が語る、ナイキの強さの源泉とは(写真:ABCマート)

話題の一冊、ナイキ創業者の自伝『SHOE DOG(シュードッグ)』がついに発売された。創業から上場までの葛藤や失敗を描いた本書は、成功した経営者が書いたビジネス書でありながら自慢めいたところがなく、コンプレックスにあふれた人間くさい内容になっている。
靴専門店チェーン大手のエービーシー・マート社長は、本書をどのように読んだのか。最近の靴市場におけるナイキの存在感や、ナイキの強さの秘密、そして自身のシューズへの熱い思いについて、語っていただいた。

新しいことはナイキから始まる


「SHOE DOG」特設サイトはこちら

――現在のスニーカー市場でのナイキの存在感を教えていただけますか。

ナイキとアディダスが2強で、現在、ナイキがトップです。それぞれのメーカーごとに個性がありますが、ナイキの個性は「革新性を重んじる」というところでしょうか。ナイキは機能だけでなく、「味付け」が特にすばらしい。

たとえば、シューズのサイズは通常、25.5センチとか、26.0センチとか、0.5センチ単位で展開されます。ところが以前発売されたナイキのプレストというシューズは、アッパーに伸縮性があって、XS、S、M……といった洋服のようなサイズで展開され、驚いた覚えがあります。スウェットのような素材で、「スニーカーを着る」といった感じでした。

また、近年ではシューズのアッパーの大部分を1本の糸で編み上げたフライニットというニット調の新素材を開発しました。今では、売れているスニーカーはこのようなニット調のアッパーが主流になっている。こうした独自の「味付け」を世に放ち、先駆者になっているのです。

製品だけでなく、ビジネスの仕組みにおいてもそうです。『シュードッグ』の中にもフューチャーズ・プログラムの話が出てきます。私たちのビジネスには、納品の約1年前に開催する展示会などで小売店がシューズを発注するフューチャーオーダー制という仕組みがあります。これを最初に取り入れたのはナイキです。「新しいことはナイキから始まる」。そんな感がありますね。

――そうした革新性の背景は、どこにあるのでしょうか。

その原動力になっているのが、『シュードッグ』でも描かれていたように、アスリートたちへのホスピタリティ精神の強さ。アスリートにシューズを提供して意見を聞いて、改善して、また提供して……。そうして、アスリートの声に応える確かな技術を確立して、スポーツの世界での地位を高めていったわけです。

1970〜80年代、ファッションとしてのスニーカーはアディダスが圧倒的な人気でした。大学時代に私がビームスでバイトをしていた頃、後に爆発的な人気となる「ジョーダン1」が入ってきたのですが、さほど売行きはよくなかったと記憶しています。

でも、ナイキから商品を提供されたアスリートたちが、ナイキを履いて活躍し始め、それを見た一般の人が「あれはなんだ」と注目して街で履き始める。こうして、スポーツ界だけでなく、ファッション界をもナイキが牽引する形になったのです。特にマイケル・ジョーダンと、彼の名を冠したエア・シリーズはその代表ですね。

ナイキイズムは今も健在

――アスリートを重視する姿勢は、今もナイキに根付いていると?


野口実(のぐち みのる)エービーシー・マート代表取締役社長。1965年岐阜県生まれ。中央大学経済学部を卒業後、シヤチハタ東京商事を経て、インターナショナル・トレーディング・コーポレーション(現ABCマート)入社。ホーキンス事業部長、取締役営業本部長、常務取締役などを経て2007年より現職。入社後、同社創業者の薫陶を受ける。座右の銘は「机で分析、現場で検証」。現在でも週末は自ら店頭に立ち接客を行っている(撮影:梅谷 秀司)

ナイキという企業と接していると、ナイキイズムが非常に強いと感じます。ミーティングでも「つねに変化していかなければならない」という言葉を聞きます。ナイキでは、管理職のみならず多くの社員が同じ哲学の下でビジネスをしているのです。

そうした変化を受け入れる姿勢は、商品の革新性のみならず、人事異動にも表れています。ナイキは好調なときでも、大きな人事異動を行います。『シュードッグ』の中でも、西海岸と東海岸の担当者をいきなり入れ替えるという話があります。そうした変化が人を育てることにつながる。私自身も学ぶべきところだと思いますね。

とはいえ、時に石頭だと感じることもあります(笑)。アメリカと日本の事情は違うので、日本ではこうしたほうが売れるはずだと意見を言っても、それがスポーツメーカーとしてのポリシーに反すると判断されると、反映されることは難しい。もちろん、きちんと耳を傾けてはくれますが。

大衆迎合するのではなく、あくまでアスリート目線でスポーツに適したものを作るというのがナイキのベースにあるのでしょう。こちらとしても融通が利かないなと思いつつも、頑固者をほほ笑ませるためについ躍起になってしまう。頑固者の一笑は価値がありますから(笑)。そういう魅力はありますね。

――創業者のフィル・ナイト氏に会ったことはありますか。

6年くらい前、ナイキ本社内の社員用レストランでちらっとお見掛けしたくらいで、私にとっては伝説の人物です。企業家としてというよりも、「NIKE」というブランドを創り上げたクリエーターとして、圧倒的なブランドイメージを世界に印象付けたわけですから。

当時、彼はもう会長職に就いていたのですが、その社員食堂には頻繁に行っているようで、いつも決まった席、しかも大勢の社員がいる普通の席の一つに座るという話を聞きました。情熱を冷ますことなどできない方なのでしょう。

彼は引退後もずっとナイキに大きな影響を与えているのでしょうが、ナイキとのビジネス経験や、本書『シュードック』を通して感じるかぎり、独裁者タイプではない。人に任せるところは任せきる。正社員第1号のジェフ・ジョンソンとのかかわりの中でもそれがよく表れていますよね。ナイキ独自のカルチャーを浸透させていくことで、人を育んでいったのだということがよくわかりました。

ランナーがシューズを、挑戦者がビジネスをつくった

――本書『シュードッグ』を読んで、新しい発見はあったでしょうか。

まず感じたのは、ナイキという企業、ブランドの根底にあるのが、「ランナーがランニングシューズをつくり、挑戦者がビジネスをつくった」という非常にシンプルな話だということ。あらためて、「ビジネスは複雑にしすぎてはいけない、目的をシンプルにして進むのがいちばんだ」と認識させられましたね。

本の中でフィル・ナイトは状況を正面から受け止めて、決して歪んだ解釈をしない。たとえば投資の仕方ひとつでも、持っているおカネをすべて投じる。つねに背水の陣を自分で敷いていくというタイプだと感じました。これはこれで疲れる生き方だな、と感じることもありましたが(笑)。

この本では、彼の心象もよく描かれています。特に家族に対する葛藤と、ビジネスに対する葛藤を感じました。その葛藤を表すように、緊張するとストレスから手首にはめたラバーバンドをパチパチと引っ張っては離す癖がついたというシーンが人間的な一面をよく表していて、印象的でした。一方で、彼は妥協しない。これでいいのだと立ち止まらないパワフルさがある。ナイーブで屈強なビジネスマンだと思いましたね。

それから、フィル・ナイトのグローバリズム。ナイキがオニツカや日商岩井など日本とゆかりが深いことは、この業界では有名な話で、この本を読む前から私も知っていました。しかし、この本を読むと、彼は学生時代、日本をはじめいろいろな国をめぐり、その国の精神や哲学を吸収していたことがわかりました。それこそが真のグローバリズムなのでしょう。外国の会社と交渉することがビジネスのグローバリズムではない。フィル・ナイトは本当の意味でのグローバルビジネスマンだと感じました。

――御社と重なる部分はありましたか。

当社もはじめは輸入卸から始めましたが、その後Hawkinsというブランドの商標権を取得し、またVANSというブランドの代理店となり、メーカーとして成長しました。そういった背景から、小売業となった今でも自社で商品を開発しています。そんな企業の生い立ちが、当社の創業者である三木正浩と重なる部分は多くありました。

三木も「皆がやっているビジネスではダメだ。独自性ある商品を作らなくては」とよく言っていました。今では年間約1500万足の自社開発商品を製造しています。不屈の精神とかモノづくりへの貪欲さなどが似ていると思いましたね。特に、フィル・ナイトが日本、台湾、中国と工場を追い求めていくときのパワー感がかなり重なりました。

弊社はもともと韓国の工場で靴を作っていましたが、その後中国にシフトし、さらにミャンマーに工場を移動してきました。15年以上も前からミャンマーに進出しましたが、まだ靴工場などがミャンマーになかった頃で、韓国の工場を説得して移転しました。今ではミャンマーにも多くの外国企業が進出していますが、15年も前の話です。「次の生産地はミャンマーだ」と創業者が言ったときは、私も非常に驚きました。

実は自社製品を開発し自社店舗で販売するというのは、粗利益は高く見えますが、開発費、広告宣伝費がかかる。他社から物を仕入れて売るのと比べ、リスクと苦労に見合うほどの利益差があるかというと疑問があります。しかし、自分たちの売るべきものを自分たちで生産したいという三木の情熱があり、そうした情熱は今でも社内に息づいています。物を作って売るからこそ、わかることがたくさんあるのです。その情熱を引き継いだ私たち一期生が、いまABCマートの経営に当たっているのです。

仕事に向き合うスピリットの原点がここにある

――野口さんたちも、靴にすべてを捧げたシュードッグだということですね。

いえいえ、私はまだまだシュードッグには程遠い。シューパピー(仔犬)くらいでしょうか(笑)。

この本で強く印象に残った言葉があります。「ビジネスという言葉には違和感がある。私たちにとってビジネスとは、カネを稼ぐことではない。単に生きるだけではなく、他人がより充実した人生を送る手助けをするのだ。もしそれをビジネスと呼ぶならば、私をビジネスマンと呼んでくれて結構だ」。

こんな趣旨の記述がありましたよね。これを読んで、フィル・ナイトの生活そのものがビジネスになっているのだと感じました。私は、人は誰しも純粋なビジネス欲を持っていると思っています。生きていくための本能の1つとして。金儲けがしたいとか、ビジネスを成功させたいという欲でなく、知的な刺激と発見への欲とでも言うべきものです。

日常生活でふと見つけるビジネスのヒントが楽しいと思ったことはありませんか? 私は街に出ると、つい人々の洋服や靴を見てしまう。ラーメン屋の行列を眺めながら、どんな人が、どんな服を着て、どんな靴を履いているかを見てしまう。電車の車内でもそうですね。街にはヒントがあふれているのです。いつの間にか、アンケート調査をしているようなものです。

私は週末には店頭に必ず立ち、接客をしています。というのも、売り上げはPOSデータでわかりますが、お客様がなぜその靴を買ったのか、あるいはなぜ買わなかったのかという理由まではわからないからです。直接接客をすると、どうしてそれを買っていただいたのか、あるいは買っていただけなかったのか、理由が見えてきます。店頭での接客は私が20年来続けていることで、私にとっての哲学の1つだともいえます。

臆病なプライドを持て

――若い読者に本書から汲み取ってほしいメッセージとは何でしょうか?

まさに「仕事に対するスピリットの原点、ここにあり」と思える本です。仕事って、どこかプライドがないとできない。でも、プライドが間違った方向にいくと、自分にとっても会社にとってもマイナスになってしまう。だからこそ、臆病さのあるプライドがビジネスでは重要だと私は思っています。本当にこれでいいのかという疑問を常にもつ臆病さ、それはどの業界であっても、どの職位であっても必要なことだと思います。

この本には、フィル・ナイトが経験した多くの葛藤が率直に描かれています。大きな問題に直面したとき、彼は迷いながら恐る恐る決断しています。そうしたビジネスの基本精神とでもいうものが、彼の心情を通して自然に入ってくる。すでに働いている人も、またこれから就職する若い人にとっても、とても有益な本ではないでしょうか。

――野口さんにとってスニーカーとはどんな存在ですか?

私にとって、スニーカーは音楽や書籍と同じ。その音楽を聴けば、あるいはその本を開けば、それを聴いていた、あるいは読んでいた時代がよみがえってくるように、過去に履いたスニーカーを見れば、当時の自分がよみがえるんです。だから、私は古いスニーカーも捨てられず、ずっと残しています。

きっと、スニーカーは洋服よりも同じ1足を身に着ける時間が長いから、そういう思いが強くなるのでしょう。スニーカーは単なる「靴」ではないのです。自分を形づくってきた大きな要素の1つです。そうした文化を創り出したのは、ナイキの大きな功績だと思います。