(文中敬称略)

 「緑のジャンヌダルク」がいつしか「緑のタヌキ」に変貌し、自滅してしまった――。

 「今度の選挙は政権選択選挙」と自ら宣言し、日本初の女性首相誕生かと内外で期待されながら、あの「排除発言」で大失速。

 政治家として、自身の東京の地盤も失うという大敗を喫し、怒り狂った都民によるリコール騒ぎも起こっている希望の党代表、東京都知事の小池百合子。

 選挙後、「党を立ち上げた責任がある」と、代表続投を明言したものの、党内には小池への不満がくすぶっており、前途多難な船出となった。

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「排除します」の大失言

 選挙敗退の最大の原因は、記者の質問(排除しますか?)にオウム返しし、「排除します」と言ってしまった失言だったと世間では言われているが、果たしてそうだろうか。

 最大の原因は、首相の安倍晋三を「権力の枢軸」と批判しておきながら、女性という弱者のイメージで売っておいて、一転して、「権力者」として自ら化けの皮を剥がし、政治家としても、一人の人間としても、有権者の厚い「信頼を失ったこと」だ。

 そのきっかけはいくつかある。一番に、衆院選不出馬だ。

 小池は初めから、衆院選に出馬するつもりはなかったと言われているが、それも果たしてそうだろうか。

 実は、小池は「11月19日での都知事選の公示などに関して、確認を受けていた」(都庁幹部)という動きもあったようで、本人としては、最後まで衆院選出馬を念頭に入れていた節がある。

 断念したのは、海外のメディアから揶揄されてきたポピュリストゆえに、世論調査に敏感に反応したためだ。

 各メディア調査で、約8割の有権者が「都政に専念すべき」と反対。「都政を変えるには、国政を変えなければならない」と日頃、訴えてきた立場上、反対は覚悟していたものの、ある程度の支持を得ると見込んでいた小池にとって、大きな誤算だった。

 結果、出馬を断念せざる得なかった。

 もともと、小池は1992年に日本新党から参院選に出馬し、初当選。以来、“日本の最強最古の男社会”で、政界の渡り鳥と冷笑されながらも、10年後には、自民党に入党し、環境大臣、防衛大臣、自民党総務会長などを務めてきた。

 当時、永田町のどこを歩いても、“紅一点”。男でも出世街道まっしぐらとはなかなかいかない政界。ニュースキャスター上がりの女性議員に対する風当たりはすこぶる強く、そんな永田町を小池は次のように表現している。

男社会のいじめに遭う“可憐な代議士”

 「男の嫉妬ほど厄介なものはない。永田町のエネルギーの源は『嫉妬』。この2文字を女偏でなく、男偏に変えるべきだ」

 一方、小池は、女性にとってこうしたバリバリの男社会の「不都合な真実」に可憐に立ち向かうマイノリティーとしての弱者のイメージを作り上げ、人気を博してきた。

 先の都知事選では、石原慎太郎から「年増の厚化粧」と、欧米であれば大変な人権問題に発展したであろうバッシングを受け、知事就任後も、都議会議長が写真撮影を拒絶するなど、彼女は“日本の最強最古の男社会”からひどくいじめられながらも、怯まず反撃する「緑のジャンヌ・ダルク」として、強い支持を得てきたのだ。

 そのイメージをさらに強固にするかのように、「希望の党」設立時での記者会見上で登場したプロモーションビデオ。

 小池と思われる女性が、ヒールの音を響かせながら歩く中、中傷、批判を男性群から浴びながらも、格好よく風を斬って、まっしぐらに進む。正しく、批判を恐れず、強靭な指導力を発揮するリーダー像を会場で、アピールした。

 林真理子(作家)は週刊文春で、「演出過剰」「女王様気取りの小池」と批判。まあ、そういう見方もあろうが(筆者はそう思わないが)、問題はこのビデオを見た有権者が人気を気にして世論調査の結果を考慮し、批判に立ち向かうどころか結果的に不出馬を決定した小池に失望したということだ。

 既成政党を批判し、改革派を自負する一方で実は、「口だけ女番長」にすぎなく、全くの期待外れどころか、嘘つきタヌキというイメージを植えつけてしまった。

 選挙という選挙を新聞記者時代に取材してきた筆者だが、選挙報道は、公示前は政党、候補に関係なく、自由な視点で取材が可能だ。しかし、公示以降は、公職選挙法に基づいて、各政党、各候補者を公平、公正に取材、記述することが決められている。

 もし、公示日に小池が“公約通り(政権選択選挙)”衆院選出馬宣言をしていたら、どうなっていただろう。

 そうなれば、公正な報道が求められる中、今回のように「都政放り出し一色」の一部候補者への批判集中報道になる可能性が少なく、よって、今回のように小池のマイナスのイメージだけがクローズアップされる結果にはならなかったかもしれない。

女の強さが前面に出て失速

 言い換えれば、初志貫徹し、小池が出馬していれば、小池劇場がどう展開、幕引きするか、かえって注目度は高まった可能性もある。

 そして、さらに今回のようなある意味「結果の見える消化不良選」でなく、投開票日まで、希望の党に、何らかの“希望”を有権者にもたせるモメンタムも維持できたかもしれない。

 そしてさらに、敗因のもう1つは、挑戦者、弱者であるはずの小池が、「安倍一強」を批判しながらも、自身が「小池一強」を創り出すような戦略失敗に陥ったことだ。

 小池=権力者と、安倍=権力者と変わらず、改革どころか、小池も旧来の権力者と結局は、同じなんだというイメージを有権者に与えてしまった。

 「女一匹、政界に媚びないイメージがあったが、仮面の下では、その場、その場で自分ファーストのために、人を消耗品のように利用する、旧来の信用ならないドロドロの悪徳政治家と同じだった」(50代の女性有権者)の話に代表されるように、小池自身が批判、毛嫌いしていた男どもと、結果的に同様な戦い方をし始め、都知事選、都議選で小池を推した有権者は一気に、“アンチ・小池”に振り子を反対側に急展開させたのだ。

 改革派、挑戦者としての期待が大きかった分、憎悪のブーメランは大きく反発し、総スカンを食らうことになった。

 結局、政治家として、「大きな信頼を失ったこと」が小池の最大の致命傷となったのは否めない。

 彼女が尊敬し、常に比較対象にする米大統領選に出馬したヒラリー・クリントンも、結局、信頼を失ったことが、敗因につながった。

 初の女性大統領を目指したヒラリーは、過去の米大統領選で、「最も嫌われた大統領候補」と言われた。

 米国民がクリントン嫌いとした最も大きな理由は、“ビッグ・ライヤー(大嘘つき)”で「信頼できない」ということだった。

権威主義的イメージで嫌われたヒラリー

 さらに、全米の富裕層からの大献金を得るヒラリーは、大手投資銀行のゴールドマンサックスが、ヒラリーの講演に対し、67万5000ドル(約7700万円)を支払ったことが明らかになったとき、「彼らが払う、って言ってるだけ」と、悪びれた様子もなく、計算高く、しかも権威主義的なイメージを焼きつけ、国民のヒラリー嫌いを増幅させてしまった。

 また、女性の権利拡大を主張し、弁護士時代は夫で大統領になったビルよりはるかに年収があったとされるやり手で知られるヒラリーは、「私は家でクッキーを焼き、お茶を入れるような女と違う」とストレートに主張。

 その男顔負け、いや、それ以上の強さは、良妻賢母の伝統的な価値観を主張する米国の男性社会には、「傲慢」であるだけでなく、一種、「脅威」でもあったに違いない。

 一方、日本の永田町も、男性的な古い伝統を重んじる社会で、最終的に決裂しても、相手のメンツを立てながら、双方納得の上で物事を進めるという馴れ合い的手法が求められる。

 しかし、小池はそうしたネゴをせず、今回、主義主張の合わない人をバッサリ切り捨て、旧来の男性中心的政冶から拒絶され、仲間からも批判される事態に陥った。

 この戦闘色の強い日米の女性政治家とは対照的に、愛犬と戯れたり、10代の娘と本屋にいったり、アイスクリームをほお張ったり、政治家の前に1人の人間、父親として素の自分をさらけ出し、米国の国民だけでなく、日本でも親しみやすい雰囲気で人気があったのが、前の大統領、バラク・オバマだった。

 小池やヒラリーは、その人としての姿や顔が見えにくく、いわば、親近感の湧かない、共感も覚えにくい、そういうタイプのキャラなのだ。

 もともとリーダーには、求められる資質が2つあると言われる。1つは、人の上に立てる「有能さ」。もう1つは「人間的な包容力(魅力)、温かさ」。

 この2つを併せ持つことはなかなか至難の業だ。結局、「有能」だが温かみがない。「温かい」けれど「有能」でない。人間、どちらかが突出してしまう場合が多い。

 このハードルを越えるのは女性リーダーにとっては特に難関だ。

女性リーダーの難しさ

 女性は、社会から優しさ、柔らかい女性らしさを暗黙のうちに求められるが、一方でそれは、「有能さ」を必要とされない部分でもある。

 そうもしなければ、「冷淡な」印象がつきまとう。

 一方、力強く振舞うと偉そうに見える一方、男性政治家だと、そこは反対に「頼りがいがあり、情熱的」と評価される。

 有能だが、冷淡で、利己的と思われがちなのが、女性リーダーがイメージ作りで、男性よりはるかに苦労するところだ。

 ヒラリーの敗因は、女性がゆえに有能だが戦闘的に見え、人としての温かさがいまいち、伝わらなかったことが大きかったのではないか。

 それは今回の小池にも、言えることではないだろうか。小池の真の最大の敗因は、実はこうした「人間的包容力、温かさ」に欠けていたことだったとように思う。

 今回、いつのまにか四面楚歌になっていた小池だが、このまま黙って去るような彼女ではない。

 ヒラリーの顛末の地を踏むか。復活劇を虎視眈々と狙うその時、必要なのは、政治家以前の人となりの温かさと包容力だということを忘れず、元祖・チャレンジャーらしく今度こそ、再び頂点に挑んでほしいものだ――。

筆者:末永 恵