(写真提供=SPORTS KOREA)

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開幕を間近に控える平昌五輪。

日本でも各競技に関心が集まっているが、開催国・韓国もそれは同様だ。

中でも、特にスピードスケートの人気は高い。

何しろ韓国でスピードスケートは、メダル獲得が確実視されていることから、「(国に)孝行している」という意味を込めて“ヒョジャ(孝子)種目”と呼ばれているほど。11月17日に発行される平昌五輪の記念紙幣にも、スピードスケート選手が描かれている。

2010年バンクーバー五輪と2014年ソチ五輪の金メダリストである“氷上の女帝”イ・サンファ(李相花)は、韓国スピードスケートの象徴だ。男子にも、バンクーバーで金、ソチで銀メダルを獲得し、2017札幌冬季アジア大会では4冠に輝いたイ・スンフン(李承勲)がいる。

スピードスケートは、韓国がもっとも期待を寄せている種目の一つと言っていいだろう。
(参考記事:平昌五輪で注目必至!“氷上の女神”キム・ボルムのSNSが韓国で大人気

国を挙げた「バンクーバー・プロジェクト」

そもそも韓国がスピードスケートで頭角を現し始めたのは、1980年代のことだった。

きっかけは、1986年に札幌で開かれた冬季アジア大会で、ペ・ギテが1000mで金メダルに輝いたことだった。

それまで韓国は国際大会で成果を上げられていなかったが、この大会以降に可能性が開けていった。

ペ・ギテは1988年のカルガリー五輪でも500mで5位に入り、1990年の札幌冬季アジア大会では2冠を達成。同年の世界スプリントスピードスケート選手権大会では総合優勝を勝ち取っている。

ペ・ギテに続いて看板選手として名乗りを上げたキム・ユンマンは、1992年のアルビールビル五輪に出場し、1000mで銀メダルを獲得。韓国に冬季五輪史上初めてメダルをもたらした。

ただ、その後はこれといった結果は上げられず、2006年のトリノ五輪でイ・ガンソクが銅メダルを獲得するものの、金メダルには手が届かない時期が続いた。

ターニングポイントとなったのは、2010年のバンクーバー五輪だった。

前出のイ・サンファとイ・スンフン、さらにはモ・テボムが金メダルを獲得したのである。

この大会をきっかけに韓国スピードスケートは世界にその名を轟かせたわけだが、その裏には、国を挙げた壮大なプロジェクトがあった。

韓国スケート連盟が2004年からスタートした「バンクーバー・プロジェクト」がそれだ。ショートトラックにばかりメダルが集中していた状況を打破し、スピードスケートとフィギュアも並行して発展させるべく、立ち上げられたプロジェクトだった。

目標は、スピードスケートとショートトラック、フィギュアスケートの3種目で金メダルを獲得すること。

韓国スケート連盟は、2009年までの6年間で196億ウォン(約19億3000万円)を投資。国内大会を活性化し、毎年約30回の海外遠征も支援した。

スポンサーとなったのは、1997年から韓国スケート連盟の会長職を担っているサムスンだった。

実際にバンクーバー五輪後、韓国スケート連盟のパク・ソンイン会長(当時)は、「サムスンが連盟を受け持ち、13年間継続的に支援してきたことが実を結んでいる」と語っている。

韓国スピードスケートは、この「バンクーバー・プロジェクト」があったからこそ、その名を世界に知らしめることができたのである。

「韓国スケート連盟の支援なしではこんな結果を得ることは難しかっただろう」とは、スピードスケート韓国代表のキム・グァンギュ監督(当時)の言葉だ。

いまや韓国のお家芸となったスピードスケート。自国で開催される平昌五輪ではどんな成果を上げるか注目したい。

(文=李 仁守)