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<アメリカで同性愛の親を持つ子供は少なくとも600万人――「私は困難を経験したが、次の世代は違うはず」>

私の母は同性愛者。そう言えるようになるまで、長い時間がかかった。

20年以上前、私が高校生だった頃に母はカミングアウトした。間もなく父と別れ、最終的には長年のパートナーだった女性とマサチューセッツ州で結婚した。

私にすれば衝撃的で、海外留学中の1年間はほとんど母と口を利かなかった。特に同級生には隠さなくてはと思ったし、絆の強い家族の中でもその話題はタブーだった。

私は29歳だった7年前、肖像写真プロジェクト「キッズ」を始めた。同じような境遇の人の話を聞き、写真を撮るためだ。私は世界中のいろいろな都市に住んだが、同性愛の親に育てられた人に会ったことはなかった。

LGBTQ(性的少数者)の親や保護者を持つ人々を支援する団体COLAGEを教えてくれたのは妹だ。ニューヨークのイーストビレッジのアパートで、若者たちが家族のカミングアウトの話をするのを聞いた夜から、撮影した子供は100人近く。彼らに会うことは私自身のセラピーにもなった。

シンクタンクのウィリアムズ研究所の推計では、アメリカで同性愛の親を持つ子供は少なくとも600万人。私は困難を経験したが、次の世代は違うはず。LGBTQへの差別なんて、歴史の中の話になるだろう。

ガブリエラ・ハーマン(写真家)


私にとって決定的なのは、
無条件に愛してくれる人が2人いるということだ
「私は世界で一番幸せな子供だ」って思う

<Jaz>
父が亡くなったのは私が2歳の頃。両親が離婚しようとしていた時期でもあった。母は精神的な問題を抱えるようになり、同性愛者と自覚していないことが問題の原因だと気付いたんだと思う。やがてレズビアンのチャットルームで今の妻タミーに出会った。結婚すると聞かされて、私は「はぁ?」ってなったけど。私たちが引っ越したニューヨーク州ロチェスター郊外の町はリベラルじゃなくて、親が同性愛者なんて誰にも言えなかった。大きな転機はたしか14歳のとき。3人でテーマパークに行き、タミーに「たまにはママって呼んでもいい?」と聞いた。彼女が泣きだして、それがすごく愛しかった。


<Malina>
私の父は弁護士で、生殖補助医療関連の法律が専門。彼は、自分と同じゲイの父親やレズビアンのカップルが代理出産で子供を持つのを支援する団体を立ち上げた。私は、生殖補助医療を使ってゲイの父親たちの間に生まれた子供の最初の世代。当時は体外受精の技術もまだまだで、12個の卵子を受精させるのに父たちは大金を使ったようだ。最後の1個はかなり状態が悪くて、これでうまくいかなければ子供は諦めようと思ったと父は話していた。それが私になった。ゲイの父親がいるのは、私が望める中で最も素晴らしいことの1つ。大変なこともあるけど、世界に関する得難い視点を与えてくれる。

Photographs by Gabriela Herman