増沢 隆太 / 株式会社RMロンドンパートナーズ

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合併相手のM社社長は社内を「全員受入れ」「解雇なし」でまとめあげ、さらには全盛期に蓄積した豊富なキャッシュフローを武器に、この合併によってかつて追い抜いた業界最大手のJ社への攻勢の足掛かりを得られるものと、真剣に考えていた。宣伝の上手いK社はマスコミの注目を集め、稼働前から新生会社は早くも業界最大手をしのぐともてはやされていた。

かつて全盛期には業界トップに立ったM社だったが、長年の衰退で販売力もブランド価値も落ち、独力での業績回復はとうてい望めない状況だった。業界トップのJ社のシェアは消極的支持に過ぎず、事実ブランド調査などでもJ社への支持は「他社よりまし」程度のものが多かった。2位以下の企業連合で販売ルートをまとめ上げれば、決して盤石ではないシェアは崩せる。その見立てはあらゆる業界関係者も同意するもので、業界再編は誰もがその効果を認めていた。

しかし一度トップの座を味わってしまったM社では、地道な営業努力を怠り、皆自分の力でトップに立ったというカン違いから、大同団結とは程遠い対立が尾を引いていた。一流大学出身の社員は経営理論を振りかざして地味な営業を嫌った。ドブ板営業でM社をかつてトップに育てたベテランはリストラされたり、閑職へと追いやられていた。

そんな沈滞したM社にとって、数ヵ月前にスマッシュヒットで製品がバカ売れしたK社との合併は千載一遇のチャンスであり、古くさびれてしまったM社のブランドごと丸々看板をかけ代えることで、再び反転を仕掛けることができる乾坤一擲が合併だった。

販売の神様と呼ばれ、かつてM社を業界トップに据えた老経営者は、リストラされる前に独立して個人商店で営業を続けていたが、業界の再編と営業の基本である販売力強化、地道な販売ルート統一によるシェア逆転を理論的に訴え、M社主導の再編は徐々に現実性を帯びていた。マスコミの脚光を浴び始めた最後発のK社と、M社社長は突如合併をぶち上げた。

K社CEOへの注目から、この動きは一気に加速し、地味な業界再編は吹き飛び、もはやM社社長はK社との合併外、何も見えなくなっていった。

実際K社の業界プレゼンスは抜群で、放っておいてもPRが記事になる正に登り調子の絶頂を迎えていた。この熱に冒されたような特異な空気はM社全社を支配し、社長だけでなく、幹部も社員もこぞって全員が合併を大歓迎した。社長はそうした背景を背に、取締役会の全権委任を勝ち取り、K社との合併協議は始まった。

K社との合併がいつの間にかK社によるM社吸収合併に変わっていったのはむしろ自然な流れだった。清新で登り調子なK社ブランドに比べ、古臭く評判の落ちたM社は抗いようもなく、何より「K社のカンバン」を求め、M社社員は雪崩を打って動き始めたのだ。実際K社が意図したかどうかは不明だが、熱病のようにK社に収斂していく奔流は止まらなくなった。

3か国語を操り、マスコミ対策を知り抜いたK社CEOは、無人の野を進むが如くK社のプレゼンスを上げてきた。地味な販売や営業経験のないCEO自身、マーケティングコミュニケーション・空中戦を得意とし、この商戦でも大いにその存在は注目された。

M社社員の目論みが違い始めたのは合併協議委員会が出来てからだった。両社を代表する幹部が話し合いをしたが、そこを仕切ったのはK社CEOの右腕、超エリート部長で、K社躍進の過程でいつの間にかCEO代理のような立場で仕切っていた。しかし超エリート部長自身に販売経験は乏しく、実績よりはイメージ、CEOとの距離感こそ最大の武器という、ありがちな腰巾着ぶりだった。

こうした中、元M社社員の入社に際しては「選別」が行われることが発表された。もはや対等など消し飛び、一方的な吸収であることが明らかになっていった。M社の幹部や大物のような煙たい存在はK社としては不要であり、またK社の経営方針やブランドイメージにそぐわない社員も不要であることが通告された。

K社のカンバンがなければ困るM社社員たちは右往左往し、結局誓約書を提出し、K社とK社CEOへの忠誠を誓った者だけが採用されることになった。K社CEOは笑顔でマスコミ取材に対し、当社経営ポリシーへの合意なき者は排除すると語った。

K社は業界を制覇すべく、全国で支店展開を行い、業界トップ企業J社を追い抜くというリサーチ結果も現れた。ベテランを排除した結果、急速な支店展開に人材供給が追い付かず、急きょ素人同然の研修生などもK社のカンバンで商戦に加わった。うるさいベテラン営業社員などを排除した成果は、こうしたCEOの命令一下の統一行動でも発揮された。

一方、排除されたM社社員たちは、中には宣誓のような屈辱を拒否した人を含め新生会社のR社を急きょ設立した。また元M社のベテラン社員の多くはどの企業にも属さない個人商店として、商戦に参加した。こうした流れはマスコミでも報道され、顧客はそれを見つめていた。

いつの間にか市場では、「信を貫いた」という評判がK社に参加しなかった人に集まり、逆にK社には冷酷で利己的なマイナスの評判が出始めた。CEO得意の空中戦が逆に作用し始めたのだった。特に排除された人たちが設立したR社は、悲劇のヒーローとして祭り上げられ、K社のマイナスをすべてプラスの評判として受けることができた。

商戦の行方は大きく変わった。

K社はCEOの右腕、超エリート部長自ら全く成果を上げられず退職に追い込まれた。排除されずにK社に忠誠を誓った元M社社員の多くは市場から選別された。

「排除された人々」とは、実は排除をした人々だったのだった。