藤嶋昭・東京理科大学長が今年の文化勲章受章者に選出された。「光触媒」は建物の外壁や空気清浄機など多く分野で応用され、毎年ノーベル化学賞候補にノミネートされている。豊富な研究実績や教え子の留学生との交流から、自然界の驚異、教育・大学問題まで幅広く語った。

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藤嶋昭・東京理科大学長が今年の文化勲章受章者に選出された。藤嶋氏が発明した「光触媒」は建物の外壁や空気清浄機など多く分野で応用され、毎年ノーベル化学賞候補にノミネートされている。豊富な研究実績や教え子の留学生との交流から、自然界の驚異、教育・大学問題まで幅広く語った「Record Chinaインタビュー(2014年)」の中から、3回に分けて紹介する。

この中で、「アインシュタインらのノーベル賞級の発明は、ワイワイ・ガヤガヤ切磋琢磨する研究室から生まれた。雰囲気がよかったから感動を呼び、大きな歴史的な発見が生まれた」と指摘。1979年に初めて訪中して以来、いち早く留学生の受け入れと養成・助成を通じ、日中の学術・研究の交流に取り組んだという。東大研究室時代に教えた留学生の多くが帰国後中国科学界をリード。今でも親密な行き来が続いており、今こそこうした交流が日中の友好促進に役立つとの考えを熱く語った。
(聞き手=八牧浩行Record China主筆)

――藤嶋先生は東京大学大学院に在学中の1967年春、水溶液中の酸化チタン電極に強い光を当てたところ、酸化チタン表面で光触媒反応が起きることを発見。業績が認められ、2004年に日本国際賞や日本学士院賞を受賞し、毎年ノーベル化学賞の候補にノミネートされています。酸化チタンは表面についた汚れや悪臭の原因となる有機物を二酸化炭素と水に分解する効果を応用し、ビルの外装や駅の屋根、トイレの便器などに広く応用されていますね。また、中国人留学生も多く育てられたとか。

私は中国工学院(日本学士院に相当)の院士です。北京の人民大会堂で院士の称号を中国のトップからいただきました。日本人としては2人目でした。私が最初に中国を訪問したのは1979年です。その前の1977年に中国から初めての留学生6人が東京大学工学部のそのうち1人が私の研究室に来て2年間在籍しました。黎甜階君です。その後中国の優秀な方が日本政府の国費留学生として来てくれることになりました。

もちろん私費留学生も来てくれましたが、そのうちの一人が姚建年君で、東大の博士号を取って帰国しました。現在、中国科学院の院士でもある彼は科学技術基金委員会の大臣格であるとともに中国化学会会長務めています。同じく東大研究室の教え子である劉忠範君は北京大学教授・院士です。中国で最近、学術分野ごとに巨額の資金が付く制度ができた時、彼は化学を代表して一人選ばれました。

江雷君は、2011年12月に、ここ(東京理科大学葛飾キャンパス)に来ていました。中国の化学研究所の教授でもありますが、北京の航天大学の材料学部長・院士です。新しい機能材料の開発をやっています。このように私の研究室の中国人留学生は皆中国に戻って業績を挙げ、活躍しています。院士ばかりで、うれしいことです。

――大事なことですね。先生が教えられた留学生が中国の化学会の礎を築かれたのですね。

国費留学生として20歳代で来日し、みな熱心で優秀でした。掲載されるのが難しい「ネイチャー」(英国の世界一権威ある科学雑誌)にも皆論文を書きました。劉忠範君も姚建年君もネイチャーに論文を出し、人民日報にも掲載され、話題になりました。

――私も通信社のロンドン特派員時代にネイチャーを仕事で読みました。最初に翻訳して報道するのは通信社の役目です。とても難しく、どう訳したらいいか分からなくて苦労した覚えがあります。中国はノーベル賞で欧米や日本に大きく先行されているから何とかしたいと考えているようですね。

劉忠範君は31歳の時に北京大に戻しました。戻る前、最初は講師でということでしたが、助教授で戻りました。ちょうどその時、若手を教授に登用する制度ができたようで、同年9月に教授に抜擢されました。私と私のところの橋本和仁助教授で彼を応援しようと、日中シンポジウムを北京でスタートさせました。それがほぼ毎年続いています。中国化学会会長の姚建年君がいつもリードしてくれています。教え子の多くが中国で活躍しており、誇らしく思います。こういう時代環境であるからこそ日中の科学・技術・教育交流が大切だと思います。