諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師

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 東芝の元社長の西室泰三氏が死去していたことが11月18日に明らかになった。西室氏は1990年代に社長として実践した経営改革は評価されているものの、のちの経営危機の遠因をつくったと言われている。国策に寄り添うことで、厳しすぎる現実に直面してしまった東芝について、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が振り返る。

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 衆議院解散の前日、東京都内で講演会があった。小泉純一郎元首相が演者とあって、ぼくも聞きに行った。会場には多くのマスコミも来ていた。小池百合子・東京都知事が突然、立ち上げた「希望の党」に加わるかどうか関心が集まったが、小泉元首相は即座に否定した。

「現在、やりたいことは原発ゼロだけ」という小泉元首相は、福島原発事故が起きたときに、原発ゼロという方針に切り替えるべきだった、と語った。

 そして、会場からの質問に答えて、こんな発言もあった。

「原発輸出なんてとんでもない。原発事故が起きたら、日本の輸出企業は大変な負担を強いられる。原発輸出による成長戦略なんて、国のためにも企業のためにもならない」

 この発言が、東芝のことを指すのは言うまでもない。原発輸出という「国策」に従った東芝は、いま崩壊寸前である。

 かつて「光る東芝」「みんな、みんな東芝」と歌っていた国民的企業が、パソコン事業も、白物家電も、医療機器部門も売却に追い込まれ、「生命線」ともいえる半導体部門も二転三転の末、売却先が決まろうとしている。なぜ、こんな事態に追い込まれてしまったのか。原発事業から手を引く機会は何度もあったはずなのに、なぜ、それができなかったのだろうか。

 東芝が米国の原子炉メーカー、ウエスチングハウスを購入したのは2006年。すでに価値の低下している会社に、6600億円もの巨費を投じた。というのも、アメリカで9.11同時多発テロ以降、航空機が突っ込む事態も想定して、原発の安全基準が引き上げられている。そのため、原発建設のコストは跳ね上がり、アメリカ国内で新規の原発は難しくなった。

 そこで、他国の企業に売却したいのだが、中国など旧東側諸国には売りたくない。そんなアメリカの意向を汲んで、日本政府が東芝に手を挙げさせた可能性がある。

 東芝にしてみれば、「ババをつかまされた」と揶揄されようとも、国がお墨付きをくれたのだから、突き進むしかないと思ってしまったのが第一の失敗だ。

 東芝という企業は、古くは東洋のエジソンと言われた、カラクリ人形の田中久重を源流とする。東電や日立とともに、電力のインフラを担ってきた。国の発展を支えているという自負が、いつしか国の言う通りにしていれば間違いないというマインドに変わっていったときに、東芝は崩壊しはじめたのだと思う。

◆東芝は世界の現実から目を逸らしたのか…

 その後、2008年にリーマンショックが起こり、世界の経済は縮こまる。決定打は、2011年3月11日に発生した東日本大震災だ。「安全」と言われた福島第一原発が津波により全電源喪失。メルトダウンという深刻な事故を起こした。原子力エネルギーの未来は、明らかに行き詰まったのだ。にもかかわらず、日本政府と東芝は、こうした現実とは隔絶した別の世界にいるようだ。

 第二次安倍政権はアベノミクスの三本の矢として、金融緩和、財政出動、成長戦略を打ち出した。金融緩和と財政出動によって、表面だけの株価の上昇を無理やりつくり出したが、目標設定のインフレ2%は、金融緩和を繰り返しても達成できない。

 成長戦略としては、新幹線や原発など、設計から製造、完成後の運営、メンテナンスまでを含めたパッケージ型インフラ輸出をメインに打ち出した。三本の矢のうち、いちばん遅れをとっているため、なんとしても経産省は推し進めたかったのだろう。

『東芝 原子力敗戦』(大西康之著、文藝春秋)は、東芝が崩壊していく原因に切り込んだ、大変おもしろい本だ。著者が入手した東芝のビジネスダイアリーを紹介しているが、東芝の原子力事業部門の社員と、経産省資源エネルギー庁の次長だった今井尚哉氏が頻回に会っている記述が登場する。今井氏は、その後、首相秘書官となり、モリカケ問題のときに、よく名前を聞いたあの人物である。「安倍の懐刀」とか、「影の総理」と言われている。

 ともあれ東芝は、国のお墨付きを得て、原子力部門に力を入れていく。西田社長は「2015年までに世界で原発33基を売る」と明言。さらに次の佐々木社長も「2015年までに39基」と目標設定を上げた。しかし、現実は8基売れただけである。絵にかいた餅もいいところだ。33基も、39基も、現実からはじき出した計算ではなく、なかば精神論に近い。6600億円も出したのだから、これだけ売らなければならないということに過ぎない。第二の失敗は忖度過剰適応に陥ったことだ。

 世界の現実から目を逸らし、都合のいいことしか見ようとしない視野狭窄に陥ってしまったのが、第三の失敗だろう。この時代に、世界で原発事業が伸びていくわけがない、と考える社員も当然いただろう。が、残念なことに、その意見が上層部に届くことはなかった。イエスマンばかりが出世する組織の弱いところはここにある。

 大西さんの本によれば、東芝は「チャレンジ」という言葉を大事にしていたという。かつて東芝をピンチから救った土光敏夫氏は、がんばって高い目標に挑戦するという意味で「チャレンジ」という言葉を使ったが、今では「不正をしてでも、達成しなければならない数字」という意味にとらえられるようになったという。その結果が、2015年に発覚した粉飾決算である。

 ガバナンスもいちおう形はつくられていた。内部告発がしやすいようなシステムはあったが、悪い空気に水をさす人はいなかった。粉飾決算を内部告発する者は、ゼロだった。多くの社員が誤ったチャレンジをしていた。みんな忖度という病に感染していたのだ。

◆「サザエさん」と東芝

 結局、西室泰三氏が、その後の歴代の6人の社長をコントロールしながら、国策の原発にしがみついた。西室氏は東芝の会長を退いた後、日本郵政の社長も務めている。ここ7代の社長たちは、東芝をなんとかしようというよりも、自分が財界でいいポジションをとることに関心が高かったように見える。「全社一丸」とうたうリーダーが、全社ではなく、自分のことしか考えていなかった。

 経団連の会長を目指したり、安倍首相キモいりの経済財政諮問会議の民間議員を務めたりした。上層部の脳内サーチには、「国策」「経団連」「民間議員」のことばかりで、本当の意味で日本のためになる企業としての役割や、世界の動きは見えていなかったとしか思えない。

 東芝の危機が報じられると、ネット上で「『サザエさん』が打ち切られるのでは?」と心配する声が挙がった。テレビアニメ『サザエさん』は東芝が提供している長寿番組だ。

 世界の変化とは関係なく、永遠に閉ざされた日常を生きられるのは、サザエさんとその一家だけ。「国策」を信じ思考停止した東芝の現実は、非常に厳しい。

●かまた・みのる/1943年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『検査なんか嫌いだ』『カマタノコトバ』。

※週刊ポスト2017年11月3日号