「肛門記」が掲載されているエッセイ集『風と共にゆとりぬ』(文藝春秋)

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 昨年は、第148回直木賞受賞作品『何者』(新潮社)が佐藤健主演で映画化されるなど、いまとなっては名実ともに日本の文壇をリードする小説家となった朝井リョウ。

 そんな朝井リョウが、最新エッセイ集『風と共にゆとりぬ』(文藝春秋)のなかである告白をし、話題となっている。

 その告白とは、彼は痔であり、しかも、それで手術まで受けていたということである。

 前述『風と共にゆとりぬ』のなかで彼は「肛門記」と題した原稿用紙100枚にもおよぶ随筆を執筆。その一部始終を綴っている。

 朝井が肛門に違和感を抱き始めたのは5年ほど前のこと。当時、彼は東宝でサラリーマンとして働きながら兼業作家として活動していたが、就業中はもちろん、オフの時間も小説執筆でデスクワークをこなす過重労働気味な毎日を送っていた。そんな日々を過ごすなかで、お尻の違和感はだんだんと強くなっていく。ついには、自転車に乗るときサドルにお尻をつけられないほどの痛みが走るようになり、肛門付近に何かが詰まったような膨らみもできていた。そして、ある日、ついに患部が爆発。血と膿が大量に体外に排出され、いよいよ病院にかかることになる。

 病院では「粉瘤」と診断され、完治させるために手術しか方法はないと言われるが、なかなかそこまで踏み切ることができずにまた時が過ぎる。症状は進退を繰り返しており、調子が良いときは我慢できるからだ。

 その状況が変わったのは、昨年の夏の終わりから秋にかけてだった。その時期の朝井は、新刊小説『何様』(新潮社)と映画『何者』公開にあわせたプロモーション、この時期に集中した多数のトークイベントなどに加えて、小説の執筆も合わさり多忙を極めていた。

 そこで放っておいた肛門が再び悲鳴をあげる。疲労を溜め込んだことが災いしたのか、大量の膿が垂れ流され始める。痛みも走るが、それでも仕事を休むことはできない。そのときの朝井の精神状態は限界で、道行く人に「何で私のお尻だけ痛いの!?」と詰め寄りかねない状況だったという。『風と共にゆとりぬ』のなかでは、いかにそのときの心が限界だったかをこのように綴っている。

〈このままではいつか、"この著者は肛門がキレイだから"というだけで帯コメントや文庫解説の依頼を断ったりしてしまいそうだ。そんな自分を愛する自信 はない〉

 その結果、朝井はまた病院に駆け込むことになるが、ここで彼は「痔瘻」も併発している可能性が高いという診断を受ける。痔瘻とは、肛門の内側に細菌が入ると、そこから膿が痔管というトンネルをつくり、最終的には膿が溢れ出す穴を開けてしまうという病気。根本的な治療としては、痔管を除去する手術が必要になる。

●浅田次郎、さくらももこ、赤瀬川原平...痔もちの作家

「肛門記」ではこの後、手術を受けることになった朝井の不安がギャグたっぷりに綴られている。気になった方は『風と共にゆとりぬ』を読んでいただきたいが、実は朝井のように痔で苦しむ作家は多い。

 痔瘻になる原因は、ストレスや軟便だと言われている。朝井はもともと非常にお通じの良いタイプらしく、痔を引き起こす要因がダブルで存在していたわけだ。

 作家といえば、座りっぱなしで執筆作業に明け暮れざるを得ない商売。創作上のクリエイティブな「生みの苦しみ」に加え、作品の評価や売上の推移など、ストレス要因は数多い。だから、朝井と同じように痔を抱え、その苦しみを文章にしている作家は多いのだ。

 まずは、『鉄道員』(集英社)などの著作をもつベテラン作家の浅田次郎。彼はエッセイ集『勇気凛凛ルリの色 福音について』(講談社)のなかで痔であることを告白。その原因を長時間のデスクワークとしている。

〈実は私、痔主である。売れぬ小説を文机で書き続けた結果、大痔主になった〉

 このエッセイのなかで彼はウォシュレットの素晴らしさを称えているが、この便利な文明の利器が出てくるまでの苦しみをこのように綴っている。

〈痔は痛い。発作中、便法により一気呵成に脱糞するときなど、「エイヤッ!」ではなく、「キエェ〜〜イ!」というような悲鳴を上げるほどである。しかるのち、ペーパーで拭うときの痛さと言ったら、今このとき地球が破滅すれば良いと思うほどである〉

 朝井が痔の痛みのあまり、「何で私のお尻だけ痛いの!?」と道行く人に詰め寄りそうになったり、「この著者は肛門がキレイだから」というだけで帯コメントや文庫解説の依頼を断ったりしそうになったのは先にご紹介した通りだが、いったん痛み始めると四六時中それについてしか考えられなくなるのも共通する「痔あるある」のようだ。

 実は、さくらももこにも痔の苦しみを綴ったエッセイがあるのだが、彼女は『さるのこしかけ』(集英社)のなかで、お尻の痛みがうずき出したら買い物中であってもお尻のことばかり考えてしまうと綴っている。

〈私は気もそぞろになり、一日の生活時間の中で、尻の穴のことを考える時間がかなり増えてしまった。買い物に行こうとしてキンチャク袋を見たりすると尻の穴を思い出す。街を歩いている人の後ろ姿を見ても「あの人の尻の穴はどうだろうか」などと思ってしまう〉

●痔の疑いのある読者へ、朝井リョウからのメッセージ

 朝井は患部から膿が出ているような状態なのにも関わらず、騙し騙し我慢して数年にわたって痔を放置していたわけだが、これも「痔あるある」なようだ。

 作家でアーティストの故・赤瀬川原平も痔を患ったことがあるひとりだが、彼も病院で手術を告げられてから6年にわたって放置している。

 その「先送り」の日々が終焉を迎えたのは、生まれ始めてスキー旅行に行ったときのこと。エッセイ集『困った人体』(マガジンハウス)では、その決定的な瞬間がこのように綴られている。

〈立った瞬間にスルッと滑った。
 そのとたんに問題化したのである。スルッと滑って、いけない!と思って、反射的に両足を踏ん張る。一瞬、それまで抱えていた問題のことを忘れてしまう。抱えて、押さえ込んでいた筋肉がゆるんで、一気に結論が出てきた。
「いけない!」
 と思ったのは両方に対してである。足もとが滑るのに対してと、問題が露呈したことに対してと〉

 そのものズバリな単語はオブラートに包まれているが、読んでいるだけで痛みが伝わってくる文章である。スキー旅行中はナチュラルハイ状態だからそんなに気にならなかったものの、それから帰るともう我慢ができなくなり病院へ。ついに手術を受けることになったそうだ。

 ちなみに、痔瘻はあまり長期間放置していると肛門がんになる可能性があり、朝井リョウも手術を受けたとき、がん細胞があるかどうかの検査も一緒に受けたという(幸いなにも見つからなかった)。そんなこともあり、朝井は『風と共にゆとりぬ』でこのように書いている。

〈私は、粉瘤だと勘違いをしていた時期を含めると四年近く治療をしていなかったため、がん細胞が生まれていた可能性もあったらしい。なんということだろう。ベタなことを言うが、肛門に違和感がある人は早めに病院に駆け込む ことをおすすめする〉

 痔は作家にとっての職業病なのかもしれない。
(新田 樹)