しばらくして、新たな人物数人がやって来た。全員男性で背広姿。留学生に比べれば年配に見える。隣の北朝鮮留学生に聞いてみたら、「大使館の地位のある人。今日は来ると聞いていなかったけど」と言います。写真は北朝鮮。

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今回も、北京の留学生時代に北朝鮮人と接した思い出です。今さらどうしてそんな古いことを書くかといえば、日本人の北朝鮮人に対する「視線」が、警戒心や敵愾心(てきがいしん)で、かなり凝り固まってしまったように思うからです。国の動きや体制に対しての反発があるのは分かります。いや、あって当然と思うのですが、北朝鮮庶民に対する感情が、それに流されすぎるのは危険だと考えているわけです。

さて、北京語言学院(現:北京語言大学)という学校で留学生活を始めたわけですが、学校の食堂にも飽きるし、周辺の飲食店に行っても中華料理。だんだんつらくなる。北京市の中心部には日本料理店もありましたけど、貧乏留学生が、そうそう足を踏み入れることはできない。

そんな時の切り札が「朝鮮餐庁(チャオシエン・ツァンティン)」でした。日本語で言えば「朝鮮レストラン」かな。北京など中国北部には、庶民的な店がけっこうあります。経営しているのは吉林省や遼寧省から来た朝鮮族。韓国人や北朝鮮人ではありません。中国国内出身の“中国国籍のコリアン”です。数年間だけ北京で商売して金をため、故郷でさらに大きな飲食店を開いたり、会社を設立する人も多いと聞きました。

ある日、昼食を取ろうと行きつけの「朝鮮餐庁」に行きました。あれ?扉を開けるといつもと様子が違う。雑然と並べられているはずの四角いテーブルがびっしりと整列。こちらの列にはネクタイ姿の男性、反対側にはチマチョゴリの女性がずらりと並んで着席。はて?いかなる団体様なのであろうか。

見まわしてみれば、覚えのある顔がひとつ、ふたつ。分かりました。北朝鮮の留学生一同でした。

前回ご紹介したZ君もその中にいた。店の扉のところで目を白黒させている私を見つけて、やってきました。Z君によると、その日は北朝鮮の「首領様」の生誕日で、北京語言学院の北朝鮮留学生一同で、祝賀の宴を執り行うことになったとのこと。貸し切りだそうです。

北朝鮮大使館は、留学生の面倒をよくみていました。こういう祝賀会の費用は、もちろん大使館持ち。北朝鮮から運んで来た食べ物や自炊用の食材を配ることもあった。もっともこれは監視していることと裏表で、留学生が大使館に呼ばれたり、大使館から留学生を視察に来ることも多かったというわけです。

さて、北朝鮮留学生の貸し切りと聞いて、私はZ君に「それなら仕方ない」と伝えて引き上げようとしました。と、Z君が「ちょっと待ってくれ」と言います。何かと思ったら、彼はその生誕祝いの会を仕切っているらしい先輩学生のところに行った。なにか話している。それから、その先輩学生がやってきて、私に「あなたも一緒に食事をしませんか。歓迎します」と言った。ううむ、これはめったにない機会だと思い、遠慮せずにごちそうになることにしました。

しばらく食べていました。店の中の会話は朝鮮語。私と周囲だけが中国語。まあ、私は朝鮮語が分からないから相手が合わせてくれたわけです。もっとも、当時の私の中国語は今以上にド下手でしたが。

さらにしばらくして、新たな人物数人がその朝鮮餐庁にやって来た。全員男性で背広姿。留学生に比べれば年配に見える。隣の北朝鮮留学生に聞いてみたら、「大使館の地位のある人。今日は来ると聞いていなかったけど」と言います。

新に来た人の中でもとりわけ「偉そうな」人物が店の一角に立った。場内正面といったところです。すると、先ほどの「仕切り役」の先輩留学生がその隣に進み出てスピーチを始めた。

朝鮮語でひとしきりしゃべってから中国語に切り替えて「今日は、このよき日を祝うために、中国人の友も来てくれた。皆さん、歓迎しましょう」と言い出しました。店内の留学生一同、私に対して大拍手。何が何だか分からなかったが、私はとりあえず立ち上がり「シエシエ」を繰り返して着席しました。