「自分もファンの人も、不本意に消費されない世界で生きていきたい――」(筆者撮影)

「地下アイドル」という職業がある。 マスメディアへの露出よりも、ライブを中心に活動しているファンとの距離が近いアイドルの総称だ。そんな地下アイドルという独特なサブカルチャーを生み出した現在の若者たちの実相に迫った『職業としての地下アイドル』。著者であり、現役地下アイドルの姫乃たまさんが、「18歳・地下アイドルがハマった『うつ』の隘路」(2017年10月18日配信)に続いて自らの体験談を綴ります。

2012年2月に1度地下アイドル活動を休止して、東京を離れてから2週間が経った頃、久し振りに携帯電話の電源を入れたら、大量の着信とメールが残っていました。

ワンマンライブの日は、満員の客席を見ても誰からも求められていないような気がしたのに、気持ちが穏やかになっていたせいか、着信の履歴を見ただけで自分が気にかけられているような気がして、少しおかしかったのを覚えています。

うれしい不意打ち

メールのほとんどは19歳の誕生日を祝うもので、それからライブの出演依頼がいくつも届いていました。どれも断ってしまおうと思いながら、ざっと目を通していたら、その中の1つに「シークレットゲストとしてでも構わないので出演できないでしょうか」という依頼がありました。

地下アイドルの世界から身を引いたとき、私はすっかりこの世界にいる人たちを信じられなくなっていました。

そんな私にとってシークレットゲストの依頼は、うれしい不意打ちでした。シークレットゲストとしてイベントに出演する場合は、事前に告知をしてはいけないので、集客や宣伝をする必要がなくなります。集客のためではなく、純粋に私をその場に必要としてくれていることに、自分を認められたような気がしたのです。

東京に戻って大学に入学した私は、そんなささいなきっかけで想定外に、そして随分と早々に地下アイドルの世界に復帰することになりました――。

『うつヌケ』(KADOKAWA)という本が27万部(2017年5月現在)を突破するベストセラーになっています。

『うつヌケ』は、うつトンネルから抜け出せた人たちの存在と、トンネルを抜けた人たちでも再発に怯えていることを教えてくれて、寛解したいま読んでもとても安心できました。同時に、現代には過労やうつで悩んでいる人がたくさんいることも知りました。

地下アイドルの世界もまた、人生と生活の選択肢が多くなった現代に生まれた世界です。少なくとも私はその中で、悩める女の子たちと共に活動をしてきました。

私はうつ病の診断を受け、そこから3年ほどかけて寛解に至りました。現在は担当医の判断で断薬しています。

私の場合は、自分がうつ病であることを認めて原因を分析することが、不安と向き合うための大きな一歩になりました。

しばらくは調子がよくなっても、また少し悪くなる日々を繰り返していましたが、調子が悪いときこそ焦らず、自分の不安の奥にある原因を察知して分析することで、次第に思考が停止するほど調子が悪くなる日は減っていきました。

自分で原因を分析してみた結果、私を憂鬱にしていたものをおおまかに分類すると、

【過労】【人間関係】【自分の気持ちを尊重できない】の3つにまとめられることに気がつきました。

まあ、あの、うつ病だと診断される前から、とびきり明るい性格でもなかったのは間違いのない話ですが……。

過労への入り口

それはさておき、どれも普通の仕事と同じように考えれば、すぐに気がつきそうな原因ばかりですが、地下アイドルを仕事ではなく、特殊な活動だと考えていたせいで長いこと気がつけずにいました。

ひょんなきっかけで地下アイドルの世界に足を踏みいれた当初、私は高校生になったばかりだったので、働いておカネをもらえることがすごく楽しくて、すぐに月20本ほどのライブに出演するようになりました。そうして私は、高校に通いながら、放課後はライブとアルバイトに明け暮れていました。これが過労への入り口だったように思います。

また、ライブに出演するときはつねに、周囲の女の子との人間関係を保とうとして緊張していました。地下アイドル同士は競わされる機会が多いので、油断すると仲が悪くなってしまうからです。

地下アイドルの世界には、普通の女の子よりも他者に認めてもらう機会が多く用意されていますが、同時に女の子同士が比べられる機会も多く待ち受けています。2009年にAKB48グループが、ファン投票で順位を決める総選挙を開催し始めたことから、当時の地下アイドルはこうした女の子を競わせるイベントが多かったのです。

それだけでなく、勝ち抜くための過程として、物販の売上金額や有料のインターネット配信の視聴者数を競わせるようなオーディションも珍しくありません。オーディション自体をビジネス化している人たちがいるからです。

彼女たちはもし他者から競うことを強制されていなくても、時に自分自身にノルマを課す場合があります。「いつのライブに何人動員できなかったら……」「CDが何枚売れなかったら……」「ツイッターのフォロワー数が何日までに何人にならなかったら……」といった数字で達成がわかる目標を掲げる女の子が後を絶たないのです。

正解があいまいな世界では、つい目に見える達成がほしくなってしまいますが、女の子たちにとって精神をすり減らす行為であることに違いはありません。

高校生のときの私も、自分と同じような新人の地下アイドルと横並びになって比べられたり競わされたりすることも、大きな精神的負担になっていました。

メイド喫茶の店長職がとどめに

また、ライブもアルバイトも減らせなかった理由は、子どもの頃から悩んできた自分の「断れない性格」にもあります。結果として断れない性格は、仕事を増やして私に疲労感を募らせ、うつへの大きな原因になっていったのです。

あまり眠らずに朦朧として過ごしていると、仕事での人間関係にもトラブルが頻発するようになりました。仕事の依頼をすべて受けるということは、その仕事についてくる人間関係も一緒に引き受けるということだったからです。

中でも私にとどめを刺したのは、メイド喫茶の店長職を引き受けたことでした。

思い出すのもつらいことです。


子供の頃から「断れない性格」に悩んできた(筆者撮影)

そのお店は私に依頼が来た時点で、1人の常連さん以外はほとんどお客さんがいない状況でした。私のライブを観ていた社長が、私を店長に、私のファンの人たちをお客さんとして迎えたいということで、何度か現場まで足を運んで熱心に依頼してくれたのです。

実際に働き出すと、もともとお店にいたメイドの女の子たちも優しい子ばかりで、私のファンの人たちに接客できることも本当に喜んでくれました。私もファンの人と顔を合わせる機会が増えて、女の子たちとも仲良くしてもらえて、自然と多くの日数をお店で働いて過ごすようになっていきました。

しかし、お店が軌道に乗り始めると次第に、私がお客さんを呼んでいることから、社長が露骨に私をひいきするようになっていったのです。たった1人いた常連さんが店に来なくなり、元いた女の子たちも1人2人と辞めていきました。

私は店長として女の子たちの支えになりたいのに、女の子たちにとって社長にひいきされている私は脅威でしかありませんでした。近づいたら社長から意味もなく怒鳴られるかもしれないのです。

女の子たちもみんなつらいのに、私も孤立してしまって身動きが取れなくなり、私は心身ともに完全に疲弊しきっていました。

そんなある日、いまこうして振り返っていても、どうしてもきっかけが思い出せないのですが、私はついに社長と店で衝突して、お客さんも女の子たちもいる前で我を失ってしまいました。

次に記憶があるのは、エレベーターホールで叫びながら倒れ込んで、男性スタッフに取り押さえられていたことです。

堪え性がない品位に欠ける行為だったと思います。しかし意識を失うということは、本能的にその場にある人間関係をすべて断ち切りたかったのだろうと、何年も経ったいまになって思います。

私の断り切れない性格は、こうして最悪の状態で発露してしまったのです。

そういったふうに、対人関係も何かとバランスの難しい地下アイドルの世界ですが、当時の私がつらかった原因は自分の中にもありました。

「自分が何になりたいのかわからない」

私の場合、有名になりたいとか、将来的に地上のアイドルになりたいといった明確な目標を持たないまま地下アイドルになってしまったため、「自分が何になりたいのかわからない」ことにもやもやと悩んでいたのです。

それでも私は、アイドルに対してこだわりがなかったので、ファンの期待に応えられればいいやと思っていました。しかし、その考えは次第に「地下アイドルでいることは自分の趣味嗜好や想いを殺すこと」という思い込みに変わっていったのです。

結局、ファンの期待に応えるといっても、何をどうしたらいいかわからないので、周囲の地下アイドルと同じようなコスプレっぽい衣装を着て、さして興味のない流行りのアニメソングを歌っていました。

当然、そんなことをしていても、自分が何になりたいのかわかるはずもありません。それでも投票制ライブの日はやってきて、私はほかの地下アイドルの子たちと競わなければなりませんでした。そしてそのたびに、自分には何ができるのか、どれくらいの価値があるのか、悩むようになっていったのです。

端からよっぽど信念のある子は別ですが、自分にいつまでも自信を持てない子は、人気がある子のまねをすることで、どんどん自分を見失っていきました。

反対に自信がありすぎる子は、ほかの子が自分よりも票を集めると、出演を辞めてしまうほどショックを受けていました。そのまま引退していった子たちもたくさんいます。

地下アイドルになったことで、一度はアイデンティティを取り戻したはずの女の子たちが、再び喪失感に襲われる瞬間を何度も目にしました。

私も誰かと比べられるよりずっと、自分で自分をわからないことのほうがつらかった。

でも私は、自分の意思を尊重することをやめて、ファンが好みそうなことを勝手に想像して、主体性がないまま活動を続けていたのです。

それでいいと思っていたのに、なんだかそれは、ずっと自分にうそをつき続けているような感覚でした。

だから、どれだけ応援されても、私ではない女の子が応援されているように感じていたのです。当然、本気で応援してくれているファンの人たちにも本当の自分を隠しているような後ろめたさがありました。

そうやって、活動を始めて3年が経つ頃には、ファンを無意味に消費しているような感覚にも、自分を消費することにも慣れてしまい、そのためにすっかり疲弊していました。

自分もファンの人も、不本意に消費されない世界で生きていきたい――。

絶対にそれはできるはずなのに、それ以前に自分に何ができるのかわからなくて、私の精神は病んでいきました。

私の心と体は、限界に達していました。

結局、私は地下アイドルの非日常感に目が眩んでいたのだと思います。


非日常感に目が眩んでいたのかもしれない(筆者撮影)

私は昔から自分の存在を肯定できていなかったので、いつか機会があったら、違う人間になるのが自然と思っていました。だからどうせなら、この世界でまったく違う自分になったほうがよいと思っていたのです。

しかし、なんでもない女子高生だった私が、アイドルの何たるかを知りもしないのに、当てずっぽうで演じてきた地下アイドル像なんてなんの意味もないものでした。

他者の期待に応えるのは、自分の居場所を手っ取り早く確保するには確実な方法です。しかし、その行動が自分の本意でなければ、ファンからの独善的な要望に沿うことで、無理をして相手をつなぎとめている地下アイドルの女の子と同じになってしまいます。

自分の本意でない形で他者の期待に応えても、自分にとって居心地のよい場所は確保できないのです。

私生活の自分の周りには、自分と合う人しかいないのに、どうして地下アイドルの私には、合わない人も集まってきてしまうのだろう――。

さらに自分に合わない人たちが集まってくると、本当は一緒にいてほしい人たちが逆に、居心地が悪くなって、離れていくようだったのです。

こうして、地下アイドルの自分にも、その人間関係にも疲弊して、地下アイドルの世界から一度は身を引きました。

自分らしさとは何か

しかし、数カ月後に再びこの世界に戻ってきた私は、今度こそ自分と、自分がいる世界を冷静にとらえ直す必要があることに気づきました――。

まず私は、地下アイドルが自分の趣味嗜好や想いを殺す仕事であるという認識を修正することから始めてみました。

私は心のどこかで、いつか自分はまったく違う人間になるのだと思っていました。でも、結局私は、私としてしか生きられなかったのです。

生きていく世界が変わったからといって、私は別の人間になれるわけではありません。最初からただ、自分の想いを大切にして、自分にできることを、できる範囲でやっていくしかなかったのです。

それに気がついたのはよいのですが、自分らしさとはなんでしょう。私は地下アイドルの世界で自分らしく生きていくために、高校受験のときにも、アルバイトの面接でも聞かれたような、自分は何が得意で不得意か、何が好きで嫌いかといった考えにやっと立ち返りました。

地下アイドルの自分と私生活の自分を重ねていくことは、地下アイドルのときも自分らしくいるために重要な作業のように思えました。

それに気づいてからは、「゚*☆姫乃☆*゚」という名前も「姫乃たま」へと改名しました。名字と名前は両方あったほうが本来の自分に近くなると考えたからです。

意味を持たない張りぼてだった名前から、意思のある名前へ。

私はこうした作業を経て、地下アイドルの世界に腰を据え始めました。

自分の嗜好に合った活動

復帰してからの私は、できるだけ自分が興味を持てる面白い仕事を選ぶことにしました。

普段は聞いていないアニメソングを歌うのも、それを本当に好きな人たちに失礼なので、岡村靖幸の「だいすき」とか、自分の好きな楽曲を歌うようにしたのです。

ライブが盛り上がるようにアニメソングやアイドルソングを意識して作っていたオリジナル曲も、お客さんが無理にヲタ芸を打たなくてもよい雰囲気の楽曲に変えていきました。

最初はヲタ芸を打てないことでファンの人たちが離れていかないか不安でしたが、彼らは変わらずに応援を続けてくれました。また、自分に合ったオリジナル曲を歌うようになったことで、それを好む新しいファンの人も応援してくれるようになりました。

いままでお客さんは、私ではなくてカバー曲が好きなのではと思っていた自分を恥じる経験になりました。

同時にブログの文章も、地下アイドル独特の「隙を持ったツッコミどころの多い文章」(そうしたほうが人気は出やすいようだったのです)というセオリーを捨てて、自分が書きやすい文体に直していきました。

私は活動休止する以前から、ある雑誌でコラムを書く仕事をしていたのですが、そちらは元から普通の文体で好きに書いていて、お気に入りの連載だったからです。

初めて担当になってくれた編集さんのことも、雑誌自体もとても好きで大切に思っていましたが、私が活動を再開して少し経った頃、ふと休刊になってしまいました。とても、悲しいことでした。

私はその気持ちを何よりも文章にしたくて、公開するところもなかったので自分のブログに掲載したところ、驚くべきことに、ブログへのアクセスが急激に増えて、出版社から連載の依頼が舞い込んでくるようになったのです。

月の連載はあっという間に10本を超え、多いときには20本になりました。


人と競い合う必要がなくなった(筆者撮影)

この頃からライプへの出演と同じくらい、文章を書く仕事にも比重を置き始めます。

それからは、地下アイドルをまったく知らない人も、私の文章を読んでライブに足を運んでくれるようになりました。

初めてライブに来て、ヲタ芸ができなくて不安な人のために安心して普通に聞くことができるオリジナル曲を用意するのは、私にとっても、とても楽しい作業でした。

活動の内容を自分らしい方向に変えたことで、私の好きなものを好きだと言ってくれるファンや関係者の人たちが現れて、私の文章を世に出してくれる編集さんたちにもたくさん出会うことができました。

私はまったく違う人間には生まれ変わることができませんでしたが、自分の嗜好に合った活動をすることで、ほかの地下アイドルの女の子たちと競い合う機会もなくなりました。

ほかの人とまったく同じ人は存在しないので、自分の想いを尊重したほうがよっぽど、人と競い合う必要はなくなることに気がついたのです。

そうすることで結局、忙しさは活動休止前と変わらなくなってしまったのですが、精神的につらい時間は、前よりもずっと減っていきました。

外の世界に自由に手足を広げられるような感覚

復帰してからさらに3年が経った頃、初めての単著である『潜行―地下アイドルの人に言えない生活』(サイゾー)と、初めての全国流通になる『僕とジョルジュ』というCDが発売されました。

文章を書く仕事は、地下アイドル業界の中から情報を伝えるとともに、私自身も外の世界に自由に手足を広げられるような感覚がありました。

また、ライブハウスでCDを手売りしていた頃は、音楽系のニュースサイトや雑誌から取材されることは滅多にありませんでしたが、『僕とジョルジュ』の全国流通をきっかけに、どのリリース情報も多くの媒体に取り上げられるようになりました。

チャートにランクインすることも、音楽媒体に取り上げられることも光栄でしたが、それによって、この音源を受け入れてくれた人たちの存在を知られたことが、私にとっては何よりもうれしい出来事でした。

地下アイドルとして、この世界でのあり方に迷っていた私にとってそれは、ほとんど救われるような思いでした。

こうして自分の趣味嗜好や想いを尊重した地下アイドル活動は、私をどんどん自分に合った面白い世界へと導いていってくれたのです。

居心地のよい「磁場」を作る

私が自分の居場所を見つけられたのには、もう1つ大きな理由があります。

以前は、少し苦手だなと思うような高圧的な人や、下心が見え隠れするような人からの仕事もすべて引き受けていたので、仕事が精神的な負担になっていました。そして1つでも気になって仕方のない憂鬱な仕事があると、ほかの仕事にも影響が及んでしまっていたのです。

そこで私は自分に合った活動を模索しながら、私が居心地のよい「磁場」を作るようにしました。「磁場」とは、自分にとって気の合う人同士が集まってくる、居心地のよい人間関係のことです。

私の場合、本当に精神的な負担になっている一部の人との関係を絶って、ほかの人はすべて受け入れるのが磁場を形成する方法でした。

精神的な負担になっている人は、「この人ここがなければいい人なのになあ」と思った時点で負担になっていると判断して、距離を置くようにしています。私はどちらかというと人を嫌いにならないほうなので、こう考えてしまった時点で、結構な負担になっていることに気がついたからです。

以前は断り切れなかった仕事でも、後から面白い仕事につながるかもしれないと前向きに考えていましたが、不思議なもので、面白くない仕事は面白い仕事にはまったくつながらないのだと、次第にわかるようになりました。

押し寄せる不安に駆られる形で地下アイドル活動を続けていた頃には気づきませんでしたが、「自分とは合わないな」と思う人からの仕事と人間関係を断つことは、私にとって、とても大切なことでした。

以前はそうすると困ったことが起こるのではないかと恐れていましたが、やってみるとそれは、まったく問題のないことでした。困ったことなどまったく起こらなかったのです。

それと同じことですが、地下アイドル活動をするうえで、「自分の趣味ではないけれど、ファンの人はこういうものが好きそう」と勝手に予想を立ててライブをしたり、作品を発表したりしても、結局、真の需要や彼らの嗜好からは少し外れたものしか生み出せないことにも気がつきました。

そうして無理をしたキャラクター作りをしている地下アイドルの女の子たちは、その多くがすごく疲れているように見えます。私もまったくそうでした。

以前、天真爛漫で元気なキャラクターの女の子が、楽屋で「はいはい、楽しかったって言えばいいんでしょ」とやさぐれていて、大変そうだなと思いつつ、なんだか私にはその素直な姿のほうが魅力的に見えました。

結局、彼女は何年か前に疲弊しきって辞めていってしまったのですが、よほど売れたい願望だけが強くあって、それを達成するためなら何でも我慢できるという人でなければキャラクターを演じるのは難しいのだと感じる出来事でした。

生きていくことに対して大らかになれた

さらには、自分に合っていない仕事のやり方は活動自体を先細りさせてしまうことにも気がつきました。

余裕がなくなると、目先の利益にとらわれてしまうので、ライブのチケット代や物販の価格を高く設定したり、それをファンに無理やり買わせたりしてしまって、必然的に活動の発展性が失われてしまうのです。

これは地下アイドルに限らず、金銭的に切羽詰まっている人が、稼ぎのことばかりが気になって、仕事をするうえで何かを作る余裕をなくしてしまうことに似ているように思います。

もちろん、私が今のまま自然体で活動していても、すごく売れてメジャーの世界で活躍することは難しいですが、私1人がこの仕事で生きていくには十分です。

それに気づいた瞬間、生きていくことに対して大らかになれました。


自分の想いを尊重して行動する(筆者撮影)

足るを知り、「もっともっと」「もっとないと不安」……、そういったおそれに駆られるがままに動くのではなく、「最低限生きていければ大丈夫」というところで一度安心して、その先を冷静に考えるということです。

不安に駆られるまま行動しても疑心暗鬼になってしまって、なかなかうまくいきません。まず自分自身を俯瞰して、自分は何をしたいのか、したいことがなくても、自分が何をしたくないのかを尊重することが大切です。

精神的な負担を除いて、安心した状態で仕事をすることが、ずっと私にとって必要なことだったのです。

また投票制のライブに出演した経験から、自分をほかの人と比べると、「あの子はあれだけ売れてる」とか、「あの子はすごく評価されてる」「あの子はあんなに幸せそうなのに」と考え、ドツボにはまってしまうきっかけになってしまうことにも気がつきました。

ようやく他人と比べるよりも、自分の気持ちを、自分の想いを尊重して行動すれば、周りを気にせずに、思い煩うことなく生きていけるのだとわかったのです。

『潜行』や『僕とジョルジュ』をリリースして以降の話なので、2015年の秋くらいのことです。

実は地下アイドル活動に復帰してからその頃まではまだ、前よりつらくはないけれど、やや違和感が残っているというか、自分に何が合っているのか確信を持てない時期が続いていたのです。

しかし私は、このリリースをきっかけに、地下アイドルの自分と、私生活の自分が重なるのを感じました。

本当に幸運なことに、それを好きだと言ってくれるファンの人も、地下アイドルの女の子たちも、関係者の方々もいてくれたのです。

いま私は、やっとこの世界に自分の居場所を築けたと思っています。

どうやら私はここにいてもいいようなのです。


この世界に自分の居場所を築けた

もう一生、自分の居場所を見つけられないような気がして、絶望していた頃の自分に会いに行って、教えてあげたいです。

こうしていつしか私の気持ちは晴れていきました。

もちろんそれからずっと、すこぶる元気というわけではありません。相変わらず憂鬱なときもあります。ほかの地下アイドルの女の子たちがライブをしているときに、人前に出ないで地下アイドルについての原稿を書いている自分を焦れったく思うこともあります。私も地下アイドルなのに、本当にこれでいいのかと思ってしまいます。

でもそれは、人それぞれ向き不向きがあるのだから仕方ないことです。

ゆっくりとこの世界を泳いでいく


自己主張が苦手な私は、今日舞台で輝くよりも、地下アイドルについて知らない人や、たとえばずっと未来に地下アイドルの文化が形を変えていたとして、そのときのために文章を残すことのほうが、きっと向いているのです。

私は幸せを、安心の上に、うれしいや楽しいが乗っかった状態だと考えています。

世界には、うれしいことも楽しいこともたくさんあります。しかし、安心していないことには、うれしいも楽しいも落ち着いて享受することができません。

私の安心は、磁場を形成できた地下アイドルの世界にありました。

長らく個人的な体験談の話が続いてしまいましたが、どうかこの記事を読んでくださったあなたが、他人と自分を比べることなく、自分の想いを尊重して、溺れないように力を抜きながら、ゆっくりとこの世界を泳いでいけますように。

地下アイドルの世界より心からの愛を込めて。