解散・総選挙は、結局、自民党の大勝に終わった。立憲民主党が結党時の3倍以上に議席を伸ばしたが、野党勢力は自民党に対して何の痛打も浴びせることはできなかった。

 安倍晋三内閣は、支持率よりも不支持率が高い内閣である。その安倍首相が解散に打って出て、この大勝ぶりというのは、稀有なことであろう。

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自民党敗北の可能性もあった

 では、自民党が敗北、もしくは大幅に議席を減らす可能性はまったくなかったのだろうか。そんなことはない。野党が大躍進する可能性は十二分にあった。

 その1つの方法が、維新の会を除く野党の共闘である。昨年の参院選では、この共闘が功を奏した。今回も実現していたなら、おそらく数十議席は自民党の議席を減らすことが可能であっただろう。

 だが、民進党内で共産党との共闘に反対する前原誠司氏が代表に就任し、共闘否定派が五月雨式に民進党を離党していったため、参院選のように4野党の共闘という構図が成立しなかった。

 野党が躍進するためのもう1つの方法は、希望の党の小池百合子代表が「寛容な保守」を言葉だけではなく実際に貫くことであった。保守というのは、本来、寛容さ、鷹揚さを持ち味にしているものだ。保守には、マルクス主義、共産主義のような絶対的な価値観はない。だからこそ幅広さがあるのだ。共産党との共闘を否定し、踏み絵を踏ませるようなことをする必要はなかった。

「阿吽の呼吸」という言葉がある。何もガチガチの共闘ではなく、緩やかな共闘も可能であった。共産党をも大きく包むぐらいの度量がなければ、巨大自民党を倒すことなどできない。しかも、安保法制支持、憲法改正支持、消費税増税凍結という「政策協定書」なるものに署名をさせるという踏み絵まで踏ませてしまった。小池氏の師匠とも言うべき細川護熙元首相が「小賢しい。どこが『寛容な保守』だ」と批判したのも当然のことである。

ひとり相撲でコケてしまった小池氏

 小池百合子氏は、ことごとく自分で勝ちの芽を摘んでしまった。

 9月25日、小池氏は安倍晋三首相の解散表明の日にぶつけるように希望の党を立ち上げた。このとき、国民の間で大きな期待が広がった。自民党の小泉進次郎氏は、「最初はビビった」と言う。二階俊博幹事長は、「今から解散を止められないか」とこぼしたと言う。それぐらい自民党に衝撃を与えたのだ。

 だが、小池氏のたった一言で流れは大きく変化してしまった。小池氏は昂然と胸を張って、「民進党議員を全員受け入れるつもりはさらさらない」「排除します」と発言した。この発言をテレビで聞いたとき、「何様だ」と瞬時に感じた。多くの国民が同様に感じたはずである。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺があるが、傲慢さは日本人が一番嫌うものだ。ましてや踏み絵などというのは、キリスト教の弾圧を想起させるだけだ。自民党のある幹部は、「安倍さんが一番嫌われていたのに、小池さんが一番嫌われるようになって、安倍さんは二番になった」とほくそ笑んだという。

 なぜこんな失敗をしてしまったのか。その原点は、地域政党「都民ファーストの会」の立ち上げにあったと思う。都知事選挙で大勝利をおさめ、その勢いに乗って都議会でも公明党と組んで多数派を作り上げた。小池氏は常々「新党など3日もあればできる」と豪語していたそうだ。都議会ではそれをやってのけたわけである。

 だが私は、この時から余計なことをしているなと思って見ていた。知事選挙で大勝利を収めたのは、小池氏の魅力に負うところも多いが、それ以上にそれまでの3人の知事(石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一)への批判が充満していたからである。その批判は、これらの知事を支え、与党してあぐらをかいていた都議会自民党にも向けられていた。なかでも小池知事との握手での記念写真を拒否した都議会議長の対応に、都民は呆れ、怒っていた。

 しかし、本来は、推進する都政の中身で都議会各党を味方につけていく努力をするべきなのだ。“議会乗っ取り”とも言うべきやり方は、多くの怨みを残すだけである。

 この“成功体験”が新党作りを甘く見てしまったのであろう。3日で作ったような政党が長続きするわけがないのだ。小池氏が渡り歩いてきた新党を見ればそれがよく分る。日本新党、新進党、自由党、保守党、自民党のうち、一度も解党することなく残っているのは自民党だけである。

 都民ファーストの会は、所属議員に箝口令を敷かなければならないような素人集団である。早くも2人が脱会している。次の選挙では死屍累々になるだろう。ブームというのは、一時的なものだからブームなのである。ここまで地に落ちてしまった小池氏が、もう一度ブームを作り出すことは至難の業だ。それどころか代表しか決まっておらず、そもそも政党の体をなしていない希望の党が雲散霧消するのも時間の問題だろう。

「柳の下の泥鰌(どじょう)」という故事がある。「一度上手くいったからといって、いつも上手くいくものではない」ということの例えだ。二匹目の泥鰌はいなかったのである。

有権者を舐めていた希望の党

 希望の党の候補者には、有権者を舐めているとしか思えない候補者が数多くいた。例えば、神奈川県で比例で自民党から当選しながら、選挙が不利と考えて希望の党に走り、何の馴染みもない東京の選挙区から立候補した輩がいた。結果は、見事に落選である。

 熊本の元県会議員や大阪の“美人過ぎる”元市会議員(私にはそうとは思えないのだが)なども、東京の小選挙区から落下傘で立候補させた。“美人過ぎる”元市議は、地元の有権者から、「あなたこの街の何が分っているの」と詰め寄られ、答えることができずに逃げ出していた。希望の党には、こんな候補者が山ほどいる。有権者を侮っているとしか思えない。

 希望の党は、こんな候補者を多く含む235人を立候補させた。「政権選択選挙」と呼ぶためには、過半数以上立てる必要があったからだ。これでは政権選択選挙などになるわけもなかった。

 政党の立ち上げ方といい、候補者の選定といい、国民を舐めきっていることが、今回の選挙で図らずも露わになってしまったということだ。

立憲民主党と共産党の明暗

 小池氏になびく輩が多い中で、これに抵抗したのが枝野幸男氏だった。立憲民主党を立ち上げことが「筋を通した」という評価を受け、「判官贔屓」も手伝って大躍進を遂げることになった。枝野氏は、みずからを「リベラルでも、保守でもない」と言い、元民進党の同僚議員が立候補する選挙区には、たとえ希望の党の候補者でも対立候補を立てなかった。まことに賢明な判断だったと思う。

 最近、ネット上などでは過激な言葉が常態化し、そうした言論が目立つ。だが多くの国民はそんな過激さを求めてはいない。包容力や優しさこそ求めているのだ。この空気に立憲民主党は適合したのだと思う。

 共産党は、2017年1月の党大会では、野党と市民との共闘を最大限に持ち上げ、その中心にいると言わんばかりの勢いだった。だがそれはもろくも崩れ去った。市民との共同が本当なら、こんなに減らすことはなかっただろう。

 今回の敗北は、同党の限界を如実に示している。科学的社会主義を掲げ、共産主義社会を目指すという綱領路線は、いまや何の現実性も持っていない。にもかかわらずそれに拘泥し、共産党という名前を貫くというのでは、多数の支持など得られるわけがないのだ。科学的社会主義を捨て、党名を変更するぐらいの思い切った党改革を実行することこそ、生き延びる道であろう。

筆者:筆坂 秀世