先入観ゼロで、ちょっと考えてみてください。

 どこかに、日本人がたくさん集まっている状況を考えてみます。例えばスポーツの国際大会などで遠征チームと応援の人たちが偶然集まった、でもいい。

 場所も、スタジアムであれ、街頭であれ、あるいは一杯飲んでるタイミングでもかまいません。

 そんなところで、誰かが立ち上がって突然

 「き〜み〜が〜ぁ〜よ〜ぉ〜わ〜」と歌い始めたとします。何が起きるでしょう?

 一概には言えませんが、そこそこ以上の確率で、一緒に歌い始める人がいる(面倒な言葉を使うなら「非線形の引き込み」などと表現して解析する場合があります)と言っても、不思議な顔をする日本人は少ないのではないでしょうか?

 知っている歌を誰かが歌うと、つられて自分も、声を張らなくても歌い出してしまう・・・。こうした経験をお持ちの方は少なくないはずです。それが人間の生理で、これなくして幼児が母語を獲得することはできません。

 音声言語を話すことができる人は、例外なくこの「引き込み」に引っかかる、そういう生理現象として押さえておいてください。

 誰かが1人、「君が代」を歌うと、つられて君が代を歌い出す人がたくさん出てくる。またその中で1人シラケた顔をして黙っていると、歌を知らない場合は疎外感を感じるでしょうし、知っていてわざと歌わないと「どうして参加しないんだ!」という<同調圧力>にさらされる。

 というのも、容易に想像がつくところと思います。イデオロギーは無関係、音声と言語を理解し操る知能を持つ霊長類の、必然の生理を述べているに過ぎません。

 で、これを用いて人を調教することができます。

 人類は、暴力や薬物を用いて人を支配してきた歴史を持ちます。しかし、歌などを用いるこうした調教は、物理的な証拠、例えば殴られた跡であるとか、血液や毛髪の検査で分かる薬物の痕跡とかが残らない「スマートな支配の道具」です。

 暴力や薬物を用いて人を調教するケースは「Brain washing(洗脳)」と呼ばれますが、それに該当しないこうした支配を「mind control」と呼んでいます。

 適切な訳語がなく、そのままカタカナでマインドコントロールとして日本社会に普及したのは1995年、オウム真理教事件が摘発され、そこで宗教を語ってこれらが濫用されていた事実が明らかになって以降のことと思います。

 ここ22年ほどの私とオウム裁判その他との関わりについては『さよなら、サイレント・ネイビー』(2006)、オウムから発してルワンダ・ジェノサイド、ナチス・ホロコーストへとつながる共通の根については『サウンド・コントロール』(2011)などの拙著をご参考ください。

 問題が深く広すぎ、1回のコラムで扱える内容ではないため、誤読を恐れ、別論とします。

 ここでは「歌」と「共同体」の重要なポイントだけに絞って、平易にお話したいと思います。

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あんぱん・牛なべ・君が代

 日本の国歌「君が代」を、何かとても古いものと勘違いしている人がいるようです。

 確かに歌詞は古今集、平安時代に根を持ちますが、何風とも判断のつかぬあのメロディー、さらにそれに寄せられた特徴的な和声などは近代国家日本初期の迷走がそのまま形になって残っているのも、音楽に関わる者には広く知られた事実です。

 この旋律自体は、京都出身の若い宮内省楽士、奥好義(1857-1933)が下書きしたものを、上司で大阪四天王寺出身の雅楽人、林廣守(1831-96)が手直ししたとして箔をつけたものです。

 しかし、「国歌」というのは海外向けの発信道具でもあるので、どちらも西欧風の和声などつけられない。ここが重要なポイントです。

 仕方なくお雇いの海軍軍楽教師、フランツ・エッケルトにハーモニーをつけてもらうのですが、エッケルトは悩んだ末、ついに冒頭と末尾についぞ和声を付すことができませんでした。

 いまだにユニソンで歌われているのは、皆さんの心身に染みついている「君が代」を想起していただければ、よく分かると思います。

 この背景には、ドイツ人であるエッケルトの調性への根本的な誤解がありますが、詳細にわたりますのでここでは触れません。

 ただ、現行の君が代という「国歌」は、日本人のメロディにドイツ人が間違ったハーモニーをつけたものである事実は直視しておくべきだと思います。

 この歌が生まれた当時、西南戦争が終わりようやく国内は平定されます。しかし莫大な戦費、特に重火器の購入で日本国内の金が海外に流失し、ほとんど失敗国家直前に明治政府は陥りました。

 そこで国際社会に伍していくために必須の軍事アイテムとして、お雇い外国人海軍軍楽教師などに助けてもらって作ったものにほかなりません。1880年に成立した近代の産物なのです。

 君が代は、成立時期としては「あんぱん」や「牛なべ」とほぼ同じ、文明開化の時期の産物、さも古そうに見せて実は近代の模作、という点では、もともとは1895年に開かれた内国勧業博覧会のパビリオンだった、京都の平安神宮とよく似ています。

 ここで「日清戦争後に創業開始した八幡製鉄所や筑豊炭鉱のやくざ襲名儀式と似ている」などと書くと、意味もなく反応する人がいるので、そういう表現はしません。

 しかし、すべて19世紀末年、日本が「国」として海外と軍事的に伍していくべく、急ごしらえで足回りを整備した際に成立した和洋折衷の産物であるのは間違いありません。

 「君が代」は文明開化期・和洋折衷の産物である点も、日本の歴史や伝統、文化に深く関心を持つ方は、基本的なことですので、ぜひ誤解なきように、と思います。

 すでに137年、それなりの歴史を持っている、持ってしまったことが強調されますが、イデオロギーや好悪無関係の事実ですので、動きません。

 明治維新初期の官軍と言えば、大村益次郎作とも伝えられる「宮さん 宮さん」の錦の御旗の歌唱あたりが、その当時・等身大の日本の「歌」でした。

 和声も序奏も何もありませんが、それで十分練兵の用には足り、戊辰戦争も西南戦争も、それ流で教練した兵隊が白兵戦を戦い、勝利を収めて近代日本国家が成立しています。

国歌とは何か?

 言うまでもありませんが、明治以前の日本に「国歌(National anthem)」などというものは一切存在せず、またそんな必要もありませんでした。

 鎖国していたので、国全体を見渡し、またそれを代表して海外と栄誉礼など軍事儀礼交換などする必要もなかったのですから・・・。

 「国歌」という概念の背景は近代西欧での宗教改革と農民戦争〜市民兵の誕生、大きく言ってウエストファリア条約(1648)からウイーン会議(1815)に至る聖俗革命期の社会と軍事の変遷、もっと平たく言えば「国民国家(Nation state)」の成立を抜きに考えることができません。

 これまたやはり重く大きなテーマで、ここでは中途半端に扱わず、別途原稿を準備しようと思います。帝国主義列強が覇権を競い合っていた19世紀後半、国民国家はこぞって「国歌」を制定し、内政外交双方に活用していました。

 国内的には、市民兵養成の基礎として「わが国の国民であるぞよ」と幼時から心身に刻印するのに、国歌ほど有効なアイテムはありません。

 これはフランス革命と、そのときの革命歌で現在はフランスの国歌である「ラ・マルセイエーズ」を想起していただければ、自明のことと思います。「国の歌」は赤ん坊から自国民としてアイデンティティを染め込む、国民国家の基本ツールにほかなりません。

 また、対外的には、和平条約調印などの折、双方の軍楽隊が対等に国家を演奏といった習慣がすでに定着しており、この残滓はオリンピックでメダルを取った国の国家が演奏されることなどで、現在でもメディアで確認できるでしょう。

 海外の元首など国賓を迎える際にもこれを栄誉をもって演奏します。

 日本が西欧列強から、アジアの一国として尊厳をもって遇してもらえるようになるには、相手側の国の軍楽隊が演奏できる、西欧風の<ナショナル・アンセム>あるいは愛国行進曲のようなものが必須不可欠でした。

 それがなく、雅楽や能楽で自己主張しても、諸外国列強は「極東の後れた民族音楽」としか扱えなかったでしょう。

 アジアやアフリカの各国が、変にバタ臭い国歌を擁しているのを、私はやや残念に思うのですが、その背景にはこのような事情がありました。この点、日本の「アンパン牛なべ式」の国歌作りは、ユニークな取り組みであったと言えるでしょう。

 敵と和解したとき、敵方の軍楽隊でも演奏できる軍事アイテムがないと、バランスが取れなかったのです。

 だから、洋楽風の「国歌」が必要だった。これは薩摩藩の軍楽隊「薩摩バンド」のお雇い外国人軍楽教師、ジョン・ウィリアム・フェントン(1831-90)が戊辰戦争直後の1869年に進言したものと言われます。

 生麦事件(1862)に端を発する薩英戦争(1863)の和議は「栄誉あるもの」ではなかった。鳥羽伏見などの緒戦を潜り抜け、明治新政府が成立してひとまずの安定を見たタイミングでのこの進言は妥当なものだったと言えるでしょう。

 前回も記したことですが、ギリシャ・ローマの古代から19世紀まで軍事行動は基本、白兵戦で、野戦展開している将兵のシグナルには角笛=ホルンやラッパが活用されました。

 日本なら法螺貝がこれに相当します。各国が軍楽隊に力を入れたのは、それが軍事情報技術の核を担うものだからにほかなりません。

 また、今では体育会系の応援団などに名残をとどめるエールの交換は、和議の場での互いの国歌の交換に端を発します。相手方の奏楽に見劣りのしない音楽が、国威発揚の上で必須不可欠でした。

 「威風堂々」という訳名を持つエルガーの行進曲も大英帝国で重視されているのをご存知の方も多いでしょう。

 「軍楽」は練兵のツールとして、「国歌」はネーション・ステートでの幼時からの「国民創成」にとって必須不可欠なアイテムでした。

 そこには「刷り込み(imprinting)」があるだけで、何一つ相対化や批判がありません。軍隊で上官の命令をいちいち批判していたら作戦行動になりません。

 だからこそ、武官ベースで軍部が暴走すると、思考しないシステムの自走で、先の大戦のような破局を避けることができません。

 歌は反射調教のツールで、そこには「なぜ?」がない。

 日の丸や君が代を軽んじられると怒り出す人がいます。そこには「なぜ?」という批判はない。なぜなし、の脊髄反射を刷り込むツールとして、音楽は実に有効な装置であることを、この仕事を30年ほど続けてきた教授職として保証したいと思います。

 だから、悟性をもって有権者が判断する必要のある選挙や投票において、有権者に斉唱を強要する、などということは、あってはなりません。

 これは2.26以降 東条英機以下「統制派」暴走を誰も止められなくなってしまった歴史を持つ日本で、よくよく落ち着いて検討されるべきポイントと言わねばなりません。しかし、残念ながら日本では軽視されています。

 私はベルリンやミュンヘンを拠点に、30年来ドイツで、また必要に応じてルワンダなどにも出かけて、この仕事を大事に一つひとつ積み重ねてきました。

 誰か1人が「君が代」なり何なりのメロディを歌い始めると、それを知る大群衆は容易に、思考を停止したまま、唱和という同調圧力を生み出す生理があります。

 そこには悟性による批判は介在しません。客観的で冷静な判断力を欠く投票が例えば昨年の英国ス、米国、今現在ならカタルーニャで、今現実に起きているわけです。

 これを仕かける人もいれば、それに応じてしまう十分に煮上がった国民群衆環境が醸成されている。

 イデオロギーもイズムも無関係に、生理的な根拠だけで、リスクの所在をつまびらかにしてみました。良識ある読者の賢慮に資することを期待するものです。

筆者:伊東 乾