「最近、良い出会いがない」

未婚・美人の女性に限って、口を揃えて言う言葉である。

しかしよくよく話を聞いてみると、その言葉の真意はこうだ。

「理想通りの、素敵な男性がいない」

フリーランスでバイヤーをしている亜希(32)は、“ふさわしい人”を探して迷走中。

メガバンク勤務の宮田賢治とデートをするも、「海外志向がない」という一点だけで幻滅。しかし別の女性と仲睦まじく歩く姿を目撃し、嫉妬心から賢治が気になってしまう。

賢治からのストレートな告白に浮かれた亜希は賢治と一夜を過ごすも、「ときめきが足りない」などと不満を漏らしていたある日、賢治と連絡がとれなくなり、亜希はある疑惑に苛まれる。




繋がらない電話


プルルル….

2回、3回、4回… 10回まで粘って、亜希は電話を切った。

「なんで出ないのよ…」

賢治は、「今日は家にいる」と言っていた。それなのにどういうわけか、LINEも一向に既読にならない。

-あの、可愛い彼女と会っているのかもしれない。

追い払っても浮かんでくる疑惑は、時が経つごとに濃度を増していく。亜希の胸をグレーの雲で覆いつくし、息苦しいほどだ。

表参道駅A2出口から地上に上がり、商談先のブティックまで、まい泉通りを歩く。

もう頭を切り替えよう、仕事のことを考えなくちゃ、と思うのに、今すぐ真相を確かめたい衝動から逃れられず、亜希は大きく頭を振った。

-いい大人には、やらなきゃいけないことが他にたくさんあるんだから。

ついさっき、マミちゃんに言われた言葉が思い出される。本当にその通りだ。こんな風に振り回される恋など、亜希は望んでいない。

賢治と向き合おうと思ったのは、彼となら落ち着いた恋愛ができると考えたからだ。

ブティックの入り口で、亜希は救いを求めるようにしてエミにLINEを送った。

“エミ、今夜付き合って!”


亜希の心のオアシス、エミ。彼女もまた、ある決断をしていた。


正解かどうかより、大切なこと


「気分が落ちた時は、やっぱり肉だよねぇ」

亜希の急すぎる誘いにも嫌な顔せず出てきてくれる心優しいエミと、六本木の『鋳物焼肉3136』で合流した。

口いっぱいに、満足そうに肉を頬張る亜希に、エミは半ば呆れたような、探るような視線を向ける。

「亜希は一体、何に落ちてるの?少し前までは、賢治くんのことなんてどうでもいい風なこと言ってたくせに」

「そ、そうだけど…」

言い淀む亜希に、エミは諭すように続ける。

「勝手に妄想して落ちてても仕方ないわよ。明日会って、亜希の素直な気持ちを伝えて、はっきりさせたら?」

エミの言葉に、亜希は黙って頷く。

実際、あの夜賢治からのストレートな告白に浮かれてそのまま彼の家にお泊まりし、その後毎日連絡をとりあって…なんとなく彼氏・彼女のような関係になっているものの、はっきり「付き合おう」と言われたわけではない。

亜希に至ってはこの期に及んでも、賢治に対する気持ちが恋愛感情なのかどうかさえ、自分でわからずにいる。

「亜希は、素直じゃないからなぁ」

心の内を見透かすように、目の前でエミが悪戯っぽく笑う。その表情が、仕草が、いつになく柔らかく女っぽいことに気がついて、亜希はハッとした。

「…エミ、もしかして例の元彼と何かあった?」

突然の亜希の問いに、エミは目を丸くする。そしてすぐ、諦めたようにして言葉を続けるのだった。

「さすがは親友、隠しごとなんて無理ね。そう…実は、今一緒に暮らしてるんだ」

「えっ!?」

エミの元彼は、テレビ局に勤める既婚者だった。過去形なのは、やっとつい最近になって彼は離婚したのである。

二人の関係が始まったのはもう7年も前のこと。

妻と別れる様子のない、煮え切らぬ彼に不信を募らせたエミが暴挙に出て一旦は破局した二人だったが、結局腐れ縁のようにして時々会っていたようだ。

許されぬ関係だから盛り上がっているだけだろう。客観的に見て、亜希もそう思っていた。

しかし7年の時を経て今、二人はついに一緒に暮らし始めたというのだから、人生は本当に何があるかわからない。

「…この道は、正しい選択じゃないかもしれない。結婚にだって、遠いのかもしれない。でも、今、彼と一緒にいたいという気持ちを信じるしかないと思ったの。

だって、絶対的に正しい選択なんて、きっとどこにもないもの。それなら、心から好きな人と間違った方が、私は後悔しない」

覚悟を決めるようにして力強く言葉を終えたエミに、亜希は何も言えなかった。

これまで亜希と一緒になって、「身長175cmは欲しい」だの「海外志向はマスト」だのと男性にあれこれ注文をつけていたはずのエミ。

しかし結局彼女は、「ただ一緒にいたい」という、まったく別次元の基準で選んだ男と今、一緒に暮らしている。

やはり、人が恋に落ちるのに、理由なんて必要ないのだ。


亜希は賢治に、素直な思いを伝えられるのか?


私が選んだはずが…


「亜希ちゃん、昨日はごめんね。疲れて寝ちゃってて」

翌日、約束していた神楽坂の『焼鳥 茜』で、賢治は亜希に会うなりそう弁解した。その言い方に不自然な点は見当たらず、もし嘘なのだとしたらかなりの演技派だと言っていい振る舞いで。

「そう…なんだ。私の方こそ、いきなりごめんね」

賢治の言い訳を100%信じた訳ではなかったが、今重要なのは、真相を確かめることではない。

「あの…」

頭で考えて躊躇してしまう前に、勢いに任せて亜希は核心に触れる。このまま、うやむやにして流されているわけにはいかないのだ。

「私たちって、その、付き合ってる…んだよ、ね?」

自信のなさから語尾が小さくなってしまう。普段は強気なくせに、こういう時にはどうも昔から毅然とした態度がとれない。

しかし亜希が本格的な自己嫌悪に陥るのはこの後だった。

亜希の言葉を聞いた賢治が、あろうことか即答しない。 ...何かを考えている風に、黙り込む賢治。その様子に、亜希の胸は次第にざわつき始める。

-メガバンク勤務の、真面目で誠実な男。

賢治のことを、亜希はそんな風に評してきた。しかしよくよく考えてみれば、亜希が知っているのは彼のほんの、表面的な情報だけ。

しかし彼は、亜希のことをストレートに「好きだ」と言ってくれた。だからこそ、語学ができないことや、情事のあと爆睡したことにも目を瞑り、ようやく彼と向き合ってみようと思うに至ったのだ。

「あれ?私の勘違いだったかな?あはは…」

無言の圧力に耐えきれず、亜希は自虐に走り乾いた笑いで誤魔化す。暑くもないのに汗ばむ身体に、目の前のぬるいビールを流しこんだ。

自分の乾いた笑い声が、遠く聞こえる。

-なんなの!?付き合うつもりがないなら、どうして...

気まずい思いが次第に怒りに変わり始めるころ、賢治はようやく亜希の殺気を察したのか、慌てた様子で口を開いた。

「いや、違うんだ。亜希さんのことは、好きだよ。もっとよく知りたいし、一緒にいたいと思ってる。ただ…」

その後、賢治は言いづらそうに一度口を閉じた。

「ただ…?」

ただ、なんだっていうの?怪訝な顔で、亜希は賢治を見遣る。困ったように俯く若い彼の、シュッとした顎のラインが冷たく感じられてドキリとした。

賢治は何を、考えているのだろう。

「その...言いづらいんだけど。俺はまだ、すぐに結婚は考えていないんだ。もちろん亜希さんと付き合って、いずれ結婚したいと思うかもしれない。でも今すぐに、結婚を前提にっていうのは違う気がしていて…」

「はぁ…なるほど」

ーそれ…今言う必要、あった!?

亜希は一度だって、賢治に結婚を迫ったりしていない。結婚を匂わすような発言をした覚えもない。それなのに、32歳ともなった女は付き合う前にこんな牽制をされてしまうのか。

ようやく彼と向き合うことを心決めた亜希だったが、その覚悟は早くも崩れ去ろうとしている。

しかし、そこで亜希はぐっと堪えた。放棄することは、いつでもできる。それには、まだ時期尚早だ。

-つまり私が、賢治にとって「結婚にふさわしい女」になればいいのよね。

賢治を選んだのは、亜希のはずだった。しかし亜希が賢治に対し数多くの注文があるように、彼は彼で「結婚」に対して様々な注文があるのだろう。

悔しいし癪だが、お互い様ではある。

「...いいんじゃないかな、それで。これからゆっくり、愛を育めば」

亜希は言いたいことを全て飲み込み賢治にそっと、寄り添った。亜希が精一杯の余裕を湛えた笑顔を見せると、賢治はホッとしたようにそっと肩を抱き寄せた。

燃え上がるような恋も、運命の出会いも、大人にはそうそう訪れない。

大人の恋愛は、お互いの注文に応えたり交わしたりしながら妥協点を見つけていく作業の中に、生まれるものなのかもしれない。

Fin.