女性の結婚率は、35歳を境に急激に下降する。

だがしかし。そんな悲観を抱くことは一切なく、麗しき独身人生を謳歌する女がいた。

恭子、35歳。

彼女が歩けば、男たちは羨望の眼差しで振り返り、女たちは嫉妬する。恭子は一体、何を考えているのか?

外資系ラグジュアリーブランドで働く恭子と、部下の周平は、一度は瑠璃子の罠にまんまとはまったものの、同僚・理奈の計らいもあってようやく距離を縮めた。

今日はついに恭子本人が、本音と真実を語る。




「恭子、俺の前だけは、完璧な“恭子さん”でいる必要なんてないんだよ」

彼は切れ長の目で、私を愛おしそうに見つめてそう囁いた-。

私には、かつて深く愛した人がいた。今よりも少し若くて、ずっと純粋だった頃。そう、あれは31歳のとき。

彼と出会ったのは、今の会社に転職する前のこと。私たちは同じチームで、お互いにアシスタントマネージャーのポジションにいた。

「恭子、俺の前では、素顔を見せていいんだから。無理をしないで」

優しく笑う彼の言葉に身を委ねて、私は仕事と同じくらい彼との恋愛に没頭していった。

料理の腕を磨いたのも彼のため。ワインを好きになったのも彼が教えてくれたから。彼と過ごすことで新しい自分の一面を発掘できるのも嬉しかった。

ある日2人で、『ビストロ ブノワ』でのディナーを楽しんでいたとき、彼は目を輝かせて私に報告をした。

「恭子。俺ね、次の異動のタイミングでマネージャーになれそうなんだ。目標がひとつ達成できそうで、嬉しいよ」

「やった!おめでとう!」

私たちは手を取り合って喜び、少し特別なワインを開けて乾杯した。

ただのカップルとしてだけじゃなく、仕事でも刺激を与え合い、同じ目標を共有できる関係は私にとって理想そのもの。

20代前半の頃から、他の女の子たちと違って結婚にさほど興味のなかったはずの私が、将来を考えた相手は彼が初めてだ。

だけど当時の私は、世の中を少し甘く見ていたと思う。

この世に、他人を貶めるような醜い感情が本当に存在するなんて思わなかったし、努力は必ず美しいものに形を変えると本気で信じていた。それまで死に物狂いで頑張ったことは必ず結果となって現れていたから。

そして、私を大きく包み込む穏やかな愛情が、刃に姿を変えるなんて想像もしていなかった。だけど、その瞬間は突然やってきたのだ。


恭子と元彼の間には何があったのか


幸せが崩壊するとき


彼が待ち焦がれていた異動の発令。

マネージャーに選ばれたのは、彼ではなく、何と私だった。

もちろん嬉しい気持ちはあったが、彼の手前、手放しで喜べず、淡々とその発令を受け入れた。

しかしその後、予想外の出来事が起きた。

彼は私の昇進を妬み、疑っていた。以前から男性上司から目をかけてもらっていたことが仇となって、女という武器を利用して彼を蹴落としたのだと、根も葉もない噂が社内に広まったのだ。

女が社会を生き抜くということは、ときに戦場を歩いているも同然だ。少しだって隙を見せたらそこからあっという間に狙われてしまう。

会社に居づらくなった頃、ちょうど今の会社から引き抜かれて転職することにした。

事実と異なる噂なんかに負けるのはプライドが許さなかったけれど、愛していた人を深く傷つけてまで同じ場所に居座るのにはもっと抵抗があったのだ。

その後、風の噂で、彼が人事部に異動になってマネージャーに昇格したことを聞いた時は心底ほっとした。

そして私は決意した。もう二度と、この戦場で隙は見せない。

それからはますます仕事に没頭し、周りは勝手に私の「像」を創り上げていく。感情のない、失敗知らずの完璧なサイボーグのような恭子像を。

今の会社でも、皆が私のことをディレクターの愛人だとか、影で好き勝手言っていることも知っている。結局場所を変えても同じなのだ。

なんと噂されようが構わない。本国に不可能な要求を押し付けられても、顧客に怒鳴り散らされても、私は同僚の前で決して怯まない。そして背筋を伸ばし、今日も堂々と歩く。






「恭子さん、考え事ですか?」

周平君に名前を呼ばれて我に帰る。少し、ぼんやりしていたみたいだ。

私と周平君は『トウキョウウイスキーライブラリー』で2人きりで飲んでいた。

理奈の計らいで再会した日から、私たちは頻繁に会うようになった。仕事が遅くなった日でも、たった数時間でいいから会うことを、お互いに求めていた。一度離れてしまった距離を急スピードで縮めるかのように。

真剣に仕事の話をすることもあれば、ときにはくだらない話でお腹を抱えて笑いあうこともある。彼の無邪気な笑顔は時々、曇り空に差し込む一筋の光のように私を照らす。

彼に惹かれ始めたのは一体いつからだろう。特に深い理由なんてないけれど、ただ彼と会うようになってから、久しぶりに思った。

少しだけ、肩の力を抜いてみようかな。彼と会っているほんの数時間の間だけは。


二人は、このまま結ばれるのか・・・?


「そういえば恭子さん、明日の朝早いって言ってなかったですか?」

周平君のまあるい瞳に覗き込まれる。

「そうだった!明日ね、転職エージェントのセミナーがあって、私が講演することになったの。原稿作らないと」

私は慌てて帰り支度を始めた。

「えーっ、恭子さんが講演なんかしたら、転職希望者が殺到して会社に押し寄せるんじゃないですか?」

周平君が真面目な顔で冗談を言うので、私は思わず吹き出してしまった。

「ファッション業界のセミナーだから、よかったら覗きに来てね」

笑顔で別れを告げ、少し名残惜しそうにしている周平君に見送られながらタクシーでその場を去った。こうして私はまたいつもの恭子の顔に戻る。

元彼はいつも言っていた。何事も完璧にこなす姿だけじゃなく、素顔を見せてほしいと。だけど、仕事のために全てのことを一切妥協しないのもまた、私の一面なのだ。

この仕事が、本当に好きだから。


瑠璃子の決意


「あ…。瑠璃子…」

ファッション業界転職セミナーの会場の前で、周平とばったり出会った。

あの夜以降、周平からの連絡は途絶えていた。

周平の気まずそうな顔を見て、私は彼が真実を知ってしまったのだろうと悟った。

「周平ったら、そんなに身構えないでよ。今日は何も悪さするつもりないから、心配しないで」

私が笑いながら言うと、周平はこわばった顔をようやく緩めた。

いくらしぶとい私にもわかる。もう彼の気持ちは完全に離れてしまったということが。大好きだった周平の顔をあらためてじっくりと見つめた。

周平のことを初めて見たのは、入社直後のことだ。面接会場で私に手を差し伸べた美しい女性・恭子さんの隣にそっと寄り添って、彼女をサポートしていたのが周平だった。

いつも一緒に仕事をしている2人は、遠目にみても息ぴったりで、パーフェクトなペアだった。

今思えば、私がはじめに周平に興味を抱いたきっかけは、恭子さんみたいになりたかっただけなのかもしれない。私の隣にも同じように周平がいる光景を想像して、うっとりしたのだ。

だけど実際に付き合い始めてからは、私は本気で周平を好きになった。

仕事でミスをしてマネージャーからきつく責められていたとき、同僚たちはいい気味だと言わんばかりに影で笑っているだけだったけど、周平だけは太陽みたいな笑顔で私を優しく包んでくれた。

だからこそ、どんなに汚い手を使っても取り戻したかった。

「ねえ、周平」

“私、あなたのことが本当に好きだったよ。”

その言葉をぐっと飲み込んで、私は周平に笑いかける。

「いろいろ、ごめんね。でも一瞬でも私のことを信じてくれて、ありがとう。嬉しかったよ」

戸惑っている周平を眺めながら、私は悪戯っぽく言った。

「それよりこんなところでのんびりしてていいの?今日の転職セミナー、恭子さんの前の会社の人たちも参加してるみたいよ」

すると彼ははっとした様子で叫んだ。

「転職セミナーってことは、あの男もくるのか…」

そして、俺行くね、と告げると、慌てて走り去っていった。

私は、振り返らない。私たちの人生が交わることはもう二度とない。

そして周平とは逆の方向に向かって、早足で歩き始めるのだった。

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恭子を恨み続ける元彼の存在。転職セミナーで何かが起こる?