ラファエロの作品を手掛けた画家 Santa Maria dell′Anima in Roma

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《ラファエロの作品とされる「キリストの変容」はジュリオ・ロマーノの手によるものと伝えられる》

イタリア・ローマに建つサンタ・マリア・デッラニマ教会の内陣に飾られているこの作品は、1522年のジュリオ・ロマーノの「聖家族と諸聖人」です。

ジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano)は、ルネサンス後期の建築家・画家としてその名を知られていますが、ルネサンス期の真っ只中であった1499年にローマに生まれ、成人した1520年には画家として既にその腕を認められていたほど、絵の才能に恵まれた人でした。でも、勤勉家の彼は自分への高い評価の上に胡坐をかくことなく、その後もラファエロの門下で修行を積みます。

その修業が後の高名な画家として成功するジュリオ・ロマーノの出発点となりますが、修業期間はそう長くはなく、約4年。その間にバチカン宮殿のフレスコ画やかの有名な「キリストの変容」「樫の木の下の聖家族」などの作品を手掛け、表向きはラファエロの作品として内外に知られるものではありましたが、それらすべてがジュリオ・ロマーノの手で完成されたものと伝えられています。

とはいっても当時は、有名画家の門下生というレッテルが貼られれば、門下生が手掛けても師匠の作品とするのが当たり前の時代ですから門下の彼の名前は前面に出ることはなかったのです。でも、神様はジュリオ・ロマーノに大きなチャンスを与えてくれました。それはバチカン宮殿の壁画が完成する前にラファエロが急逝したことで、彼がその後を引き継ぎ、壁画を完成させることとなったからです。

当然、ジュリオは“ラファエロ工房の門下生”ではなく、“ラファエロ工房の画家”として師匠がやり残した仕事をやり遂げ、その名を内外に知らしめたのです。

ジュリオは繊細な美しい描写で聖母を描く師匠のラファエロとは異なり、幻想的、官能的なマニエリスム芸術を特徴とした画家でしたから、完成したバチカン宮殿の作品は、幻想的な作品となって完成。もちろん、今までにない斬新さもあって注目され、しかも拍手喝さい。それを機に彼の名声は一気に国内外に知られました。

そして、その勢いの中、1524年、北イタリアのマントヴァで公国を造ったゴンザーガ家に招かれ、夏の離宮であるパラッツォ・デル・テ(Palazzo del Te)の主たる建築家に任命されるのです。

彼は真面目でした。そして、仕事に忠実でした。そして、仕事が大好きでしたからゴンザーガ家の離宮を建設するにあたり、故郷であるローマを去り、マントヴァに自邸を建ててまで仕事に打ち込みます。そして、1526年から建設を始め、約10年の歳月を経た1535年に離宮は完成するのですが、マントヴァの街は彼を魅了して離さなかったのでしょう、1546年の47歳の生涯を終えるその日までマントヴァに居したまま、師匠のラファエロ家を模って造った自邸で天国へと旅立って逝きます。

故郷ローマを捨ててジュリオが選んだ地、北イタリアのマントヴァという街は、人工湖スペリオーレ湖、メッツォ湖、インフェリオーレ湖により三方を囲まれた12世紀に造られた水の都で知られ、朝夕にはロマンあふれる情景が楽しめる秀麗な街。今はリゾートとしても人気を集める古都でもあります。

ジュリオの時代にもその秀麗さは変わらず、1433年に長年マントヴァの僭主であったゴンザーガ家が侯爵の地位を獲得して領主となり、中世イタリアにおいて存在した君主国マントヴァ公国の首都だった美しき都でした。当時から訪れし者のすべての人がその情景に魅せられ、去り難くなる麗しき都でもあったのです。

ジュリオは訪れたその日からローマとは異なった避暑地としてのマントヴァの秀麗さに魅了されました。ですからこの地に腰を据え、そして、彼は兼ねてから気になっていたミケランジェロが発したメッセージに応えるために、ここを拠点にしてマニエリスムを今一度見つめ直し、彼の言葉で定義付けをしたのかもしれない。そして、マニエリスムをこの街で帰結したのかもしれません。

マントヴァを訪れたとき、その情景の中でミケランジェロの逝去により未結していたその手法を、師匠であるラファエロを通してジュリオ・ロマーノがこの地で帰結したのではないのかと思いました。

それは彼の代表作となった『離宮の巨人たちの間』を観たとき確信したのです。心に響き渡る彼の筆の動きの音が哀愁に満ちていたこともあったのかもしれませんが、ようやくこの地でミケランジェロの世界を帰結したように感じたのです。

それはジュリオ・ロマーノの生きる道をマントヴァの清新な風の中に見たからかもしれません。“マニエリスムの帰結”のチャンスを離宮の建設という場で得、離宮に「巨人の間」というマニエリスム建築の代表作とされる作品を完成させた画家ジュリオ・ロマーノは、マントヴァに今も生きています。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)