櫻井翔、“スクールカースト”問題とどう向き合う? 『先に生まれただけの僕』タイトルの意味

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 先週放送された第1話の放送直後、劇中で取り上げられた「奨学金は借金だ」ということについて、ネット上では大きな話題となった。その意識を持っていなかった者、現在返済している者の苦労、近年問題化される未払いの問題などが改めて浮き彫りになったのである。

参考:“日本で一番若い校長”櫻井翔は、新たな教師像を生み出す? 『先に生まれただけの僕』第1話レビュー

 そして21日に放送された日本テレビ系土曜ドラマ『先に生まれただけの僕』の第2話では、“スクールカースト”と“いじめ”の問題に言及する。5年前にスマッシュヒットを記録した映画『桐島、部活やめるってよ』の頃から徐々に存在が知られ、問題視されるようになった前者が、エスカレートすることで後者に繋がっていくのだという話を描き出したのだ。

 どちらもおそらく昔から、学校という社会の中には存在していたことであろう。劇中で櫻井翔演じる鳴海校長も話すように、それは学校だけでなく会社でも、そういった大勢が集まるコミュニティの中では少なからず起こりうることでもある。それが問題視されるほど大きなものになる、とくに生徒間で階層が作り出されてしまう原因がどこにあるのか、今回のエピソードはそれを問題提起してくれるものだった。

 仲の良い女子3人組のうち2人に彼氏ができて、残った1人はその2人からパシリのように体良く扱われるようになる。それを見ていた片方の女子生徒の彼氏は、自分のことのように思い悩み、毎日のように腹痛を訴えて保健室に足を運んでいたのだ。その問題に直面した鳴海が、解決のためのプロセスを模索していくうちに、物語はもうひとつのテーマを描き出し始める。それは木下ほうか演じる数学教師の及川の存在だ。保険医から、彼が受け持つ生徒のことを相談されても、話を聞かずに放置し、自分の職務は数学を教えることであり、生徒に興味がないと断言する。

 もちろん、学校である以上は生徒に勉強を教えることは大切な職務であるが、鳴海はそこで“教師”と“講師”の違いについて持論を述べる。しかしながら、このドラマの驚くべきところは、主人公の考え方と対立した考え方を登場させても、どちらが正しく、どちらが間違っているかということを提示しないことである。頭でっかちに押し付けず、少々荒っぽい方法ではあったが、鳴海は及川に選択肢を与えた。それが鳴海というキャラクターの人間性と、社会性の高さの表れではないだろうか。それぞれの考え方の多様性を理解した上で、方向性を合わせるか折衷するか、引き離すかの決断を下す。そういったリベラルな姿勢を垣間見せるものである。

 そして、鳴海はスクールカースト問題について、当事者の2名の女子生徒と直接対話をするのである。それもまた実に荒っぽく、実際の教育現場で行うには危険なやり方でもあるが、そこはドラマらしくうまくまとまってしまう。この場面で目を引いたのは、鳴海が2人にフラットな関係を提示しながら、自分が何を疑問に思っているのかを明確に言葉にすることだ。

 もしかすると、スクールカーストが形成される、生徒にとっての学校という社会の中に、教師の存在は入っていないのではないだろうか。及川のように、生徒に興味のない教師。蒼井優演じる真柴のように、高校生に大人と同じように話してもダメだと言い切ってしまう教師。その隔たりが、ひとつの学校の中で教師と生徒それぞれの社会を分断させていく。

 その二つの社会を繋げようとすることが、この鳴海校長が目指すところなのかもしれない。高圧的に接したり、子供だからと見くびることとは違う、年齢や職業上生まれてしまう仮の上下関係に従った程度の視線で、生徒と同じ社会に入っていく。第2話にして早くも、このドラマのタイトルの意味を見たような気がする。

■久保田和馬映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。