ヤクルト・真中満監督をダイジェストで振り返る

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 45勝96敗2分の借金51。歴史的大敗を喫した今シーズンのヤクルトは真中満監督が退任。小川淳司シニアデレクターの監督経復帰が発表されている。ここで、ユニフォームを脱ぐことになった真中監督のプロ野球人生をダイジェストで振り返ってみたい。

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■代打安打日本記録も達成した現役時代

 1992年のドラフト3位で日本大からヤクルトへ入団した真中満。この年のドラフトは星稜高の松井秀喜(元ヤンキースほか)、三菱自動車京都の伊藤智仁(元ヤクルト)で沸いた。ヤクルトは伊藤に入札し、3球団競合の末に交渉権を獲得。今はくじ運のなさが目につくヤクルトだが、当時はくじ運があった。

 伊藤は投手コーチとして真中監督を支えた。同時に退任することになったが2人はドラフト同期だったのだ。

 現役時代の真中監督は「代打の神様」としてNPB代打安打記録の31安打を放つ活躍した2007年が印象深い。しかし、青木宣親(現メッツ)の台頭前は外野でレギュラーを張っていた。打率3割も2度達成しており、今の体型からは想像できないほどシュッとしていた。

 2008年に現役引退すると、2009年からは2軍打撃コーチに就任。2軍監督、1軍チーフ打撃コーチを経て2015年から1軍監督に抜擢された。2年連続最下位となったチームの立て直しを期待されてのことだった。

 就任挨拶では投手、遊撃手の補強をしたいと語っており、フロントも「真中ヤクルト」に期待をかけ、補強に踏み切る。大引啓次、成瀬善久と球団史上初めて同一年度に2名のFA選手を獲得することとなった。また、外国人選手の補強でも、2014年にメジャーで40試合に登板していたオンドルセクを獲得。立て直しの本気度伝わる補強だった。

■監督就任1年目、2015年に見せた好采配

 監督就任1年目の開幕戦は、敵地・マツダスタジアムでの広島戦。延長戦の末にミレッジの決勝打で広島を振り切り、初采配を白星で飾っている。その後、5月に大型連敗を喫し、借金を抱えた状態で後半戦を迎えることとなる。

 後半戦に入ると、勝率5割付近をさまよいながら耐え忍び、混戦模様のなか優勝争いに踏みとどまる。8月22日からシーズン終了まで連敗はなし。最後は巨人とのデッドヒートを制し、14年ぶりのリーグ優勝を飾った。

 その要因の1つが2番・川端慎吾だ。後半戦から2番・川端、3番・山田哲人、4番・畠山和洋と強力打線を形成し、従来の常識でもあった2番打者の犠打を排除。メジャーリーグで当たり前のようになっている2番に強打者を据える采配で、就任1年目から結果を出した。

 また、印象的な采配もあった。勝てば優勝が決まる9月29日の広島戦だ。2点ビハインドで迎えた8回表、2死三塁というピンチの場面で2者連続敬遠を選択。攻撃イニングが2回残っているとはいえ、1点を取られたら絶望的な3点差となる。リスクの高い采配だ。ただ、2者連続敬遠とすることで投手に打順が回る。守りやすさだけでなく、相手に代打を使わせることも目論んだ上での作戦だった。

 結果として試合には敗れたものの、このピンチは脱し、作戦自体は成功。こういった緻密な作戦を1年目から見せてくれたことに驚きを隠せなかった。

■優勝と最下位を経験

 2016年は前年のリーグ優勝から5位と順位を大きく下げ、3年契約の3年目として迎えた今シーズン。チームは開幕から上位争いに絡むこともなく、大きく低迷してしまう。真中監督はシーズン途中で退任を発表。采配以前にケガ人の多さ、選手層の薄さが惨敗の原因ではあるものの、トップとして責任をとった形だ。

 そこに至るまで様々なことがあった。7月7日、広島に大逆転負けとなった「七夕の悲劇」後にはクラブハウス前でファンが罵声を浴びせる事態も起きている。賛否両論はあるもののこのような状況のなかで、真中監督は代行監督を立てて退くことはなく、最後まで指揮を執った。最終戦では敗れたものの引き上げるときに大きな歓声を浴び、グラウンドを後にした。

 3年間で優勝と最下位を経験。まさに「天国と地獄」だ。この両方の経験をしたヤクルトの監督は広岡達朗氏ただひとり。この経験を、いつの日か訪れるであろう再登板のときに生かしてもらいたい。

 これまで、ヤクルトの歴史上監督が再登板することはなかった。しかし、真中監督の後を受けて小川SDが監督に復帰。偶然か必然か、再登板しやすい道が拓かれた。

文=勝田聡(かつた・さとし)

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