結婚と昇進とに何の関係があるのか?(写真:AH86 / PIXTA)

「排除の論理」――。

政治の話ではありません。ごく普通の職場の中でも「排除の論理」が見られます。2017年7月28日配信の「独身を追い詰める『悪意なき結婚圧力』の正体」という記事でご紹介したソロハラ=独身者に対する職場でのハラスメントなどは、独身者に対する「排除」の表れといってもいいかもしれません。

独身であることをイジり、無理に結婚を勧めることもソロハラに相当しますが、「これだけ言っているのに従わず、結婚しないあいつには問題がある」という解釈に至ると、職場での「独身者への排除の論理」が働きだします。

「子育て経験のない人間は部下育成もできない」?

具体的には、「未婚者の昇進からの排除」です。つまり、「結婚していないから昇進させない」ということです。その人本人の仕事の評価ではなく、結婚の有無が昇進に影響するなんて「ありえない話」と思われるでしょうか。しかし、事実、私自身が「ソロ男プロジェクト」の対面インタビュー調査にてそういう事例があることを複数確認しました。特に、40代以上の未婚男性に対して、管理職に昇進させないケースが多いようです。


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結婚と昇進とに何の関係があるのか、という話ですが、「子どもを生み育てたこともない未婚人間に部下が育てられるはずがない」という理屈だそうです。子育てと職場での部下の育成がはたしてイコールなのでしょうか。

たとえば、北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督は未婚の独身です。就任6年間で2度のリーグ優勝、昨年は日本一にも輝くほか、中田翔、大谷翔平ら若手育成の手腕は高く評価されています。皆さんの周りにも、部下の育成に長けた独身者がいるのではないでしょうか。未婚や子を持たないことと、仕事の成績や部下の育成との間に因果関係があるとは断言できないと思います。

仮に、百歩譲って「子どもを育てないと部下も育てられない」という理屈が正しいとすれば、子のない既婚者も同様ではないでしょうか。また、そもそも既婚男性が皆、育児をちゃんとしてきたと胸を張って言えるのでしょうか? 妻に任せっぱなしだった人も多いのではないでしょうか?

2016年の総務省の「社会生活基本調査」の生活時間に関する結果によれば、子どもを持つ夫の1日当たりの平均育児時間は共働き世帯で16分、片働き世帯で21分となっています。一方、妻は共働き世帯で56分、片働き世帯で2時間24分です。共働き夫婦が増加しようが、「イクメン」などという言葉が話題になろうが、直近でも子育ては主に母親が担当しているのです。


そう言うと、「子育てと育児は違う。単純に時間の多寡で測れるものではない。父親ならではの子育ての役割があるんだ。それを知らずに乱暴なことを言うな」と反論する方もいます。しかし、家庭での子育てと職場での部下育成を同等に扱い、「結婚して子育てしたこともない人間は部下も育てられない」という理屈だって、十分乱暴です。

職場での「排除」はこれだけじゃない

そもそも、未婚/既婚というその人の婚姻状況とは関係なく、「単独で仕事したがる」「集団行動になじめない」という人間の「排除」も存在します。これもまたソロ活動したい人に対するハラスメントであり、ソロハラといえます。私がソロハラという言葉を生み出したのは、単に結婚の有無だけではなく、単独行動をしたがる人間もいじめの対象になるという意味を込めているためです。

ソロモン(= 20〜50代の独身男女。有業者で、かつ経済的に自立し、結婚意欲が現段階で低い人)の仕事に対する意識の特徴として、チーム単位で仕事をするよりも単独で仕事をしたがるという傾向があります。2016年にソロ男プロジェクトが実施した調査(1都3県の20代から50代の男女520人が対象)では、「単独で仕事をする方が向いていると思う」という設問に対して、ソロ男は64.2%、ソロ女は58.6%と6割がイエスと回答。既婚男女が4割以下なのに対して、圧倒的に単独仕事を好むのです。


協調性やリーダーシップが問われる時代

確かに、近年企業においては「チームで仕事をする重要性」が高まりつつあります。就活の採用試験においても、個々の面談よりもグループワークによる印象が評価されるなど、集団の中でどう協調性やリーダーシップを発揮するかが問われるようになりました。チームワークの最大のメリットは、メンバー個々人がバラバラに自分の業務を遂行したときの総和以上の相乗効果がもたらされる点です。

これに対して異存はありません。しょせん単独でできる仕事のレベルは知れています。組織での仕事は決して1人だけで完遂できるものではありません。企業という組織の一員として働く以上は、単独ではなく、チームとして仕事に当たることが社会人として当然の心掛けだ、という言い分もそのとおりです。

しかし、チームというまとまった生き物がいるわけではなく、それを構成するのは一人ひとりの個人です。人にはそれぞれ向き不向きというものがあります。仕事の内容によりますが、1人で黙々と作業したほうが、効果・効率が上がる場合もあります。

仕事上のチームワークの功罪については、本記事のテーマとは離れるため割愛しますが、チームワーク全能論もまた、集団からはみ出した者を排除対象にしてしまいがちです。

対面調査で聞いた、ある会社員の事例を紹介します。被害者である彼(Xさんとしましょう)は、40代の未婚男性です。なれ合いを嫌い、何事も人に頼らず自分でなんとかしようとする意識が強い彼は、典型的なソロ男気質です。とはいっても、コミュニケーション能力が低いわけではなく、仕事に関しても特にマイナス面があったわけではありません。ただ、チームでの共同作業が苦手なうえに、ランチを人と共にすることも避けるタイプでした。上司からの酒の誘いやゴルフの誘いもすべて断る(そもそも彼自身、ゴルフをしない)という徹底ぶりでした。

あなたが上司だとしたらどうでしょう? Xさんのような部下がいたら扱いにくいでしょうか。

「○○すべき」という正義の名の下に

あるタイミングからXさんは、「異分子」として排除される仕打ちを受けることになります。

上司から仕事を振られなくなり、会話すらもなくなりました。やがて、Xさんは、その存在自体を上司から意図的に無視されるようになったといいます。そのうち、所属部署全員からも無視されるという職場いじめに発展していきます。こんな組織的なハラスメントが突然同時発生するわけはなく、これは上司の指示または圧力によるものと見ていいでしょう。しかし、同調したほかのメンバーたちを責めることはできないでしょう。上司のその指示に従わないということは自分もまた「異分子」扱いされることを意味するからです。

Xさんへの徹底的な無視は1年半にもわたって継続したといいます。ある意味、大したチームワークですが、やっていることは子どものいじめと変わりません。それどころか、より狡猾で陰湿です。無視というのは暴言や暴力と違い、物的証拠に残りにくい。訴え出たとしても、それを客観的に認めさせるのは困難です。そのくせ、本人を精神的にじわじわと追い詰めるだけに余計に始末が悪い。

物理的に孤独という状態に置かれるよりも、集団の中で自分だけが排除されているという心理的な孤立のほうが耐えがたい苦しみなのです。結局、Xさんは心を病み、適応障害という形で休職を余儀なくされたそうです。

日本の会社では、仕事の能力の出来不出来よりもこうした協調性のなさというものを問題視する傾向があります。特に、支配型の上司とはめっぽう合いません。支配型上司は、自分が所属する組織のルールや自分の指示に従わない者を断固として許しません。Xさんの悲劇は、そうした上司が上についたことです。

結婚すべきという社会規範、協調すべきという職場規範、本来「○○すべき」という社会規範は集団の秩序の安定を図り、結果個人の安心のために寄与するものだったはずです。が、いしつかそれは、マジョリティ側の正義として君臨するようになり、それに従わない異分子を検出する道具として機能するようになりました。そして、そうした規範を内面化できない個人は、正義の名の下に見せしめのように排除されてしまう。昨今のネットたたきにもそんな排除の論理が見え隠れしている気がしています。

怖いのは、こうした排除が正義であると確信している人であればあるほど、罪悪感もなく人を物のように排除・駆逐することが可能なのです。日常生活の中に蔓延しつつある「排除の論理」。私たちは危機感を持つ必要があるのかもしれません。