人妻が恋するのは、罪なのか。

裕福で安定した生活を手に入れ、良き夫に恵まれ、幸せな妻であるはずだった菜月。

結婚後に出会った彼は、運命の男か、それとも...?

人妻の菜月は、独身の達也と出会い、恋に堕ちてしまう。禁断の関係は夫にまで知られてしまうが、二人はめげずに愛を誓い、菜月はとうとう離婚を切り出したが、達也が海外赴任を隠していたことを知り...?




「達也と一緒に、ロンドンに行っちゃうの?」

美加が何の話をしているのか、菜月には見当もつかない。

「番町のセレブ妻の次は、ヨーロッパの駐妻かぁ」

―ロンドン、駐妻―

親友の一言一言が、菜月の神経を刺激する。そんな話、達也からは全く知らされていない。

「正直、最初は驚いたけど......ある意味なっちゃんが羨ましい。私なんて独身で結婚もしたいのに、何ていうか......男の人のために、そんなエネルギー湧かないもん」

美加は少し困ったように微笑みながら、『SATSUKI』のパンケーキを少しずつ口に運んでいる。

「...ねぇ、美加。あの......それ、誰から聞いたの?」

なるべく、自然に聞いたつもりだった。

しかし動揺が伝わってしまったのか、彼女はハッと息を飲み、急に焦った顔になる。

「え...、嘘でしょ?まさか達也、駐在のこと、なっちゃんに話してないの...?!」

美加の目には、これまでのような軽蔑や嫌悪でも、羨望でもない、ただ、憐れな女に対する同情が浮かんでいた。


乱れる菜月に、達也の言い訳は...?


彼を責める一方で、彼女が言えない秘密


「どうして、教えてくれなかったの...?」

何度も逢瀬を重ねたその部屋で、気まずそうに顔を背ける達也を前にすると、菜月はどうしても彼を責めるような口調になってしまう。

心臓はドクドクと大きな音を立て、指先は小さく震えていた。

達也と「一緒になろう」と誓い合ったのは、たった数日前の話だ。

だからこそ、菜月は夫に離婚を切り出したものの話し合いは決裂、携帯電話を止められ、家出の準備までしていた。

それなのに、彼が2ヶ月後には遠くロンドンへ赴任することを知らされていなかったのだ。

「いや、違うんだよ...。菜月さん、ちょっと落ち着いて」

美加のスマホを借りて連絡をしたときから、達也は菜月の不穏な気配を察していたのだろう。

努めて冷静に優しく振る舞おうとはしているが、その態度からはヒステリックな女への怯えが垣間見え、菜月はさらに神経を逆撫でされる。

「上司から話はされてたけど、まだ正式には決まってなかったんだ。だから、先に伝えても無駄に心配かけると思って...」

「達也くんには、私の気持ちなんて分からないんだわ...!」

ダメだと思いつつも我慢できず、菜月の目から涙がこぼれた。

昨晩の夫との話し合いのストレス、携帯が使えない不便さ、そして、達也への悶々とした激しい想い。様々な感情が相まって、もうわけが分からなくなりそうだ。




―みすぼらしい生活を送ることになるだろうねー

宗一の言葉が、ふと耳に甦る。

きちんと化粧もせず、ジーンズにセーターという普段着で、携帯も使えずに、年下の男の部屋で涙を流す人妻。

―堕ちるとこまで堕ちようー

いつか達也とこう囁き合っていたときは、それは愛を貫いた先の、どこか美しく崇高な状態だと想像していた。

しかし今の自分は、まさに「みすぼらしい」と形容できるのではないだろうか。

一度悲観的になってしまった思考は歯止めが効かず、涙が止まらない。そんな様子を見かねたのか、達也は菜月をそっと抱きしめ、唇を重ねた。

「...心配かけて本当にごめん。でも、俺たちがケンカしたって仕方ないよ。菜月さんを連れていけるかどうか、色々考えてたんだ。本当だよ。離婚できるかも分からないし、俺だって不安なんだよ...」

達也の言葉が、胸に染みていく。

彼がそう言うならば、今の菜月には、信じるしか選択肢はない。

「...ねぇ、家を出るつもりだったんでしょ?だったら、このままここにいたらいいよ。時期を見て、旦那さんに話しに行こう」

達也の体温に包まれると、不安定で荒ぶった気持ちが、嘘のように穏やかに静まっていく。

今にも失いそうな痛いくらいの不安と、抱きしめられたときの夢のような幸福感。この激しい感情の振れ幅が、恋の中毒性に拍車をかけるのだろうか。

菜月は愛する男のぬくもりに酔いながらも、しかし、宗一が隠し撮りされた二人の写真を所持し、達也に“社会的制裁を与える”と脅したことは、口にできなかった。


ついに家出に踏み切った菜月。深夜に彼の携帯を鳴らしたのは...?


不意に訪れた、深夜の対決


小さな振動音で、菜月は浅い眠りから覚めた。

夜中の1時過ぎ。

隣にいる達也は精神的に疲れたのか、ぐっすり眠っている。

菜月はその振動音に導かれるように、そっとベッドルームを出て、リビングに向かった。

ーあゆみー

ソファに置きっぱなしになっていた達也のスマホには、あの女の名前が表示されている。

「もしもし、達也?」

思わず応答してしまうと、あの、ヨガスタジオで自分を罵った女の声が鼓膜に響いた。

「...達也?聞こえる?」

「......はい」

小さく答えると、彼女が一瞬息を飲むのが分かった。

「......信じられない。あなたたち、まだ懲りずに会ってるの?菜月さん、あなたも相当頭がイっちゃってるのね」

あゆみは相変わらずの攻撃的な口調で、菜月を挑発する。

「私は......もう夫と別れて、達也くんと一緒になるって約束したんです。彼からも、あなたとは別れたって聞きました。こんな夜中に何の用ですか?」

ムキになって言ってしまうと、あゆみはからかうように、ケラケラと笑い始めた。

「やだ、形勢逆転ね。あぁ馬鹿馬鹿しい。達也と別れたのは本当だから安心して。狂った不倫カップル付き合うのは時間の無駄だって、私もやっと気づいたの。

私はただ、その部屋に置いて来た荷物を取りに行きたいって言いたかっただけよ」




「ねぇ、菜月さん。あなたって旦那様に愛されて、相当良い暮らししてるんでしょう。本当に、達也なんかでいいの?生活レベルは落ちるし、そのうち浮気されるわよ。まぁ、私には関係ないけど」

あゆみはワザとらしく、こちらを心配するような声を出す。

菜月は胸の奥から、沸々と激しい怒りが込み上げるのを感じた。そもそも、この女があの手この手で自分たちを引き裂こうとしたから、自分は今、最悪な状況に陥っているのだ。

「そんなこと言って...あなた、達也くんに未練があるんでしょ?コソコソ夫に告げ口したり、写真を送ったり、卑怯だわ」

「...写真?」

「とぼけないでください。達也くんと私を隠し撮りした写真を、うちに送ったでしょう!」

菜月が小さく叫ぶと、あゆみはまたしてもクスクスと笑い始めた。

「電話はしたけど、写真なんて知らないし、流石にあなたたちを付け回すほど暇じゃないわ。旦那様が探偵でも雇ったんでしょ?本当に最低ね。あなたが人のこと卑怯なんて言える?まぁ、せいぜい頑張って」

あゆみは呆れたように言うと、一方的に電話を切ってしまった。

―写真は、彼女の仕業じゃない...?もし本当に、興信所なんかにつけられてたら...。

不安と心細さに襲われ、菜月は急いでベッドに戻り、眠る達也にピタリと寄り添った。

しかし最悪の結末を想像してしまうと、その夜はほとんど眠ることができなかった。

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夫・宗一は、本気で二人に制裁を与えるのか...?