「うち、くる?」

男の口からその言葉が零れた瞬間、女心は様々な感情で渦巻く。

高揚感、好奇心、そして、警戒心。

大手出版社で編集を務める由貴・29歳。

デート相手は星の数ほど、しかし少々ひねくれたワケありの彼女は、彼らの個性やライフスタイルが如実に表れる部屋を分析しながら、“男”という生き物を学んでいく。

これまで外資マーケターの高輪の部屋、港区おじさんの六本木一丁目の部屋を訪れたが、今回は...?




「それでは、新郎新婦を拍手でお迎えください〜!」

司会の合図で、パレスホテル東京の披露宴会場に入場した幸せそうな佑太郎と花嫁を、私はどうも、素直に祝福することができない。

元カノ......といっても、もう10年以上も前、高校生の頃にママゴトのように付き合っただけだが、シレっと高校時代友人のテーブルに紛れ込ませる、彼ののほほんとした楽観主義は昔から変わっていない。

医者同士の結婚ということで、披露宴はかなり豪華だ。

装飾や食事・飲み物はもちろんだし、何より花嫁の高価そうなドレスと大ぶりな宝石に嫌でも目がいってしまう。

私は他の友人に気づかれないように小さく溜息をつきながら、テーブルに設置されていたプロフィールシートに視線を落とした。

裏面最後には“〜Sweet Home〜”と新婚夫婦の新居の住所が記載され、「お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください」なんて書かれていたため、さらにシラけた気分になる。

あの部屋に一番最初に立ち寄ったのは、他の誰でもない、私だったから。


元彼の結婚式で、由貴は過去を振り返る...


10代の頃の夢を、他の女と実現させた男


佑太郎とは高校の同級生で、1年ほど付き合っていた。

彼は都心部にあるわりと大きな病院の一人息子で、大切に育てられたお坊ちゃん特有のおっとり感と優しさを持ち合わせた爽やかな青年だった。

お金も行く場所もない高校生だったため、私たちは千代田区一番町にある彼の実家をデート場所にすることが多かった。

それは二世帯住宅の大きな戸建てで、上品なおじいちゃんおばあちゃん、元CAの綺麗なお母さん(多忙なお父さんは基本的に不在だった)、そして可愛いミニチュアダックスフンドのいる、幸せを絵に描いたような家庭だったのをよく覚えている。

「これから、番町付近には大きなマンションがたくさん建つらしいの。もし由貴ちゃんとゆうくんが結婚したら、結婚祝いに近くのお部屋をプレゼントしましょう」

彼の家族は私を気に入ってくれていたようで、よくそんなことを言ってくれていた。

しかし結局、佑太郎は違う女とその夢を実現させたのだが。




佑太郎にとって、私は初恋の相手であったらしい。

と言っても、しつこいが高校生という青春時代の話だ。幼さゆえ、お互いの感情を垂れ流しにした関係は長く続かなかったが、佑太郎は別れたあともずっと私に優しかった。

―由貴は、ずっと俺の特別な人だからー

初恋の女という存在は、男にとって、ある意味“神格化”するようだ。

佑太郎とはヨリを戻そうとしたり、おかしな関係を結ぶことはなかったが、何となく二人きりで会うことも多く、私が呼べばだいたいはすぐに駆けつけた。

毎年の誕生日には決まって0時過ぎにメールが届いたし、恋人がいなければ盛大にお祝いしてくれる。

私が結婚したときは悲しそうな顔をしつつも祝福してくれたし、離婚してボロボロになったときは、一晩中親身に励ましてくれたりもした。

そんな存在に無意識に甘えきっていたから、2年ほど前に佑太郎の婚約を知らされたときは、自分のことを完全に棚に上げ、裏切られたようなショックを受けた。

別に、彼に特別な感情を抱いたり、未練があったわけでは決してない。

ただ、思い上がりには違いないが、彼は高校生の頃のまま、何だかんだでずっと私を特別扱いしてくれると思っていたのだ。

それに、当時から医者を目指し医学部に進学した佑太郎は、年を重ねても少々世間知らずのピーターパンちっくな純朴さを保っており、女の気配もほとんど匂わせなかったから、突然結婚するのは意外すぎた。

だからそのとき、佑太郎の親が新築で購入し、彼が一人暮らしを始めたばかりの「ザ・パークハウス グラン 千鳥ヶ淵」の部屋に遊びに行きたいと無理を言ったのは、単なる嫉妬心の表れだったと思う。


港区とは異なる、「番町」ブランドを象徴する部屋とは...?


港区とは異なる、「番町」のブランド力


「ザ・パークハウス グラン 千鳥ヶ淵」は、まさに千鳥ヶ淵緑道沿いにある、皇居の森を眺めることのできる全室南東向きの豪華なマンションだった。

噂によると、値段は全戸1億以上、最高額の5億を超えるという部屋は、平均倍率約5倍で即日完売したという。

そしてその多くは、まさに佑太郎の一家のような、千代田区在住の富裕層が相続対策などで購入したと言われている。




「番町」という土地には、港区とはまた違ったブランド力と人気があるのだ。

「...まだ家具もあんまり揃えてないから、ちょっとみすぼらしいけど...」

真面目で優しい佑太郎は、もうじき婚約者が越してくる部屋に、おずおずと私を招き入れた。

100平米以上あるらしい、3LDKの部屋。彼の言う通り、家具はまだソファとコーヒーテーブルのみで、広いリビングはがらんとしていた。

「すごく素敵だね。こんなお部屋でラブラブな新婚生活をスタートするなんて、羨ましい」

私が言うと、佑太郎は気まずそうに口を噤んでしまった。

思ったことをそのまま口にしただけだが、当時すでに離婚協議中だった女のセリフとしては、かなり嫌味に響いたのだ。

「...そんなことないよ。彼女は由貴ちゃんみたいな美人なタイプでもないし、お互い忙しいから、あまり家には帰れないだろうし...」

佑太郎は最終的に、言い訳のように謙遜し始めた。

リビングに面した大きなバルコニーの先には千鳥ヶ淵と皇居の緑が広がっていたが、その美しい景色を眺めるほどに、私の気持ちは尖っていく。




「ねぇ、ベッドはあるんでしょ?」

余裕がないと、女は意地悪になる生き物だ。

「あ、あるけど......」

「......けど?」

しかし、佑太郎のあまりに困惑し、今にも泣きそうな顔を目にすると、私の闘争心はみるみる萎んでいった。

「もう、冗談だよ。ゆうくん、幸せになってね」

そして、彼の部屋を出て夜の千鳥ヶ淵を一人で歩きながら、私は自分のやるせなさに、少し泣いた記憶がある。






結婚式の間中、佑太郎はずっと幸せそうに微笑んでいた。

その表情からは、夫となる男の強い決意のようなものが感じられる。

「由貴ちゃん、今日は来てくれてありがとう。相変わらず美人ねぇ」

歓談中、気づくと豪華な黒留袖を纏った佑太郎の母親が隣に立っていた。彼女こそ、もう60歳近いのにとても綺麗である。

「わぁ、お母さま、お久しぶりです」

そして軽く近況報告をしたのち、彼女は私の耳元で、悪戯っぽく囁いた。

「息子の結婚式で不謹慎だけど...うちの家族はね、本当に由貴ちゃんにお嫁に来てほしかったのよ。おじいちゃんなんか、最初の頃はお嫁さんのこと“由貴ちゃん”なんて、よく呼び間違えたんだから」

そのとき私は、急に涙腺が緩んだ。

理由はよく分からないが、10代の頃の、まっさらだった私しか知らない彼女の言葉は、心にじんわりと響いたのだ。

きっと佑太郎は良き夫として、幸せな結婚生活を築いていくだろう。私の元夫とは違い、どんな女に誘惑されようとも、絶対に浮気なんかしない。

こんなに素敵な家族に囲まれて、都心ながらも落ち着いた番町という土地ですくすく育ち、そこで新婚生活を送るのだから。

―結婚式が終わるまでに、ちゃんと「おめでとう」を伝えよう。

私はそう決意し、披露宴を楽しんだ。

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