「大企業に入れば、一生安泰」

昔からそう教えられて育ってきた。

有名大学を卒業し、誰もが知っている大企業に入社。

安定した生活を送り、結婚し子供を育て、定年後は年金と退職金で優雅に暮らす。それが一番の幸せだ、と。

丸の内にある大手総合商社に勤める美貴(26)も、そう信じてきたうちの一人。

大学の友人エミリから元彼・タクヤの転職を聞き、久しぶりの再会を果たした美貴。

タクヤの魅力にようやく気づくが、あえなく撃沈。自分の過去の選択に対し、疑問を持ち始める。




「それで、美貴。タクヤ君はどうだったの?」

同期の杏奈が自慢の黒髪ロングヘアを結びながら、メニューを選んでいる。

仲良し3人組で食べる週に1回のランチの日。今日は杏奈が好きな『ムーチョ モダン メキシカーノ』に集合した。

「うーん。特に何もなかったけど…。ずっと目をキラキラさせながら仕事の話をしてた。ああいう人、うちの会社にあんまりいないから、なんか戸惑っちゃった。」
「えー!いいじゃん!!素敵!」

とりあえず「特に何もなかった」と言ったものの、隣の梨花が明らかに「期待の目」でこっちを見ている。

「美貴がタクヤ君と別れた理由って、彼がベンチャーに就職したからだよね?もう1回やり直すとか考えないの?ほら、優太さんとも微妙な感じって言ってたから…」

いつも通りクールに話を聞いている杏奈が冷静に切り込んでくる。

「うーん。でも、久しぶりに1回会っただけだし…。」

タクヤの新しい彼女の存在を、なんとなく言い出せなかった。それは、プライドを守りたいとかそういう単純な感情ではない、美貴の中で渦巻く複雑な感情からだ。

ー自分が逃した元彼が、自分とは対照的なバリキャリ女子と交際中。

タクヤの現状は、中途半端で未熟な美貴に現実を突きつけた。

杏奈は美貴の様子を察し、それ以上は聞いてこなかったが、梨花が話を続ける。

「実際、ベンチャー企業勤めの彼と結婚なんて親が絶対に許してくれないもんね。好きでもどうしようもないことってあるよ」


自分だけの人生ではない。親の期待を背負うエリート女子の悩みとは?




梨花は青学出身の超お嬢様で、実家は広尾にある。父は日本を代表する大手自動車メーカーの役員で、仲良し同期3人組の中でも特に親が厳しい。

結婚相手は学歴や勤め先はもちろん、家柄が重視される。大学生の時に一度、茨城出身の一般家庭の彼との交際を親に猛反対されたという。

また、杏奈は慶應女子高出身のエリート帰国子女で、「結婚相手は絶対に慶應の内部生にしなさい」と母に常々言われていると前に愚痴を漏らしていた。

勿論、美貴だって置かれている状況は同じだ。

昔から美貴たちは「自分だけの人生ではない」という意識で生き、勝手な選をすることは許されてこなかった。

中学受験の時も、中学校で部活を決める時も、大学受験の時も、就職先を決める時も…美貴は常に両親の期待に応える選択を意識し、お伺いを立ててきた。

親の愛情と期待を一身に背負いながら、必死に優等生ロードを歩んできたのだ。

ー大企業に入れば、一生安泰。

美貴はこれまで両親に教えられてきたことや、似たような環境で育った友人達の言葉を信じて疑ってこなかった。

しかし最近、それが本当に正しいのか、分からなくなってきたのだ。

「杏奈、梨花。私たち、結婚相手を決めるのに本当に親の許可が必要なのかな?」

美貴は、刷り込まれてきた価値観が自分の中で少しずつ変わり始めていることを感じていた。



美貴がオフィスに戻ると、由美子さんが外出の準備をしている智樹を呼び止めている。

「智樹くん、外出前にタイのオフィスに電話してから行って?輸送ルートの変更の件、まだ伝えてくれてないよね?」

―あーあ。また始まった…。

智樹は東南アジア向けの自動車の輸出を担当しており、由美子さんは一般職としてアシスタントを務めている。

商社の一般職の採用レベルはここ数年でかなり上がっており、TOEICの平均点は総合職よりも高いと言われているくらいだが、年齢が上になればなるほど英語を苦手としている女性も多い。

由美子さんは特に英語で話すことが苦手なようで、いつも何かと理由をつけて智樹に押しつけるのだ。

「すみません、これから外出なので由美子さんから伝えておいていただけますか?由美子さんが変更手配してくださったので。」

智樹は、由美子さんの癇に障らないよう、柔らかく返す。“お姉さま”たちがエセ権力を持つ商社において、彼女達の機嫌を損ねないように振る舞うことは極めて重要なのだ。

由美子さんは、「じゃあいいわ」とふて腐れながら席を立ち、どこかへ行ってしまった。

5年前に会社説明会で美貴が憧れた“上品OL”の由美子さんは、今この様だ。いや、これが“お姉さま”達のリアルなのだ。


なぜこんな風に?自分の存在意義を見つけるのに必死な女


結婚できなかった一般職女性の苦い末路


―商社の一般職は、お嫁さん候補。

いつしか、そう言われていた時代があった。年に200人から300人を採用し、そのほとんどが3年以内に結婚して辞めていく。

早く結婚相手を見つけられるよう、男性の上司に「他の部署に積極的に顔を出せ」と勧められた、という話まであるくらいだ。

今会社に残っている“お姉さま”は、そんな時代を生き抜いてきた、いや、残らざるを得なかった女性がたくさんいる。

結婚できず、一般職としてルーチンワークをこなす日々を送ってきた彼女達は、若手社員を支配することで“自分はすごいんだ”と錯覚し、心を満たす。自分の存在意義を見つけるのに必死だ。




どんな態度を取ろうとも日系大企業ではクビにもならなければ降格にもならないのだから、「どうすれば会社での居心地が良くなるか」を考え、“エセ権力”の獲得に励む。(由美子さんなんて序の口で、もっとすごい“お姉さま”がいっぱいいる。)

美貴がいつも思うことは、「自分は将来こうならないようにしよう」ということ。それだけは心に決めているが、きっと由美子さんだって昔は同じことを思っていただろう。

環境は、人を変えるのだ。

ー将来自分が“お姉さま”の一員になるかもしれない。

大企業で働いていれば、たしかに両親は安心するかもしれない。しかしその環境にしがみつけば、彼女たちのように思考が停止してしまうのだ。

美貴は自分の将来への不安と両親の期待とのギャップに、悲しさがこみ上げてきた。



週の半ばの水曜日。

今日は、杏奈に「人数足りないからお願い。」と頼まれ、お医者さんとの食事会に顔を出すことになった。場所は“先生”達の十八番、『フィオーリア アリア ブル』だ。

自己紹介が一通り終わった後、美貴の目の前に座っていたグレーのジャケットにジーンズ姿の男性が話しかけてくる。

「ねぇねぇ、美貴ちゃん。商社の一般職ってどんな仕事してるの?受付とかお茶出しみたいな感じ?」

いくら医者がビジネスの世界を知らないとはいえ、失礼すぎる。その瞬間、女性陣の手が止まった。

「いえ、貿易のアシスタントなので、お茶出しとかはしません…」

“一般職”という仕事がお茶出しだと思っている、「昭和な価値観」を持つ男性が未だにいること。美貴は自分の仕事をバカにされているような気がして我慢ならなかった。だが、それと同時に100%の自信を持って反論できない自分もいた。

美貴は、今まで意欲的に仕事に取り組んできた自負があったが、ここ最近立て続けにタクヤやエミリとの差を見せつけられ、自信を失っていた。

その後の会話もあまり弾まず、勤務医は朝も早いということで、あっさり一次会で解散となった。

美貴が少し夜風に当たりながらゆっくり帰ろうと六本木通り沿いに歩いていると、前方に見覚えのある男性が見えた。

「あれ、美貴?」

前から近づいてきたのは、タクヤだった。

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仕事or恋愛?美貴とタクヤが別れた真相が暴かれる。