移籍を模索していた12月、岩政はトニーニョ・セレーゾが戻ってくるという話を聞いた。去就は未確定だったが、運命めいたものを感じなくもなかった。
 
「セレーゾから始まってセレーゾで終わる……。そんな流れになるかもしれないな、って感じもしました。僕の人生って、そういうところがありますから」
 
 なんとなく感じた運命は、それから約7か月後の川崎戦を境に、現実のものとなっていく……。
 
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 岩政がサブに回ってからの1か月で、鹿島は3敗を喫した。
 
 それでも岩政がレギュラーに返り咲くことはなかった。コンディションは取り戻していたにもかかわらず。
 
「その頃ですね、これはもう決めたんだな、と悟ったのは。長年選手をやっていると分かるんですよ、自分を使うつもりがないんだなということが。ただ、だからといって、自分のやることを変えるつもりはなかった。セレーゾに『なぜ、使ってくれないんだ』って聞きに行くことなく、とにかくやり続けようって」 
 
 孤独な戦いが始まった。それは監督とではなく、自分自身との戦いだった。
 
 後輩たちにアドバイスを送り、100パーセントの準備で試合を迎える――岩政はこれまでどおりの行動を心がけた。
 
 しかし、内面までこれまでどおりというわけにはいかなかった。
 
「なんで監督は何も言ってこないのかってイライラしたり、いろんなことが頭の中をめぐって、辛かったですね……」
 
 岩政の代わりにスタメンで起用されたのは、山村和也だった。
 
 山村がミスを犯せば、自分にチャンスがめぐってくるかもしれないが、山村が好パフォーマンスを続ければ、出番が回ってくることはない。一方、自分がサブになったことで昌子源や植田直通はベンチにすら入れなくなったが、もし、昌子や植田が成長を遂げれば、ベンチからも弾かれることになる……。
 
 後輩の成長を心底望んできただけに、初めて味わう葛藤に苦しんだ。
 
「そんな状況に置かれたことがなかったので、何を願えばいいのか分からなくなるんですよ。このままでは、自分の気持ちが持たないなって……」
 
 その時、岩政は改めて決意する。新しい挑戦のためにも、後輩に場所を空けるためにも、次のオフこそ鹿島を離れなければならない、と。
 退団の意思を固めた岩政に最終節のひとつ前、セレッソ大阪戦で川崎戦以来となるスタメン出場の機会がめぐってきた。山村が出場停止になったのだ。
 
「使ってくれるか半信半疑でしたが、スタメンだと分かった時は、鹿島での最後のプレーをしっかり見せようと思いました。この試合のあと、最終節を迎える前に退団を発表する予定でしたから」
 
 試合前に太もも裏を軽く傷めたが、それでもフル出場して2-1の勝利に貢献する。その気迫溢れるプレーは10年間の集大成であり、意地だった。
 
 ホームで迎えた最終節は仲間の戦いぶりをベンチから見守った。試合後、退団セレモニーが行なわれ、10年に及んだ岩政の鹿島での現役生活にピリオドが打たれた。
 
 トニーニョ・セレーゾと腹を割って話をしたのは、退団を決めたあとだった。
 
「その時、やり切った僕の姿勢をセレーゾが褒めてくれたんです」
 
 それは、岩政が自分自身との戦いに勝ったことを意味していた。
 
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 新天地として選んだのは、J1でもJ2でもなく、タイだった。
 
 海外に出て外国籍選手としてプレーする――。それはまさに、鹿島ではできない経験だった。
 
「最初はヨーロッパや南米で探したんですけど、30歳を超えているとなかなか難しい。そこでターゲットをアジア枠に切り替えたんです。ちょうど、タイのサッカーが盛り上がってきたところだったし、助っ人としてチームを強くするというのも魅力的だなと」