退団報道に際し、西武ファンのライターが思いの丈を吐露

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 10月12日付のスポーツ紙朝刊を見て、筆者はドキッとした。一面に「松井稼頭央」「退団」の文字がデカデカと載っていたからである。

 西武黄金時代末期からの西武ファンである筆者。森祇晶監督時代から東尾修監督時代への移り変わりに立ち会い、そのなかで飛び出した新時代のキーマン・松井の姿には、常に魅了されてきた。

 メジャーに旅立ったときも、楽天で日本球界復帰を果たしたときも気がかりだったが、西武ではなくとも「プレーする姿を見られる」ことに安心感があった。

 しかし、今回は「退団」との報。このまま松井のプロ野球人生が終わってしまう可能性もあると思うと、本当に涙が出そうになる。

 そこで今回は、筆者の心の選手・松井の西武時代(1994年〜2003年)の「攻」「走」「守」、それぞれの想いを述べたい。

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■右肩上がりの打撃スタッツ

 まずは打撃だが、やはり一番の魅力は「両打ち」であるということだろう。

 スイッチヒッターとして初のトリプルスリー達成という快挙が証明しているように、どちらの打席に入っても超一流のスラッガー。まさに空前絶後の選手であり、真っ先に筆者が心を鷲づかみにされたところだ。

 そしてその打撃が年々進化していくのだから、見ているものとしてはたまらない。レギュラーになった1996年の1本塁打から2002年の36本まで毎年本塁打を増やし続け、打率も1997年から7年連続で3割をキープ。

 ただ、あまりに万能すぎたためか、首位打者、本塁打王、打点王といった打撃の主要タイトルには縁がなかった(最多安打は2回獲得)。しかし、逆にそれすら勲章と思わせてくれるのが松井のすごいところ。

■光の速さで塁間を移動

 次は足の話だが、松井と言えばやはり盗塁。

 1995年、レギュラー奪取前のプロ入り2年目に69試合の出場で21盗塁を記録して以降、退団する2003年まで9年連続で2桁盗塁を達成。1997年から99年にかけては、物議をかもしたこともあったが、3年連続で盗塁王を獲得した。

 盗塁は、牽制をかいくぐったりモーションを盗んだりと、投手と走者の駆け引きがクローズアップされること多いが、筆者が松井の盗塁に惹かれるのは圧倒的なスピードで勝負していること。

 もちろん細かな技術も駆使しているのだが、3歩目にはもうトップスピードに乗っているとされる爆発的なダッシュ力に、毎度、惚れ惚れさせられた。

 また、松井には「リードを大きく取らない」という信条がある。その分、ほかの盗塁上手な選手より、わずかだが塁間を長く走っていることになる。それでも日米通算で464盗塁を稼いだのは、まさにスピードスターの面目躍如だ。

■言わば派手さを備えた職人

 最後は守備についてだが、まずこの記事を書くために調べていて驚いたのは、西武時代の松井は、遊撃以外の守備位置に就いたことがないという事実だった。

 中島裕之(現宏之、オリックス)のように、「まずは、ほかの守備位置で慣れさせる」という起用をされることなく、当たり前のように遊撃の守備位置を奪ったわけだ。

 守備範囲を広げる脚力、内野の深いところや無理な体勢からでもノーバウンドで一塁へ送球できる鉄砲肩という土台があったとはいえ、1997年には早くもゴールデン・グラブ賞を受賞するような選手へと成長した。

 PL学園高校時代の松井は投手。遊撃はプロ入り後から本格的に取り組んだ。練習では奈良原浩の守備を見てため息をついたというが、そうは思えない、思わせないところが遊撃手・松井のすごみと言える。

■15年ぶりの古巣復帰を希望

 楽天退団の報を見て、真っ先に思い浮かんだのは「西武が獲得しないか」ということだった。

 西武は、最近こそ傾向が変わり始めたが、チーム一筋でキャリアを終える選手が少ない球団だ。ただ、辻発彦監督しかり、一度リリースしても再度迎えることが多いため、松井にも同様に手を差し伸べるのではないかと期待している。

 ちなみに、某夕刊紙の10月13日付の紙面に松井の復帰を予想する記事が掲載され、筆者の心は躍った。「出戻り」は一般的にはいい意味で使われないが、松井ならば筆者は大歓迎だ。

 その日が来るのを楽しみにしながら、嬉し泣き用の涙を溜めておこうと思う。

(成績は2017年10月16日現在)

文=森田真悟(もりた・しんご)

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