元全日本女子監督の眞鍋政義氏【写真:編集部】

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体格差を埋める日本人特有の長所…レシーブ力を磨くべく妥協なき練習を展開

 世界と渡り合うためにはどうすればいいか――。

 スポーツの世界においては永遠のテーマである。

 とりわけ、縦18メートル×横9メートルの限られたエリア内で、高さ2.43メートル(女子は2.24メートル)のネット越しにボールを返さなければならないバレーボールにおいては、身長や身体能力の高さがものを言うだけに、その対処法は勝敗を大きく左右することになる。

「背が低い日本が諸外国に勝つためには、同じことをしてもダメ。日本のオリジナルというか、『非常識を常識に変える』くらいやらないと世界には絶対に勝てない、と選手たちには口酸っぱく言っていました」

 そう語るのは、元全日本女子監督の眞鍋政義氏だ。2008年12月に全日本女子監督に就任。データを駆使した「IDバレー」で2010年の世界選手権で32年ぶりのメダル、12年のロンドン五輪では28年ぶりの銅メダルをもたらした名将はこう話す。

「平均身長で5センチ差があったら、リーチは倍違うと言われます。体格で敵わない分、日本人特有の長所を伸ばしていかないといけない。そのひとつがレシーブ力です。レシーブの練習だけは妥協せずにやりました」

時速100キロ以上の強烈スパイクをレシーブ、拾って拾って拾いまくるバレーに進化

 眞鍋氏が女子バレーに落とし込んだ「非常識」とは何か。その代表例が、男子選手のスパイクをレシーブさせるという“スパルタ特訓”である。

「毎日、身長190センチ以上の男子選手を呼んできて、相手コートから思い切りアタックを打ってもらう。距離にして約4メートルですかね。1人3本レシーブしたら終わりなんですが、現役男子のスピードボールを女子選手は避けられない。コートの周りには、トレーナーやドクターを控えさせていました」

 いくら日本代表と言っても、男子選手と女子選手の身体能力の差はやはり大きい。ブロックなしで時速100キロを優に超える強打をレシーブすることに、「怖い」と漏らす選手もいたという。それでも、眞鍋氏は「非常識」を8年間貫いた。世界と戦うために――。

 スパイクは容赦なく選手たちの顔面を襲い、腕や太ももは青たんだらけ。ずっとレシーブの体勢をしているため、足もガクガクと震える。当初はこの練習だけで5時間かかったこともあった。それでも少しずつ体がスピードに慣れ始め、3か月が経過した頃にはレシーブの質が変わってきたと振り返る。

「不思議なもので、運動神経の良い竹下(佳江)や木村(沙織)は一か月半くらい練習を続けたら、体が自然と反応していました。他の選手も3か月後にはレシーブが変わっていましたね。男子選手のスピードが基準になれば、たとえ相手が中国でも、アメリカでもブラジルでも半分程度です。この練習のおかげで、試合でボールを緩く感じてレシーブできたと思います。バレーは信念と執念があれば、苦しい練習にも耐えられる。日本以外の選手に、この練習は絶対にできないでしょう」

 こうして、拾って拾って拾いまくる日本オリジナルの「組織バレー」は進化を遂げたのだった。

ロンドン五輪メンバーに左指を骨折した司令塔の竹下を選出する決断

 眞鍋氏の「非常識」はもうひとつ、ロンドン五輪に集約されている。

 世界最小セッターと言われた身長159センチの竹下を、4年に一度の祭典に送り出す12人に選出。彼女はチームの司令塔だけに、常識的に考えればそれは至極真っ当な決断だが、実はセッターにとって命とも言うべき指を骨折していたのだ。

「ロンドン五輪の前、スイスで2週間合宿をしていました。忘れもしない7月20日、オリンピックの1週間前です。先ほどのレシーブ練習をしていた時、その1球が竹下の前でワンバウンドして左手の人差し指を直撃しました。おそらく、激痛が走ったと思います。竹下はすぐにコート脇に外れましたが、彼女が3年半でコートから出たのはこの時だけです」

 5年が経過した今でもすぐさま日付が浮かんでくるほど、その日のことは鮮明に覚えていると眞鍋氏は語る。「私(病院には)行かないです」とレントゲン撮影を拒む竹下を強制的に病院に赴かせ、ホテルに戻ってきて受け取った診断結果に愕然としたという。

「左手の人差し指の第一関節骨折です。当然、竹下がメインのチームで、しかもオリンピックの1週間前。心の中で『終わった』と思いました。ただ一応、竹下に『痛いのか?』と尋ねると、『痛くありません』と言うんです。『その代わり、3日間だけ休みをください』と」

「非常識を常識に」の精神を、未来ある高校生たちに注入

 7月21、22、23日と休みを取らせ、そしてスイスからロンドンの選手村へ移動。大会前、最後の全体練習となった24日…、竹下は当然通常メニューはこなせなかった。左手の人差し指に添え木を当て、テーピングで固めた彼女は一人コートの端で体を動かしていたという。眞鍋氏には、25日午前9時という登録メンバー12名提出のタイムリミットが迫っていた。

「私も元セッターなので分かりますが、セッターは親指、人差し指、中指、この6本だけは深爪しても無理。ましてや、骨折ですからね。24日の夜、二人きりで話をして、『竹下、3年半お疲れさん。もうこのオリンピックは諦めろ』と言いました。でも、彼女はできると言うんです。泣きながら『やらせてほしい』と。私も本当に悩みました。でも、3年半ずっと竹下を中心にやってきましたから、最後は『分かった、そこまで言うなら腹をくくる』と私は彼女に賭けることにしました」

 竹下の骨折は選手には知らされず、本人と監督、ドクター、トレーナーだけの「秘密」になったという。そして、彼女は激痛に耐えながらコートに立ち、骨折した指でトスを上げ続けて、周知の通りロンドン五輪で28年ぶりの銅メダルを獲得するまで駆け抜けた。

「普通なら絶対にあり得ません。竹下のオリンピックに対する執念ですよ」

 眞鍋氏がそう激闘の逸話を伝えたのが、「ポカリスエット エールキャラバン」だった。

 バレーボール、サッカー、バスケットボール、柔道、テニス、バドミントンを通じて、全国170校の部活生を応援する大塚製薬の企画の一環として9月2日に東海大高輪台高を訪問。全校生徒に講演を行い、その後は男女バレーボール部に特別指導も実施した。

 自らボールを手に取り、レシーブの体勢で待ち構える生徒にスパイクを打ち込む姿は、どこか代表監督時代の“スパルタ特訓”を彷彿させるものがあった。この日、眞鍋氏から注入された「非常識を常識に」の精神は、未来ある高校生たちにとって大きな財産となったに違いない。