上司の「人としての姿勢」が正しければ、部下は、その上司の言動を見て学びます(写真 : xiangtao / PIXTA)

上司はどうあるべきか


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『論語』に「君(きみ)君たり、臣(しん)臣たり、父(ちち)父たり、子(こ)子たり」という言葉があります。「君主は君主らしく、臣下は臣下らしく、父親は父親らしく、子どもは子どもらしく」振る舞うことが重要だということでしょう。あるいは「その身正しければ、令せずして行わる。その身正しからざれば、令すといえども従わず」とあります。

その言葉どおりで、上司は上司らしく、身を正しく処していかなければ、部下はついてこないでしょう(本コラムでは「上司」「部下」という言葉で使用しますが、それぞれを「社長」「社員」に置き換えても同じことです)。

言い換えれば、上司の「人としての姿勢」が正しければ、指示や命令をしなくとも部下は、その上司の言動を見て学び、それぞれの身を正しながら、上司の示した方針に従って、自主的、自発的に仕事に取り組み、大抵の場合、結果を出すのです。逆に上司の「姿勢」が正しくなければ、いくら話し、いくら訴え、いくら命令しても、誰も従うことはありません。

家庭でも、「子は親の姿を見て成長する」と言われることがありますが、会社とて同じこと。上司の背中を見て、部下は育っていく。上司が率先してよき範を示すことが大事なのです。このことを上司は、ゆめゆめ忘れてはなりません。そんなことは、かなわん、ということであれば、その肩書を辞退すべきでしょう。

とは言うものの、上司は、つねに立派な人格者で、なにごとにおいても模範的でなければならないということではありません。それでは窮屈で疲れてしまいます。なにより実際問題として、そのようなことは、常人では到底、不可能です。上司は、必ずしも人格者である必要もなく、むしろ、弱点や欠点をさらけ出してもいいと思います。いや、むしろそのようなことをさらけ出して、本当の自分を部下に見てもらうほうがいいともいえると思います。

しかし、こと「仕事」においては、模範的でなければならない。ツボを押さえるという言葉がありますが、大切なところだけは、しっかりと押さえておかなければなりません。これは言い換えれば、「権威を保つ」ということです。「権威」については、いろいろな定義があると思いますが、私は、「社長は社長らしく、上司は上司らしく」あるということから、生まれてくるものだと思います。

けじめをつけることが大事

要は、キメルときにキメルことが必要です。為(な)すべきことを為し、けじめをキッチリとつけるということ。そうすれば、部下は「欠点もあるけれども、さすが上司だ!」と感じ入ることでしょう。

部下は、見ていないようで上司のことを見ているものです。しっかりと上司を観察しています。為すべきことを為さないままに、部下に物申せば、おなかの中で部下は「あなたはどうなのよ」とつぶやいています。部下に「任せたよ」と言いながら、自分は、平日ゴルフに行ったとすれば、部下は「なんだよ、“任せたぞ・できない上司の・逃げ言葉”じゃないか」と、おなかの中で嘲り、やる気もなくすでしょう。

時間のけじめ、公私のけじめをつけているか。金銭にルーズなところはないか。経営に対する、仕事に対する熱意は誰にも負けていないか。こうしたことをつねに自問自答しつつ、清く正しく裏表ない上司に、おのずと権威が生まれてくるのです。権限の委譲は、可能な限り行うべきですが、「権威」を委譲してはダメです。

以前、福岡空港で、時間待ちのためラウンジで出発時間を待っているときに、このようなことがありました。

私の席の隣に、2人連れの男性が座りました。大きな声で話し合っていましたので、その話が、聞かずとも聞こえます。2人は大阪の中小企業の社長と出入り業者の幹部のようでした。2人は非常に奇妙な話をし始めました。出入りの業者の人が「社長、ゴルフに行きませんか」と言うと、その社長が「そうやなあ、しばらく行ってへんなあ。行こか」と応える。そこで、「予定を決めましょう」と言って、手帳を出して「いつの休みにしましょうか。どの日曜日がいいですか」と尋ねている。

すると、その社長が「うん、日曜日もいいなあ。休みもいいな。けどな、最近は日曜日以外でも結構行っとるで」「そうですか」と業者の人は答えていましたが、その人は社長がなにを言っているのか、ピンとこなかったのでしょう。「そうですか。で、第3日曜日にしましょうか、第4日曜日にしましょうか」と言うと、その社長は、イライラした声で「だからやな、日曜日や休みの日はゴルフに誘うのはやめてくれや。日曜日や休みの日にゴルフに行くような者は、いい家庭ができん」。聞くでもなく聞いていた私は、腰を抜かさんばかりに仰天しました。業者の人も大いに驚いたような声の様子でしたが、とにかく平日ゴルフの予定を決めたようでした。

このような社長を、どう思われるでしょうか。なるほど、そうだと思われる読者はあまり多くないのではないでしょうか。日曜日や休日にゴルフに出掛けると、いい家庭ができないなら、平日に出掛けるならば、いい会社ができないということになるのではないでしょうか。そういう社長を、社員の人たちは、よしとするでしょうか。

「いい社長だ。尊敬できる社長だ。ビジネスマンとして目標にすべき社長だ」と思うでしょうか。「社長としての役割」を果たしている「社長は社長らしく」「指導者は指導者らしく」考え、振る舞っていると思うでしょうか。冒頭に『論語』の言葉を引用しましたが、「君、君たり」「臣、臣たり」が、すなわち、「社長、社長たり、指導者、指導者たり」が、会社発展の条件の1つだとすれば、この社長、もうハナから社長たりえないと思います。

では、「社長、社長たり」「指導者、指導者たり」ということ、「社長は社長らしく」「指導者は指導者らしく」は、どうすれば、「たり」となるのか。「らしく」なるのか。まさに「指導者の役割」を果たす条件とはなにかということになります。これにもいろいろな条件が考えられますが、私の経験から具体的に1つ、2つ挙げるならば、1つは「ケジメをつけること」ではないかと思います。

時間のケジメ、公私のケジメなどは、すでに書き記しましたが、さらに、3つ目として「部下に対するケジメ」を付け加えておきたいと思います。

「部下に対するケジメ」とは?

たとえば、同じ好ましくないことをしても、A君はとがめ叱責するけれども、B君はとがめない。C君が遅刻しても怒らないけれど、D君が遅刻すると激怒する。あるいは同じ結果を出しても、あるときは褒めて、あるときは不足していると怒鳴る。この上司はいったいなにを基準にしているのか、上司として不適格ではないか。このように部下が思うのは当たり前でしょう。そのような部下に対するケジメをつけられない上司は、いつか足元をすくわれる覚悟をしておくべきでしょう。

もう1つ、付け加えます。会社のトップである社長が社長らしくあらねばならない条件は、「責任を取ること」ということです。

「会社すべて、会社丸ごとの責任を取る」。この覚悟がなければ社長たりえません。いや、究極、「社長という役割は、会社のあらゆる責任を取る役割」といってもいいのではないかと思います。よく「これは、一般社員の、社長としてあずかり知らぬことで、それは彼の責任で……」と言う社長がいますが、それは日頃からしっかりと啓蒙、教育を徹底していなかった、あるいはその指示を徹底していなかった社長の責任でしょう。

あるいは、歴代の経理担当責任者が、6年間も不正会計をしていたとすれば、社長が指示した、しない以前の問題として、社長が責任を取るのは当たり前のことです。さらには、巨額の赤字を2年、3年と出し続けても、居座り続け、責任を取って退任もしない。大企業でも中小企業でも、よく見受けられる風景です。

もし、上司が「それは私の責任でない」と言えば、部下もまた、「それは私の責任ではない」と言うでしょう。上司が「責任を取ること」をせず、言い訳に終始する会社には、成長発展する可能性は絶無です。上司たる人は、つねに「ケジメをつけること」「責任を取ること」を、よくよく心掛け、経営に取り組んでいくことが大事だと思います。