結婚したら、寿退社♡

一昔前まで、それは女性の人生における最初の小さなゴールだった。

家庭に入り、料理の腕を磨き、夫の帰りを待つ。

だが、2017年の東京で「専業主婦」は、本当に憧れるべき存在だろうか?

専業主婦だった志穂は、自立のため復職した。仕事のことで義母ともめるなど上手くいかず、思わず家を出てしまうが、結果夫婦仲は安定した。




突然の勧告


「え…週に1回、ですか…?」

ひなの体調も良くなり、気持ちも新たに出社した月曜日のことだった。

ちょっと、と社長に呼び出され、いきなり出勤日数を減らして欲しいと言われてしまい、志穂は困惑していた。

「うちもさ、急に人が増えたでしょ。忙しくなったし、週5で電話番とか事務をしてくれる派遣の人を雇うことになったんだよね。」

週3日という中途半端な時間しか働けない自分は、用済みということだろうか。自分があの時フルタイムを断らなければ…という想いが一瞬、頭をよぎった。

「…承知いたしました。」

「シフトの件は篠崎ちゃんと相談しておいて。」

それだけ言うと、社長はそそくさと自分のデスクに戻っていく。心なしか冷たく感じるのは、気のせいなのか。

先日のランチで志穂に「ママは子供が熱だと言えばすぐに帰れる」と言い放った女子社員が、こちらを見ている気がする。

また康介に色々相談しないとなぁ、と志穂は深いため息をついた。


職場を紹介してくれた聖羅から聞いた驚きの真実


陰で志穂を疎んじていた人物


仕事は週1になってしまったものの、幼児教室の日数はそうすぐに変えられない。志穂は空いた時間に、ちょうど休みがかぶった聖羅とランチをすることにした。

店は、今度は志穂が選んだ。

肉に目がない志穂が行ってみたかった、『ユーゴ・デノワイエ 恵⽐寿』だ。




”世界一の肉が味わえる店” という特集を組まれており、期間限定のランチコースを予約した。

「志穂!ごめんね遅れちゃって!」

そう言いながらこちらに駆け寄ってくる聖羅は、相変わらず美しい。席に着きオーダーを終え、落ち着いて向き合う。

「LINEでは少し話したんだけど、聖羅にせっかく紹介してもらった仕事、週1になっちゃって…。申し訳ないんだけど、他のところ探そうかなと思ってるの。なんかごめんね。」

志穂は社長の渡辺と知り合いだという聖羅に申し訳ない気持ちで、ことの経緯を話した。

「うん、それ私も聞いた。あのね、志穂。絶対渡辺君には私が言ったって言わないで欲しいんだけど、話しておいた方がいいと思って…。」

え、なに、と志穂は身を乗り出した。

「志穂がひなちゃんのお熱で頻繁に休んでたこと、会社の偉い女の子がやっぱりよく思ってなかったみたいで。渡辺君もその子の意見を無視するわけにもいかなかったみたいなの。」

「え…。」

偉い女の子…。執行役員である、27歳の篠崎ちゃんのことだろうか。

自分に聞こえるように文句を言っていた社員の女の子でなく、あんなに協力的だった篠崎ちゃんが自分を辞めさせたがっていたなんて…。

「これ以上女性同士の雰囲気が悪くなるのは会社にとってもマイナスだから、って渡辺君も苦渋の判断だったみたいよ。でも、辞めさせるのだけは回避してくれたみたい。私もそういうこと想像できなくて、むやみに職場を紹介したりして、なんか、ごめんね。」

申し訳なさそうに謝る目の前の聖羅は、全く何も悪くない。自分は体調の悪い娘を迎えに行けることを優先したいのだから、それを良く思わない職場や人間とは、縁がないだけだ。

表向きはあんなに優しかった篠崎ちゃんが、裏で色々なことを思っていたのは意外だったが、志穂の心は思ったよりもダメージを受けておらず、華やかな前菜のプレートにすぐに心が奪われた。

はしゃぎながら料理の写真を撮る志穂を見て、聖羅がつぶやく。

「なんか、志穂変わったよね。」

「え?」

「なんか、康介君のことで悩んでた時と比べて、随分すっきりした表情してる。」

そうかな、と志穂は濁したが、大泣きしながら家を飛び出たあの日以来、少しずつ肩の力が抜けてきている実感はあった。


そんな志穂が次に起こした行動とは?


義母対策


「ただいま、ひな、志穂。」

相変わらず飲み会は多いが、最近の康介は早く帰れる日も増えた。ほぼワンオペ育児だった時期に比べ、ひなの成長を気遣う様子も見せてくれている。

今までは志穂にべったりだったひなも、少しずつ康介に懐きはじめた。おかげで夜に少し本屋へ行ったりちょっとした買い物に出たりと、一人の時間を持つこともずっと増え、志穂の精神状態はグンと安定している。

「ごめんね、ひな、寝ちゃったよ。」

えー、とぼやきながら寝室にひなの寝顔を見に行く康介の後ろ姿を、志穂は結婚当初とまではいかないが以前よりもずっと優しい気持ちで眺めていた。

仕事で疲れた康介の為に好物のワインを出してやったり、かいがいしく世話を焼くことも今は全く苦にならない。




人間は、余裕が出来て初めて他人を気遣う心が生まれるのかもしれない。

以前はひなの世話や自分の欲求で精一杯で、康介を気遣う余裕や、ましてや義母に対しての気遣いもできていなかった。

周囲の望む完璧な母親でいようとした時は行き詰っていたが、外に働きに出て試行錯誤し色々な失敗をしたことで、自分は少しだけ成長できたのかもしれない。

完璧であろうとするよりも、少しだけいつも心の余裕を持って過ごしていた方が、子供のためにも、家族のためにも良い結果になることを志穂は実感していた。

今の仕事は、もう週に1日しか出来ない。ならば、また新しい職場を探すのみ。

康介の職場の同僚が気になるのなら、自分が康介との絆をより深いものにする努力をする。

そして、目の前のひなの幸せを一番に考える。前回の還暦祝いで、義母に失礼な発言をしたことが引っかかっていた。

志穂は意を決して、「お義母さん」という画面の通話ボタンを押した。

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志穂は義母との仲を回復させることができるのか?