第18回党大会の七中全会が閉幕し、第19回党大会で習近平思想を党規約に書き込むことがほぼ確実となった。習近平思想とは何かとともに、そこに如何なる意義が潜んでいるのかを七中全会の公報から読み解く。

一期目の終わりに党規約に個人名入りで書く意味

今月11日から開かれていた第18回党大会の七中全会が14日に閉幕した。この日を以て次期チャイナ・セブンの名簿が最終決定し、第19回党大会の一中全会で決議される。  

新華社の発表によれば、七中全会では党規約の修正案も採択され、具体的な文章は秘密にされているものの、少なくとも「習近平思想」(正式名称は未公開)を党規約に書き入れることは確実であることが窺われる。

現在の党規約の冒頭には、「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、臂平理論、三つの代表(江沢民政権)、科学的発展観(胡錦濤政権)」が掲げられており、臂平理論以来、基本的には政権が終わった時点で書き加えることになっていた。「科学的発展観」は胡錦濤政権第一期目の終わり(2007年の第二期目が始まるときの党大会)に党規約の中に出ては来るが、かなり後ろの方の本文の中に現れただけで、冒頭のイントロ部分に入れられたのは、2012年11月の第18回党大会においてである。

また個人の名前を党の基本指針として党規約に書き込むのは、臂平止まりとしようという暗黙の了解があった。

しかし、今回は、この二つの「暗黙の了解」(慣例)を破ることになる。

おまけに「〜理論」ではなく、「〜思想」と、「毛沢東思想」以来だ(「習近平の領導思想」になる可能性もあるが、いずれにせよ、「習近平・・・思想」だ)。

その意味で、習近平国家主席は「毛沢東と並ぶ存在」に格上げされると言っていいだろう。

毛沢東思想に並ぶ意義とは?

中国建国の父、毛沢東が、「マルクス・レーニン主義」では飽き足らず(正確には、気に入らず)、敢えて中国共産党の基本理念を「毛沢東思想」としたのには理由がある。これは拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』のp.271に書いたが、延安にける毛沢東との口論を克明に記録した王明が『中共五十年』の中で以下のように述べている。

――1941年9月、毛沢東は延安で「私はマルクス・レーニン主義ではなく、毛沢東主義を作ろうと思っている。"主義"を作って党内に浸透させておけば、私が死んだ後も人民が私を否定することはできなくなる。だから中国共産党思想を毛沢東思想に塗り替えるのだ」という趣旨のことを言った(ここまで引用)。

遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)